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【ブックハンティング】「西郷隆盛」という巨大な思想を読み解く--田勢康弘

西郷について大概のことは知っているつもりだったが、驚いた。

2018年01月19日 14時16分 JST | 更新 2018年01月19日 14時16分 JST

私は歴史学者でもないし、西郷隆盛の研究家でもない。強いて言えば、西郷隆盛のファンというのが当たっているのかもしれない。鹿児島に行けば必ず、墓参りをしているし、生まれ育った甲突川界隈を散策する。『西郷南洲翁遺訓』に現代語訳を添えて、どれだけたくさんの国会議員に配ったか。2年ほど前には「噫西郷どん」という歌を作詩した(作曲・山崎ハコ、歌・えひめ憲一)。だから追っかけに近いファンと言うべきか。

西郷について大概のことは知っているつもりだったが、驚いた。西郷と同時代の人物から現代の作家、思想家に至るまで、これほど多角的な西郷論を本書によって突きつけられると、圧倒されると同時に、ますます西郷とは何者なのかわからなくなる。著者の仕事量と冷静な筆遣いには感心させられるが、それよりも書評の質の悪さに気分を害されるのではないか、という心配が先に立つ。

実は凡庸な人間と同じ

今回取り上げた先崎彰容著『未完の西郷隆盛 日本人はなぜ論じ続けるのか』(新潮選書)では、西郷という人間が立体的に浮かび上がってくる。きっとそうではないかな、と感じていたことが、やっぱりと合点がいく。たとえば第3章「アジア――頭山満『大西郷遺訓講評』とテロリズム」では、西郷と同い年の重野安繹という薩摩出身の漢学者の言葉を紹介している。「人は豪傑肌であるけれども、度量が大きいとはいえない。いわば度量が偏狭である。度量が偏狭であるから、西南の役などが起るのである」。

懐が深い人物と思っていた、というか、そう思いたかったが、そうではないのか。西郷は並外れの潔癖症らしい。人を赦すのではなく憎む悪い癖があり、本人も自覚していると重野はいう。対立したことのある井伊直弼が桜田門外の変で殺された報に接し、今夜は祝杯をあげるという手紙を出したりしている。なーんだ、大西郷もわれわれ凡庸な人間と同じじゃないか。そこがまた西郷のたまらない魅力なのだ。

情報戦に負けた西郷

「近代化の立役者か 反近代の英雄か」――本の帯のこの言葉が、この力作を貫くテーマである。だが著者は結論を出さない。だから「未完の」なのである。私はもちろんわからない。

ただ、西郷は日本人にとって紛れもない英雄である。英雄になるには条件がそろっていなければならない。(1)非業の死を遂げること(2)謎に包まれていること(3)権力と敵対すること。これらの条件に当てはまる人物は吉田松陰、横井小楠、坂本龍馬などたくさんいる。唐人お吉も加えてもいい。しかし、やはり西郷だろう。日本の、それも庶民にとっての英雄はやはり西郷を置いてはいない。

本書を読んで目からうろこだったのは、西郷が欧米文化に関してかなりの知識を持っていたことである。福澤諭吉の『文明論之概略』を弟子たちに読むよう勧めていた、という。また脱亜入欧の福澤が、意外にも西郷を高く評価しているのである。西南戦争について福澤は言う。「今、西郷は兵を挙げて大義名分を破りたりと云ふと雖も、其大義名分は今の政府に対しての大義名分なり。天下の道徳品行を害したるものに非ず」(『丁丑公論』)。

福澤と西郷は1度も会っていないという。もし会っていれば何かが、ひょっとしたら歴史が変わっていたかもしれない。

著者によれば、西南戦争は「国内最後にして最大の内戦であると同時に、近代報道の幕開け」だという。たしかにわが国の新聞の歴史を見るとき、西南戦争からその発行部数を飛躍的に増やしている。この流れは日清、日露戦争と続いた。戦争こそ新聞経営の飛躍のための重要なきっかけだったのである。

西南戦争で、新聞はこぞって西郷を叩いた。著者は政府の情報統制に西郷が負けたと指摘して、こう記す。「学者のおおくが、生半可な知識で頭をいっぱいにして、政府の役人に雇用されていく。そして明治新政府に抱えられた彼らを、新聞記者たちは風見鶏のごとく援護している。すべての情報が政府に集約され、政府からでていく。(略)情報革命の毒を、解毒する気概をもった『抵抗の精神』はどこにいってしまったのか」。

驚いた。明治の初めの話なのに、まるで、いまの時代の政府の情報統制について書いているようだ。西南戦争のころから今に至るまで、何も変わっていないということに、改めて嘆息する。福澤の言葉のように「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」がまだ続いているのだ。

三島由紀夫との共通点

西郷とは何か。西郷に心動かされる人によって、相反する別の西郷になる。「尊皇」に照準をあてれば、西郷は右翼やアジア主義者のカリスマになるし、玄洋社や三島由紀夫のテロ的思想につながる。

三島自決事件のときも、メディアは激しく三島を非難した。だが、なぜあのような行動に走ったか、という三島の心情まで踏み込んだ考察はあまりなかったように思う。著者によれば、三島はこう考えた。天皇と日本国は、自らのアイデンティティーを、西洋風の政治制度と経済成長だけで定義してしまった。日本の近代化とは、天皇と私たち日本人から、文化の薫りを奪い去る時代だったのだ。奪われた文化を取り戻すためには、行動を起こさねばならない。尊皇を唱えつつ明治政府に反旗を翻した西郷はその先人、というのである。

薩摩城山で別府晋介の介錯で西郷が倒れたのと同じように、クーデターを試みたはずの三島は、茶番劇のような酷評のなかで楯の会の部下の介錯で首が落ちた。維新の最大の功労者と現代日本文学のヒーローの死。共通点しているのは、ともにその行動の動機を矮小化したことだ。そして西郷の名誉回復は死の12年後、三島にいたってはそのままである。

西郷は、安政の大獄で追われていた勤皇僧・月照と錦江湾に身投げして死に損ない、薩摩藩から「菊地源吾」と名前を変えて奄美大島に送られ、3年を過ごす。その後、再度の遠島処分で徳之島に3カ月、沖永良部島に1年半、都合5年の南の島での生活を強いられる。本書の圧巻は、南の島での生活で西郷は変わったのではないか、と問題提起をしている点である。江戸や薩摩では経験したことのないことばかりだっただろう。薩摩藩から虐げられてきた実態も目の当たりにした。天皇への思い、皇国という考え方が揺らいだのではないか、と著者は指摘する。

ますます謎は深まる。けれども「日本人はかつて『西郷南洲』以上に強力な思想を一度も持ったことがなかった」という江藤淳の指摘(『南洲残影』)は、その通りだと思う。どれが本当の西郷隆盛の顔なのかわからない。わからないことだらけだが、西郷隆盛の追っかけファンはこれからも続けるつもりだ。

田勢康弘 ジャーナリスト。1944年中国黒龍江省生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。政治部記者、ワシントン支局長、論説副主幹、コラムニストなどを歴任し、2006年に退社。1996年から1年間、米ハーバード大学国際問題研究所フェロー。また1996年には日本記者クラブ賞を受賞。著書に『指導者論』(新潮社)、『国家と政治』(NHK出版新書)、『総理の演説』(バジリコ)など多数。また、『田勢康弘の週刊ニュース新書』(テレビ東京系)の番組ホストも務めた。
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