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「若き勤務医」が取り組む日中「貧血対策」の民間研究--上昌広

2017年07月04日 23時22分 JST

前回、公的研究の削減が続く我が国で、「税金に頼らない『自由な民間研究者』を育成すること」の必要性を述べた(2017年6月6日「医療崩壊」第1回参照)。

今回は、我々の活動の一環をご紹介したい。我々は、上海の復旦大学との交流を続けている。きっかけは、前回、ご紹介したとおりだ。

6月の1カ月間、相馬中央病院の森田知宏医師と南相馬市立総合病院の山本佳奈医師が、共同研究のために短期留学した。受け入れてくれたのは、公衆衛生大学院の赵根明教授だ。

森田医師のテーマは、上海の高齢化対策、特に認知症だ。山本医師は貧血である。いずれも彼らがライフワークと考えているテーマだ。今回は、山本医師の研究をご紹介したい。

戦後「食糧難時代」より低摂取

女性が高学歴化し、社会進出が進む先進国で、貧血は古くて新しいテーマだ。山本医師は自らが貧血に悩んだ経験もあり、大学時代からこの問題に取り組んできた。昨年には『貧血大国・日本 放置されてきた国民病の原因と対策』(光文社)を上梓した。

意外に思われるかもしれないが、日本での貧血の現状は不明な点が多い。多くの医師や研究者が関心をもっていないため、そもそもデータがない。

最も新しいデータは、2007年に虎の門病院血液科の久住英二医師(現・鉄医会理事長)が『日本血液学会誌』に発表したものだ。

これは都内の2つの病院で、1998年から2005年の間に健診を受けた1万3147人の女性を対象としている。50歳未満の女性の22%が貧血と診断され、そのうち25%は重度に分類された。これ以降、調査研究は実施されていない。

ところが近年、女性の健康を取り囲む状況は大きく変わった。痩せる志向が高まり、ダイエットが流行しているからだ。この結果、20代の女性の1日の平均摂取カロリーは、1995年の1886キロカロリーから、2013 年には1628キロカロリーに減少した。いまや女性の摂取カロリーは戦後の食糧難の時代よりも少ない(1946年で1696キロカロリー)。

この結果、女性の鉄の推奨摂取量は大幅に不足している。推奨摂取量は10.5mg/日だが、20代女性は平均して6.6mg/日しか摂取していない。

貧血対策のない日本

今後、この傾向は益々加速するだろう。女性の社会進出が進み、その地位が向上すれば、独自の価値基準が形成されるのが、先進国では共通の傾向だからだ。

キャリアウーマンの象徴である女医の場合、容貌や装飾品以上に体型が重視されやすい。フォーサイトの常連筆者で米国在住の女性医師である大西睦子氏は、「米国では、スリムであることは自立した女性の最低条件と考えられている」と言う。

このような気質は、時に病的になる。キャリアウーマンの典型とも言える女医の中には、拒食症(摂食障害)に陥る人が少なくない。我が国の女性が、摂取カロリーを増やし、鉄の摂取も充足するとは考えにくい。

これは少子化対策の観点からも問題だ。なぜなら鉄不足は、妊娠可能年齢の女性に甚大な影響を与える可能性があるからだ。

近年、世界各地でこの分野の研究が進んでいる。米国ハーバード大学の研究者らの報告によれば、妊娠初期・中期に貧血だと、低出生体重児を出生するリスクが1.29倍、早産のリスクが1.21倍に上昇するという。

胎児の臓器や器官は、妊娠初期から中期にかけて急速に発達する。妊娠が判明してから鉄剤を内服したとしても、すでに遅いし、また妊娠初期は悪阻を発症する妊婦が多く、鉄剤の服用は困難である。このように考えると、貧血は個人の問題だけでなく、公衆衛生上の問題でもある。

世界では様々な貧血対策がとられている。代表的なのが、食品へ鉄を添加することだ。たとえば、米国や英国では小麦粉に、フィリピンでは米に鉄を添加している。このような対策が採られ始めたのは1940年代のことだ。ところが日本では、このような対策は一切なされていない。

都市・農村で格差ある中国「貧血事情」

では、中国ではどうなっているのだろうか。もちろん、貧血は中国でも公衆衛生上の重大な問題だ。だが、その状況は日本と異なる。

まず、中国の貧血は国内格差が大きい。一般論としては、貧血は農村部で大きな問題となっている。復旦大学の研究者らの報告によると、上海近郊の徳清県における18~64歳の成人女性の貧血の有病率は54%であった。日本の約2倍である。

一方、都市部の女性の貧血の頻度は少ないようだ。たとえば、上海市における20代女性の貧血の罹患率は3%、30代女性は5% だった。

また、2010年から12年にかけて行われた調査によると、中国の34の大都市における18~44歳の女性の貧血の罹患率は14% だった。数値にばらつきがあるものの、おしなべて日本よりは低い。

これは、都市部を中心にライフスタイルが急速に西洋化したからだろう。

たとえば、肉類の消費は急増した。2012年の1人あたりの年間の食肉消費量は53.9キロで、既に日本(47.2キロ)を超えている。ヒトが利用しやすい有機鉄は、基本的に肉や赤身の魚に含まれる(焼き肉やカツオのタタキが茶色に見えるのは、火であぶられることで鉄が酸化されるせいだ)。食肉量の摂取が増えたことは、貧血対策にとって好ましい変化だった。

さらに、鴨やアヒルなど家禽の血液を食材として利用する、中国固有の慣習の影響も見逃せない。山本医師も食べたそうだが、「血の臭みがなくて、美味しかった」という。後日、市場を散策したら、血液を用いた食材が手頃な価格で数多く売られていたそうだ。

日本人は血液を忌み嫌う習慣があり、鳥獣の血液を食することはない。このような食習慣の差が、貧血の有病率の差に影響しているのかもしれない。

中国「都市部」貧血増加の可能性

話を戻そう。このような点を考慮すると、現時点での中国の貧血は農村の栄養不足の一つの表現型であり、日本のような現代病ではないと言える。

もっとも、中国の都市部で貧血が少ないことの本当の理由はわからない。かつては上海も中国農村部と同じく、貧血が蔓延していたはずだ。なぜ都市部で貧血が改善されたのだろうか。中国は、試験的に醤油に鉄を添加した時期があったが、醤油からの鉄摂取量は多く見積もっても年間に100 mg程度で、推奨量の3%にも満たない。これだけで説明することは不可能だ。

また今後、中国の都市部で貧血がどうなるかも興味深いテーマだ。中国でも女性の美的意識が変化し、過剰なダイエットも社会問題化しつつある。コンビニも街中に見かける。コンビニ弁当が普及し、栄養が偏るとともに、ダイエット志向が高まり、鉄の摂取が減少する可能性は十分に考えられる。

かつてアジアの製造業は、日本を先頭とした「雁行システム」(雁の飛行になぞらえ、後になり先になりながら進むこと)と言われた。日本で起こった変化が、やがて韓国や台湾、そしてアジア全域に拡がっていった。貧血でも、同じことが繰り返されるだろうか。

欧米のように穀物に添加することは、貧血対策の特効薬だが、味に与える影響を考えれば、今となっては政治的に難しい。

自費で進めた「共同研究」

どうすれば、中国の貧血を予防できるのだろうか。どうすれば、日本の貧血を改善できるのだろうか。

日本と中国を比較すれば、さまざまな教訓を引き出すことができそうだ。特に、鉄分の摂取という観点から見た場合、食生活や社会環境が似ている東京と上海を比較することは興味深い。

ところがこのような研究をするには、研究者が利用できるデータが足りない。特に英語で公開されたデータは皆無と言っていい。この問題に取り組むには、現地の研究者と協力して、実際に調べてみるしかない。

今回の中国滞在の間に、山本医師は復旦大学と共同研究を相談し、合意に至った。現在、共同研究プロトコールの作成中である。研究結果が出た段階で、またご紹介させて頂きたい。

今回の研究は、山本医師の強い希望で実現した。彼女は病院勤務医であり、大学の研究者ではないため、留学を支援する制度はない。有給休暇と欠勤扱いを用いて、自分で費用を用立てるしかなかった。

そのためにコストを最小限に抑えた。上海での宿泊はホテルも利用したが、共同研究相手の郁雨婷さんの自宅にも泊めて貰った。彼女の父は、上海の病院の院長を務める。山本医師は、「日本とは桁違いの豪勢な自宅に驚きました」と言う。中国の富の偏在を実感したそうだ。

そして研究以外の時間では、プライベートについてじっくりと話し合った。この過程で信頼関係が醸成される。「今度は福島に先方を招待します」と言う。こうやって、若き研究者の共同研究は発展していく。

これからの国際共同研究の相手は、アジアが中心となる。グローバルな臨床研究を考える上で、山本医師のケースは示唆に富む。欧米と比べ、アジアは近い。そして物価も安い。

かつて、国際共同研究は公的研究費がつき、海外主張などの制度が整備されている大学の独壇場だった。ところが山本医師のケースは、やる気とスキルがあり、留守を預かる先輩や同僚医師などの仲間がいれば、若き勤務医でも国際的な研究活動が可能であることを示している。日本の臨床研究は変わりつつあるのだ。

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上昌広

特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

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(2017年7月3日フォーサイトより転載)