BLOG

バンドゥーラの音色にのせて(5・了)祖国に、そして日本に届けたい想い--カテリーナ・グジー

「いつもその場の手探り状態で、本当に戸惑っていました」

2017年09月26日 16時08分 JST | 更新 2017年09月26日 16時22分 JST

東日本大震災があってから特に、「チェルノブイリ」について、隠すことはもう何もないと思う反面、正直に言いますと、実は話すことにためらいも覚えるようになりました。

と言うのは、福島の子どもの健康やいじめについてニュースになるたびに、私も同じような辛い体験をしてきたことを思い出すからです。

福島の子どもが鼻血を出すことは原発とは関係ないと言う人もいますが、チェルノブイリの事故でキエフに引っ越した後、私も毎日のように鼻血を出していました。

事故のときは私はまだ生後1カ月でしたが、事故のことを政府から何も知らされていなかった私たち家族や近隣住民らは、しばらくの間、普段と変わらない生活をしていたし、子どもたちも外で遊んでいたことは最初にお話しした通りです。

だからでしょう、私たちは小学校に行くようになった年齢でも、事故の影響で体も弱かったし、頭痛も毎日のようにあって、よく学校に遅刻したり休んだりしました。そして本当に辛い記憶なのですが、いじめもあったのです。

実際にそういう経験をしているだけに、どうしてもその体験を話すことをためらってしまう。話そうとして記憶の糸をたぐっているうちにフラッシュバックのように当時の光景が浮かんできて、心が痛み、すくみ上がってしまうのです。

そして何より、私が話をすることで、息子に「チェルノブイリ」と「フクシマ」の陰の部分を見せたくないという気持ちも強いのです。「あの子のママは原発事故の近くで生まれた」という扱いを息子にされたくない。

家庭内では日本語を話し、息子は日本の学校に進学させましたが、環境によっては「外国人」としていじめのような扱いを受けるかもしれない。そこにさらに「おまえのママは......」なんてことが加えられるなんて、考えたくもない。だから、息子のことを思えば、どうしても慎重にならざるを得ないのです。

日本で本格的な演奏活動を始めたばかりのころ、「チェルノブイリの歌姫」とか「チェルノブイリの民俗楽器バンドゥーラの奏者」という紹介をされたことがよくありました。コンサートの度に、今日はどこまで話そうか、今日のお客さまの雰囲気なら話さない方がいいかしらとか、いつもその場の手探り状態で、本当に戸惑っていました。

息子はいま小学2年生ですが、いろんなことを理解するまでには、もう少し時間が必要でしょうか。ただ、私のコンサートに同行してきたこれまでの8年間、いろんな人と出会っていろんなものを見て、幼いなりに貴重な経験を重ねていると思います。

最近では、マネージャーのようにコンサートを手伝ってくれるようになりました。会場の音の響きを確認するため、リハーサルでは客席の一番後ろで聴いて感想を言ってくれますし、カメラで私を撮影してもくれます。終演後には、ロビーで「ママのCDです!」って売り子さんになってくれますよ。

私は息子に無理にバンドゥーラを弾いてほしいとは思いません。どんな音楽をやっても、音楽の道を選ばなくても、自分の人生を自由に選択してほしい。自宅には夫の打楽器もギターもピアノもありますから、好きなときに好きなように触って楽しいと思ってくれれば、それでいいです。今はヒップホップダンスを習い始めていて、ギターや打楽器をやってみたいそうです。

深刻な「バンドゥーラ職人」不足

私は今、日本の子どもたちのためにピアノと歌、そしてバンドゥーラを教えています。本当はもっとバンドゥーラを勧めたいのですが、何しろ楽器がありません。私が弾いているものを貸してあげても、小さな子どもには、体に対してバンドゥーラが大きいので、ピアノと体の間に挟むようにして演奏してもらっています。

あ、実はウクライナでも、現在はバンドゥーラを作っている人はほとんどいないのです。私が子どものころはバンドゥーラを作る工場が2、3ありました。今は西の地域に1つだけ、それも細々と作っている。

実はバンドゥーラという楽器はとても地域性が強く、私が使用しているのは、ウクライナの中央から北の地域で作られていたごく一般的なバンドゥーラです。それに比べて西のものは小さめで弦の数も多く、木も違って白っぽい。半音を上げたり下げたりするためのペダルも、一般的には後ろに7つついているのに対して、西のバンドゥーラは前面の弦のところについています。

見た目も音も違うので、私を含めてその工場のバンドゥーラを購入する人は少ないですね。私が持っている一般的なものは、今では中古品でも探すのが本当に大変。私も弦は自分で張り替えることができますが、ヒビがはいったりしたときに直してくれる職人さんがいなくて、本当に困っています。

「ウクライナ」を意識

2014年、ウクライナとロシアの間に「クリミア紛争」が起こるまでは、正直、自分たちの「民族」を意識することはあまりありませんでした。「国」=「民族」なので、言葉や衣装、ましてや楽器にこだわるのは、むしろ恥ずかしいと思っていました。

ソ連から独立した当時も、キエフにはロシア語、ウクライナ語それぞれで授業を行う学校が混在していましたし、どちらの学校を選んでもかまいませんでした。けれど、ロシア語の学校を選んだらウクライナの、ウクライナ語を選んだらロシアの言語と歴史の授業が必須だったので、何にせよ両方を学べます。

私の両親はともにロシアから離れた西の地域の出身なので、家族内で話す言葉もウクライナ語でしたし、自然な流れでウクライナ語を使う学校を選びました。

それでも、友達同士で話すときにはまわりがみんなロシア語だったので私もロシア語で話したし、友達には、民族音楽団で民族衣装を着て民族楽器を弾いているところなど、できれば見られたくはありませんでした。

あれはどういう感情だったのか、私は特にウクライナがソ連領だったころに生まれたので、「ウクライナ」という国も、「ウクライナ語」や「ウクライナ民族」も、どういうものなのか、理解することが難しかったのです。が、3年前からのロシアとの戦争で、改めて自分たちの国というものを問い直し、守らなければならないと意識する人が増えました。

このころから、「ウクライナの歴史がすべて詰まっている」と言われるバンドゥーラも見直され、弾きたいという人が大勢います。だからこそ、奏者は増えているのに楽器がないという状態を何とかしたいと、政府に対して手紙を出すなどお願いをしています。

日本は楽器作りに関しても、非常に優れた技術を持っています。ですから、カワイさん(河合楽器製作所)やヤマハさんに、バンドゥーラをぜひとも手掛けてほしい。需要の多いウクライナはもちろんのこと、アメリカやカナダでも、移住したウクライナ人がバンドゥーラの学校まで作っているのですから。

今年は日本とウクライナが外交関係を樹立してから25年目に当たります。7月29日には、アーティストのミヤザキケンスケさんとコラボして、ウクライナでコンサートを行いました。ミヤザキさんが小学校の壁に8メートルにもなる絵を描き、私はその間にウクライナの人たちに向けてバンドゥーラで日本の歌を弾き語りました。

来年は私が日本で本格的にソロ活動し始めてから10年目。日本の人たちの心に、もっとバンドゥーラの音色を届けたいと思っています。(了)

カテリーナさんの公式HPはこちら(演奏動画もあります)

カテリーナ・グジー バンドゥーラ奏者。1986年、ウクライナ・プリピャーチ生れ。幼少期より故郷ウクライナの民族楽器であるバンドゥーラに触れ、民族音楽団「チェルボナカリーナ」で活動する中で、10歳の時に日本公演のため初来日。16歳からウクライナ・レフゥツキー音楽専門学校で声楽、バンドゥーラの演奏技術、音楽理論を本格的に学んだ後、2008年、音楽活動の拠点を東京に移す。現在は日本で活動する数少ないバンドゥリストの一人として、国内ツアーの開催やライブハウスでのパフォーマンスなど精力的な活動を行っている。
関連記事 (2017年9月16日フォーサイトより転載)