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対談『中央銀行が終わる日』(上)もう「日銀のせい」にはできない

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マイナス金利に異次元緩和、仮想通貨の台頭――金融の常識が大きく変わりつつある。そんな中、かつては「通過の番人」「物価の番人」と呼ばれた日本銀行の役割はどう変わるのか。それともすでに使命は終わったのか。『中央銀行が終わる日』(新潮選書)を上梓した日銀OBで早稲田大学大学院教授の岩村充氏に、哲学者の萱野稔人・津田塾大学教授が問いかける。 

萱野 『中央銀行が終わる日』というタイトルには、正直びっくりしましたが、実際、中央銀行に対する信頼がだいぶ低下しているように思います。中央銀行ができることは限られているのではないか、あるいは中央銀行がやることがわれわれにマイナスの影響をもたらしているのではないかという疑いが、今広がりつつあるように感じます。

岩村 中央銀行の力が小さくなってきているにもかかわらず、期待ばかりが大きくなってしまったという認識ですね。その通りだと思います。

萱野 中央銀行が行えることが少なくなっている大きな背景として、経済が拡大しなくなったということがあるようだという主張ですよね。インフレ前提でしか金融政策は動かないということが、この本では明確に説明されていますが、それが行き詰まってきている。貨幣は基本的には利子がつかないけれども、金融政策は利子を操作することによってしかできないという矛盾の中で、中央銀行はずっと金融政策をやってきた。それが、今のように経済が拡大しなくなった段階で金利をとれなくなってきて、中央銀行がやれることは、どんどん少なくなってきた。

にもかかわらず、今の中央銀行の役割を見ると、景気対策まで背負わされている。そこまで期待されたら、今度は逆にうまくいかなかったときの失望感が大きいということですね。

岩村 そうです。金融政策で何もかもできると思わないでくれ、そこまで中央銀行は強力ではない、というのが日本銀行の伝統的気分でしょう。また、その辺りは政治の方も分かっているところがあって、だから日銀総裁を選ぶ基準は、情勢に応じて適時適切にご判断をいただける人、バランスの取れた判断ができる人、そうした人が適任と考えてきたと思います。景気刺激論者であるとか、その反対であるかは総裁選びの基準ではなかったんです。

ところが2012年に自民党総裁になった安倍さんの考え方はまったく違う。政策について自分と同じ考えの人を選ぶと宣言したわけです。そして、マネー供給さえ増やせばデフレなんか簡単に克服できるという考えを同じくする人を選んだのです。

萱野 安倍さんは、これまでのやり方を崩したことにはなりますけれども、今の日銀が抱えている矛盾を早く露呈させる、歴史を早回しするような効果はあったのかなという気が私はしています。最近の官邸は金融緩和にはあまり期待していないようですが、これまでの20年間は、景気対策や金融政策で過大な責任を日銀にかぶせてきたわけですね。


政治は一時的に安定したけれど

岩村 でも、それを「だから日本はよかったんじゃないか」と言ったらシニカルすぎますか。

萱野 というと?

岩村 日本の政治は、日本人が豊かにならなくなった理由を、政府でも体制でもなく中央銀行のせいにできた、ということです。

今、日本人のほとんどが、前より暮らしが楽になっていない、しんどくなっていると感じています。賃金が下がり、狭いながらも楽しいわが家が崩壊するかもしれない、雇用が維持できるかどうかもわからない、そうした不安にも直面していますね。

でも、多くの日本人は、それがデフレのせいだ、と思ってくれていました。だから政権に今、何を望みたいかというときに、デフレから脱却してもらいたいという声ばかりが新聞やテレビから流れる。

でも、アメリカの状況は違います。多くのアメリカ人の生活は苦しくなっています。しかし、それを、中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)の不十分な金融緩和によるものとは考えないようです。FRBは上手に金融政策をやっているというのがエコノミストたちの通説になっていて、メディアもその通説に合わせた報道しかしないからです。でも、そのことがサンダース氏やトランプ氏のような極端な主張の人が期待を集めるということにつながるんですね。

アメリカ人は、自分の生活の苦しさを中央銀行の責任にできない、だから、それを政治や体制のせいだと思うようになったのです。

萱野 日本の場合は、日銀のせいにしたからこそ政治が安定しているわけですね。

岩村 そうです。ですから日本の政治家たちは、もっと本質的なところで焦りを強めないといけない。明日はわが身なんですよ。今の政権が続くかどうかではなく、自由な体制そのものが崩壊するかもしれないという意味で、わが身なんですよ。

萱野 その点では、安倍首相以前の政権は、景気が上向かない責任を日銀に負わせることができたわけだったのですが、「アベノミクス」と打ち出したとたんに、デフレの責任を日銀と共同で負うことになってしまったわけですね。それは、一時的に政権への求心力を高めて、政治的には権力を安定化させる効果はあったのでしょうね。

権力を維持するためなら何でもやるというのが、安倍さんの姿勢だと考えると、それによって長期的には日本のさまざまなシステムが毀損された、日本の政治や社会を不安定化してしまったとしても、政権にとっての最善解はとったんだろうなという気はします。

そして最後は、もう本当に大盤振る舞いの財政出動しかないというような状況になってきた。やはりわれわれ自身が今、生活が苦しくなっているのは単なる一時的な不況のせいだと思うことをやめないといけませんね。

岩村 そうです。それが合理的な判断です。でも、そうした判断を民主的な合意形成メカニズムの中で実現できるかというと、そこに疑問がある。これは、行動経済学といわれる分野の成果の1つなのですが、人々は豊かな未来が展望できる時には、リスクを避けて平均的に成功するような方策を選ぶのですが、貧しい未来しか展望できないと、一か八かというような無茶な選択をすることが多いということが明らかになっています。だから、貧しくなると予感する世界での集団的意思決定には危険な要素があるんですね。かつての日本の泥沼の戦争突入や、現在のアメリカにおけるトランプ氏の登場には、こうしたことが関係しているように思います。

萱野 トランプ氏の言っていることは、10年後、20年後のアメリカをある種、先取りした言葉でもあるかなと私は思うんですよ。


世界各地で開き続ける格差

岩村 モンロー主義という言葉がある通りで、アメリカというのは孤立主義的な伝統の国なんですね。ただ、そのアメリカは、1950年代のアイゼンハワー大統領の頃あたりから、マインドセットを切り替えてきたわけです。アメリカという人口3億の国は、周りの国をやわらかく1つに統合することで、もっと大きな世界の代表として振る舞うことを始めたんですね。それは「パックス・ロマーナ」の時代ともよく似ています。たかが人口数十万の都市国家に過ぎないローマが数百万の地中海世界のリーダーであり得たのと、あまり変わらないのが「パックス・アメリカーナ」です。寛容な普遍主義による世界支配なんです。

今もアメリカにとって最適な道は寛容と普遍主義のはずですが、問題は、それがアメリカ人の多くの人の支持を得られなくなってきているということ。その大きな理由は格差です。金融政策が成功しようと失敗しようと、格差は拡大しているのが現在の世界です。それを外国のせいに結びつけるとトランプ氏が登場するんですね。あるいは国内の再分配が必要と考えるとサンダース氏になるわけです。

萱野 先進国で格差が開いた原因として、先進国で成長が止まったことが大きいのかなという気がするのですが、その認識はいかがですか。

岩村 私は、そうでもないと思います。「失われた20年」などと言っていた日本も、「America's back」と誇らしげに唱えていたアメリカでも、格差は同じように拡大しています。成長と格差の関係は単純でないのです。

萱野 特に90年代以降、アメリカはバブルで拡大局面にあったにもかかわらず、結局、格差は広がっているということですか。

岩村 サッチャーの名ぜりふがありますね。彼女は、自分の市場主義に反対する人たちに、「彼らを貧しくしても、あなたたちは豊かになることはできない」と言いました。ここで、「あなたたち」は貧しい人たちで、「彼ら」は富裕層です。このセリフは、世界が豊かになれば自分たちも成長の果実にあずかれる、そう貧しい人たちも思っている限りは、市場主義の普及のために実に有効なメッセージでした。でも、自分たちが成長の成果から常に置き去りにされる、そう思う人が増えてくれば、「あなたは何をしても豊かになれない」つまりは絶望の未来を示唆するメッセージになってしまうのです。


民意が合理的な決定にはならない?

萱野 中央銀行は成長の時代だったからこそうまくいったのと同じように、実は民主主義も成長の時代だからうまくいったんじゃないかな、と。

現代の民主主義には利益誘導の側面があり、典型的には、税金を地方に政治家の力で持っていく。それによって票が事実上、買われることになり、その政治家が、当選を重ねて権力を固めていくという形。あるいは、法案を自民党が通そうとする。それに社会党が反対する。それで自民党は「わかりました。あなたたちの法案も通しますから、これも通させてください」、と。でも、どちらも政策である以上、予算が必要で、余計使われるお金がどんどん増えていく。

要は合意形成自体が、民主主義のもとではお金がかかる。その原資はどこから来たのか。それは成長による税収の拡大だろう。それがあったからこそ民主主義というのはうまくいったんじゃないかと、私は考えています。

岩村 その通りです。問題は、ジリ貧の未来を予想する人々には、一か八かで現在の豊かさを維持できる可能性に賭けたいという衝動が生じてしまうということです。これはいい悪いじゃなくて、人間の本性の1つなのだというのが、あの本にも書いておいた行動経済学から得られる知見です。

成長の時代では民意に任せていけば、穏やかで合理的な決定ができることも多かったはずです。しかし、縮小の時代では民意自体が危険な賭けを選んでしまう可能性が高いということです。

萱野 非常に示唆深いお話だと思います。今後、日本が人口減少していく中では、増税のような不人気政策をとらざるを得ない状況にある。となると、民意を背景とした政策決定ではない決定の仕方を考えていかなければいけないということにもなるのでしょうか。

岩村 そこが微妙なところで、しかし民意は民意なのです。民意を無視したような政策決定プロセスは、国という合意基盤を壊しかねない、これはさらに危険なことだというようにも思います。

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岩村充
1950年、東京都生まれ。東京大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。ニューヨーク駐在員、日本公社債研究所開発室長、企画局兼信用機構局参事を経て、1998年、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授に就任。現在は同大学院経営管理研究科教授。著書に『電子マネー入門』(日経文庫)、『サイバーエコノミー』(東洋経済新報社)、『貨幣の経済学』(集英社)、『貨幣進化論』(新潮選書)など。最新刊に『中央銀行が終わる日』(新潮選書)。

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萱野稔人
1970年、愛知県生まれ。早稲田大学文学部を卒業後フランスに留学し、2003年、パリ第十大学大学院哲学科博士課程を修了、哲学博士。津田塾大学学芸学部国際関係学科教授。著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『権力の読みかた』(青土社)、『金融危機の資本論』(本山美彦氏との共著、青土社)、『暴力と富と資本主義』(角川書店)など。

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(2016年7月1日フォーサイトより転載)