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インド「牛肉殺人」の波紋:政治家の消極対応で「宗教対立再燃」の懸念も

2015年10月22日 00時40分 JST | 更新 2015年10月22日 00時40分 JST

牛を殺して牛肉を食べた、として、デリー近郊の村に住むイスラム教徒男性が、怒った群集に撲殺された「牛肉殺人事件」の余波が、インド全土に広がっている。宗教的にセンシティブな問題ということもあり、モディ首相をはじめとする政治家は事態収拾や介入にはやや消極的だが、問題を放置すればヒンドゥー・イスラム教徒間の宗教対立が再燃する恐れもある。

ことの起こりは9月末、デリーに隣接する北部ウッタルプラデシュ州ダドリ村で、家に牛肉を所持していたとのうわさが広がったムハンマド・アクラクさん(50)が数百人の群集から殴る蹴るの暴行を受けて死亡。息子も意識不明の重体となった。インドでは窃盗犯や強姦犯が村人のリンチに遭い、警察に引き渡される前に殺害される、といった事件が後を絶たないが、今回の事件は結果的にまたしてもインドの異質性や後進性を強調する結果となった。

消えたビーフバーガー

「牛肉食」をめぐる論争や衝突は、今に始まったことではない。牛を神聖視するヒンドゥー教至上主義団体、民族奉仕団(RSS)を有力支持母体とするインド人民党(BJP)が2014年総選挙で圧勝してから、各州政府を中心ににわかに政策がヒンドゥー色を強めている、という指摘が多い。今年3月にはBJPが与党となったデリー首都圏のハリヤナ州、西部マハラシュトラ州で相次ぎ牛の屠殺や牛肉の販売が禁止され、カフェやレストランからビーフハンバーガーがいっせいに消えた。RSSやその関連組織、世界ヒンドゥー協会(VHP)などヒンドゥー・ナショナリストの意向が強く働いた、との見方があり、食肉処理に携わるイスラム教徒など少数派による抗議の声はほぼかき消された形だ。

5月末には、自身は牛肉食が「許される」イスラム教徒であるムスタファ・アッバス・ナクビ・マイノリティ担当国務相が「牛肉を食べたければアラブ・イスラムの国に行けばよい」と述べて、ヒンドゥー強硬派の意見を代弁。これに対し、仏教徒であるキレン・リジジュ内務担当国務相は「世俗国家であるインドにおいては少数派にも配慮し、食習慣に関わる規制を押し付けるべきではない」と発言。モディ政権内部でも見解の統一が図られていないことが浮き彫りとなった。

歯切れが悪いモディ首相

今回の事件によって、クリスマスやバレンタイン用品販売店を襲撃するなど過激な行動で知られるヒンドゥー右派政党シブ・セナがにわかに勢いづいている。同党の活動家は、10月9日にムンバイで予定されていたパキスタン人人気歌手のコンサート主催者に強硬な抗議を行ってこれを中止に追い込んだ。さらに12日には、パキスタンのカスリ元外相の出版記念イベントを企画したデリーの有力シンクタンク、オブザーバー・リサーチ・ファウンデーション(ORF)のクルカルニ所長を襲撃し、黒インクを浴びせるなどの行動に出た。

また9日には北部ジャンム・カシミール州で開いた宴席で牛肉メニューを提供したとして、イスラム教徒であるアブドル・ラシッド州議会議員がBJP所属の議員らに襲撃され暴行を受ける事件も起きた。

事態収拾を図ろうとしたのか、バルヤン農業担当国務相は10月上旬、「違法な牛肉輸出を取り締まる」と表明した。インドは世界最大の牛肉輸出国(その大部分は水牛肉)で、今年度の輸出量は200万トンを超える見通しだが、食肉関係者の間では政府の取り締まりによるビジネスへの悪影響を警戒する声が出ている。

今回の「牛肉殺人」に対し、ジャイトリー財務相はすかさずこの残虐な事件を非難。畜産業者を守る立場にあるバルヤン農業担当国務相も「牛の屠殺問題を宗教対立の火種にしてはならない」と発言し、各方面に冷静な対応を呼びかけた。だが、いち早く事態収拾に乗り出すべき立場のモディ首相は長く沈黙を決め込み、事件から1週間以上が経過した10月8日になってようやく「われわれが戦うべき敵は異教徒ではなく、貧困である」と述べて、宗教間の融和を訴えた。

モディ首相は10月14日、地元紙とのインタビューでようやく事件について触れ、一連の事件について「残念なことだ」と述べるとともに、「事件を政治的に利用している」として野党を批判した。モディ氏自身、宗教については現実主義者であるのは間違いないが、そもそもインド人の約80%はヒンドゥー教徒。自身もRSSなどの強力な後押しを得て首相になっただけに、「牛肉」問題では歯切れが悪い。

多様性と不寛容

宗教と「牛肉を食べる権利」をめぐってはさまざまな意見があるが、たとえばエジプトやアラブ首長国連邦(UAE)など穏健なイスラム教国では、ホテルのレストランなどでイスラム教徒が禁忌とする酒や豚肉の提供を問題なく受けられることを考えると、一部とは言えインドの不寛容さが際立つ。あくまで牛肉食の禁止を要求するVHPスポークスマンのスレンドラ・ジェイン氏は10月11日、牛を食べる行為を「サウジアラビアに行って豚肉を買い求めるようなものだ」とたとえたが、大部分が厳格なワッハーブ派イスラム教徒である同国とインドを比較することにそもそも無理がある。

敬虔なヒンドゥー教徒だった独立の父マハトマ・ガンディーはかつて、牛の屠殺禁止を求める嘆願書の山を前に、「インドはヒンドゥー教徒のためだけにあるのではない」と述べ、食のタブーを他の宗教に強制すべきでない、との見解を示している。

インドが内外投資家の信頼を勝ち取ろうとするなら、「牛肉」問題の政治利用などはもってのほかだろう。今回の事件に対する解決策はきわめて単純である。それぞれの宗教を信仰する者が自分たちの教義や信条を遵守し、なおかつ他のコミュニティーの慣習や文化に敬意を払うこと、ただそれだけだ。(緒方 麻也)

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「牛肉殺人」に抗議するイスラム教徒たち(10月6日、ニューデリーで)(C)EPA=時事

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