バルセロナに息づく「慈愛の精神」

地中海、抜けるような青空、そしてガウディの建築に心惹かれて、バルセロナを目指す観光客は1992年のオリンピック開催後増え続け、年間約750万人にのぼる。

地中海、抜けるような青空、そしてガウディの建築に心惹かれて、バルセロナを目指す観光客は1992年のオリンピック開催後増え続け、年間約750万人にのぼる。一方、あるNGOの調べでは スペイン経済危機以降、仕事と家を失ったホームレスの数は最低でも3000人、そのうち約900人が路上で生活しているという。

それならば、「観光」に「ホームレスのマンパワー」を活用することはできないだろうか。道という道を、ほかの誰よりも知っている路上生活者に、観光ガイドの仕事を作って雇用を作り出し、ガイドブックには載っていないような、生きた街の魅力を紹介してもらったらどうだろう――バルセロナでマーケットリサーチコンサルタントをしていた英国人女性が、自分自身の失業をきっかけにこう考え、ホームレスがガイドをつとめる「隠れた街のツアー」(Hidden City Tours)というソーシャルプロジェクトを2年前に立ち上げた。現在、所属ガイドは4人。元料理人による市場案内、元建築家の建築案内など、ホームレスに特技を活かしながらガイドをしてもらい、収入だけでなく、社会とのコンタクトへの自信を取り戻してもらうのも、ツアーの狙いだという。【ツアーのホームページへのリンク

神父が出してくれたコーヒー

先日バルセロナを訪れた折、ガイドを紹介してもらって街を歩いてみた。案内役をしてくれたのは、ホセ・マルティンさん(写真=筆者撮影)。大学で英語を専攻し、出版社で翻訳の仕事をしていたが、5年前に経済危機のあおりを受けて会社が倒産。40代で再就職先を見つけるのは難しく、失業給付が切れ、やがて貯金も底をついた。一緒に住んでいた両親は亡くなり、家賃が払えなくなったホセさんは、1年で住む家を失ってしまったという。今はホームレス施設に住み、昨年、ソーシャルワーカーの紹介でこのツアーを知り、面接を受けて合格した。ボランティアの郷土史家と一緒に街を歩いて研修を80時間受け、ガイドになってから1年になるという。ツアーは1時間半で15ユーロ。半分がホセさんの収入になる。

小ざっぱりした身なりで温和な雰囲気のホセさんは、自分にとって大切な思い出が詰まっている旧市街を案内してくれた。たとえば小学校のとき、ホセさんの近視の度がどんどん進んでしまうことを心配したお母さんが、「目の守護聖人の聖ルチアにお祈りしましょう」と連れていってくれた礼拝堂。大聖堂の修道院に従兄弟と一緒に忍び込み、バルセロナの守護聖人エウラリアにちなんで飼われている、13羽のガチョウに追いかけられ、息を切らせて逃げた場所――まるで過去のアルバムを見るように、ホセさんの幸せな子供時代が伝わってくる。

やがてあるカトリックの教会に来ると、ホセさんは微笑んだ。路上で初めて寝たのは朝夕の冷え込みが厳しい2月。冬の石畳は体を芯から凍らせるものだそうで、震えが止まらずもうダメかと思った瞬間、教会の神父がたまたまホセさんに気づき声をかけてくれた。神父はすぐに自分の部屋にホセさんを招き、温かいコーヒーを入れてこう言ったという。「いいかい。明日からは、毎日ここにコーヒーを飲みに来なさい。もし誰かが怪しんだら、僕の名前を言いなさい。友だちだと言うんだ」。その時の神父の温かい口調、部屋の暖かさ、マグカップで飲んだ熱いコーヒーを、ホセさんは忘れないという。さすがに毎日行きはしなかったが、あそこに行けば、と思うだけで心が温まったそうだ。ガイドが決まったとき、早速、ホセさんは報告に行き、神父はとても喜んでくれたという。

神様のビーチバー

ホセさんの個人史が縦糸だとすると、このツアーはバルセロナの慈愛と慈善の歴史を横糸にとって織りなされている。黒死病の時代に貧しい人に1日千食を出していた建物(現教区博物館)、中世に建てられたホスピスや病院、そして今、温かいパエリアをホセさんたちに食べさせてくれる施設......。

ラヴァル地区(地域を意味するアラブ語からきた地名)は、オリンピックを契機に、いわゆる「浄化作戦」が進められ、かつてのスラムが、お洒落なカフェやショップがある地域に生まれ変わっている。しかし、一部にはモロッコ、パキスタンからの移民が劣悪な環境に住んでいる所や、あどけない少女が、昼間から街娼として立つ道もある。

この地域にある、「神様のビーチバー」という名で貧しい人に食事を提供する場所に、ホセさんが案内してくれた。主宰しているのは、かつて自分も路上生活をしたことがあり、その時に人に助けられたことがきっかけで、今度は自分が人を助けることを選んだドイツ人聖職者だ。

ホセさんはここで毎週、ご飯を運ぶボランティアをしている。毎週木曜の昼はパエリアも出ると、ホセさんは自慢気だ。食事の提供者は一流ホテルやドイツ人学校など。ある時学校が休校で、当てにしていた給食がもらえず、刻々とお昼の時間が迫ったことがあった。青ざめるホセさんをよそに、大丈夫だ、と落ち着き払い、時間ぎりぎりに道で待っていた人たち全員の食事をよそから手配したドイツ人主宰者のことを、ホセさんはまるでドラマのヒーローのように讃える。

ドイツ人聖職者、と聞いてカトリックかプロテスタントか聞いてみると、ホセさんは、ほんとうに困った顔をして、考えたこともなかったと言った。「ここではあんまり、そういうの関係ないんだ。この地域はイスラム教徒が多いし、誰が来てもいいように、食材もハラル(イスラム法上で食べられるもの)にしてあるんだから」。私は見たことを、頭で理解しようとする自分を恥じた。キリスト教でも、イスラム教でも、仏教でも、自分より弱い立場の人のために、喜んで何かを捨てるという本質がある。困っている人に食事を運ぶという慈愛の行為は、宗教・宗派の区別なく、人の体を満たし、心を癒し、そして、きっと次の慈愛の芽を育てていくはずだ。神父の入れた熱いコーヒーを忘れないホセさんが、今、誰かに食事を運んでいるように。

スペインの2014年の失業率は23%。若年失業率は51%にのぼり、普通に暮らしていた中産階級にも影響が及んでいる。富、健康、成功という、人生の中でいつでも崩れうる、危ういバランスから落下してしまった人を、見ないふりをしたり、「勝ち」「負け」のレッテルを貼ったり、隔離してしまうことなく、しっかりと両手で抱きとめようとする人々が、今日もバルセロナの慈愛の歴史を、未来につないでいる。

バルセロナ旧市街にある、サン・フェリーペ・ネリ教会。今も壁にはスペイン市民戦争中の砲弾の跡が残る。建築家ガウディも、毎日この教会に通っていたという(筆者撮影)

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大野ゆり子

上智大学卒業。独カールスルーエ大学で修士号取得(美術史、ドイツ現代史)。フランス国立リヨン歌劇場首席指揮者を務める夫・大野和士氏のパートナーとして、ブリュッセルを拠点に世界を飛び回る日々を送る。クロアチア、イタリア、ドイツを経て2002年からベルギー在住。

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(2015年3月6日フォーサイトより転載)

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