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日本は右傾化しているのか?

2015年09月02日 16時11分 JST | 更新 2016年09月01日 18時12分 JST
ASSOCIATED PRESS
Japanese Prime Minister Shinzo Abe delivers a statement to mark the 70th anniversary of the end of World War II during a press conference at his official residence in Tokyo Friday, Aug. 14, 2015. Abe has expressed "profound grief" for all who perished in World War II in a statement marking the 70th anniversary of the country's surrender. (AP Photo/Eugene Hoshiko)

米国で日米関係を議論していると、「日本は右傾化しているのか」とか、もっと踏み込んで「日本は軍国主義化(militarized)しているのか」というような質問をしばしば受ける。日本における「右」と「左」の区別は混沌としているので、そのあたりの議論は宇野重規氏が2年前に『フォーサイト』に執筆した論考(「日本において『保守とリベラル』『右と左』は何を意味するか」)を参照していただくとしても、「日本の右傾化」という問いは第2次安倍政権が発足して以来増しているように思われる。

まず断っておかなくてはいけないのであるが、「日本の右傾化」という問いそのものにはあまり意味はない。日本右傾化の根拠は、「右寄りの安倍晋三氏が首相になったのであるから安倍氏を選んだ日本国民も右傾化しているに違いない」というものである。しかし、2012年衆議院選挙での自民党の勝利は、いうまでもなく、それまで政権を担っていた民主党への、とくにその経済政策に対する失望によるものであり、安倍氏の右寄りの政治的立場が支持されたからでは決してない。2014年の衆議院選挙でもその傾向は変わらなかったといってよい。

しかしながら、「右と左」の話は現在国会で審議されている安保法制をめぐる議論でも話題になっているので、前回の論考「安保法制議論の『迷走』を米国から見る」で指摘したように国会審議で安全保障問題がまともに議論されていないという現実を踏まえて、安保法制が日本の安全保障に抜本的な変革をもたらすものなのかという点を、本稿では考えてみたい。

日本は「平和主義」だったのか?


安保法制が衆議院で可決された数日後、7月20日付のウォールストリート・ジャーナル紙に国際政治学者のジェニファー・リンド氏(ダートマス大学准教授)が寄稿し、「日本が平和主義を希求したことは実は一度もない」(Tokyo never actually pursued pacifism.)という論陣を張り、注目を集めた(Japan's Security Evolution, Not Revolution「過去の延長線上にある日本の安全保障政策」)。リンド氏に言わせれば、「戦後日本の安全保障戦略は常に、防衛においてまず米国に頼れるところは頼り、必要に応じて足りない部分を日本が担う」(Its postwar strategy was always to rely first on the U.S. for defense, doing less when it can but more when it must.)という形で展開されてきたのであり、今回の安保法制もその延長線上にあるという。「平和主義」(pacifism)は日本が戦前の軍国主義には戻らないという決意を示す効果は大いにあったが、実際の政策においては「日本は早々に平和主義を放棄して限定された再軍備と米国との同盟に基づいた安全保障戦略の採用に踏み切った」(Tokyo decisively rejected pacifism by adopting a grand strategy of limited remilitarization and alliance with the U.S.)というわけである。

日本が本当に「平和主義」を志向してこなかったのかどうかは「平和主義」の定義にもよるが、少なくとも日本の安全保障戦略が、その時々の国際情勢に応じた防衛力を確保する政策を行ってきたという点において、他国と比べて特殊であったわけではないことは筆者も同感である。たとえば、1970年代半ばに海上自衛隊が世界トップクラスの軍事力をもつようになったのも、ソ連が極東での軍事力を増強したのに対応したものであり、「日本が軍事力を強化するのは直接的な脅威に対応しなければならないときだけだ」(Japan would only increase its military power and roles if it was directly threatened)とリンド氏は主張する。

日本の特殊性を強いて挙げるならば、戦後日本の再軍備を心配した米国が防衛力の提供を申し出たがゆえに、日本は「親米」の姿勢を取っている限りは「軽軍備」で経済発展に注力することができるという立場をあたえられたというところであろう。「吉田ドクトリン」とよばれる「親米」「軽軍備」を柱とした外交政策は冷戦期を通して一貫していた。つまり、安全保障戦略の根幹を成してきたのは「平和主義」ではなく「親米主義」だったわけである。

「新ガイドライン」と安保法制


それでは、戦後70年という節目の年にあらためて安保法制化を行う意義とは何であろうか。5月23日付の論考「安倍訪米後の『新時代』日米関係(中)一段踏み込んだ『同盟』」で述べたが、4月の安倍首相訪米は日米同盟を一段上のレベルに引き上げたと考えられる。

安保法制議論の迷走ゆえに忘れてしまった人もいるかもしれないが、安倍首相訪米に合わせて発表された新しい「防衛ガイドライン」(「日米防衛協力のための指針」The Guidelines for Japan-U.S. Defense Cooperation)に合わせた国内法の整備を行うというのが、安保法制の出発点であった。新ガイドラインは冒頭で「シームレス」(seamless)ということばを用いて、平時にも有事にも対応できる制度構築の必要性を明言している。同時に、政府内組織の連携、国連などの国際機関との協調関係が日米の安全保障政策と整合することの重要性も強調している。

日本を取り巻く安全保障環境に鑑みて、政府内組織の連携でとくに重要となるのが自衛隊と海上保安庁のシームレスな関係ではなかろうか。日本の領土、領海、領空の防衛を担っている自衛隊の行政機関は防衛省であるが、東シナ海、とくに尖閣諸島周辺における領海警備を担っているのは国土交通省に属する海上保安庁である。

安全保障の観点から見れば両者がシームレスに連携すべきであることは当然のことなのであるが、海上保安庁は防衛省ではなく国土交通省に属しているために、実際の運用では不都合が生じることがある。たとえば、尖閣周辺接続水域への侵入船を退去させるには、侵入船を上回る数の巡視船が必要になる。けれども、海上保安庁が巡視船の数を増やそうにも国土交通省の予算制約で思うように増やせないという問題に直面する。

また、東シナ海での侵入船への対応は海上保安庁の仕事であるのに対して、日本が領海をもたない南シナ海で米軍と協力するとすれば、それは自衛隊の任務ということになり、集団的自衛権の問題とも絡む。一方、米軍は南シナ海と東シナ海の防衛を一体としてとらえている節がある。沖縄とシンガポールの間に駐留基地をもっていないことがあるし、フィリピンの駐留基地復活なども方策として議論されてはいるが、時間のかかる解決策であり、当面はフィリピンへの艦船寄港を増やすといった形で対応するようである。いずれにしても、南シナ海の安全保障について米国は日本の協力を求めていることは察せられる。

特別措置法の交通整理


国連の平和維持活動(PKO: peacekeeping operations)を含む海外での自衛隊の活動については、これまで特別措置法の制定・運用で対応してきた。米軍の関係者と話をすると、自衛隊のこれまでの国際協力活動は高い評価を受けていることがわかる。

たとえば、2001年に小泉政権の下で成立した「テロ特措法」に基づいて行われた自衛隊のインド洋での給油活動は、米軍ではなく日本の自衛隊だったからパキスタン政府も納得し、アラビア海での作戦全体をスムーズに行うことができたのである(2014年9月4日「『トモダチ作戦』指揮官が分析する東アジアの安全保障」で紹介したパトリック・ウォルシュ元太平洋艦隊司令官の言)。

では、特措法で対応可能であったのだから、わざわざ新しい法制を作る必要はないのではないかという考えもあろう。しかしながら、特措法の法体系は複雑になっており、パッチワークでの対応ゆえの齟齬も目立つ。逆に、「安保法制」といっても今までと大きく変わるようなことを法制化するのではなく、恒久法制による特措法の交通整理という役割も十分に意義があると思われる。これまで制定・運用されてきた特措法との関係は、安保法制を「どのようなものにするか」(How)という議論のなかで大いに論じられるべき問題なのであるが、国会審議が「賛成・反対の二元論」(Whether)に終始しているのは、極めて残念なことと言わねばならない。

安保法制で論じるべきこと


筆者は前回の論考で、国会の安保法制審議では「安全保障」が論じられてしかるべきだと主張してきたが、このような主張をしているのは筆者だけではない。今月3日には、日本を代表する国際政治学者12人で構成されている「安全保障法制を考える有志の会」が参議院の各会派に対して、国会で正面から安全保障を論じることを強く求める異例の要望書を提出した【リンク】。少し長くなるが、この要望書のなかで提起されている「国会審議で議論されれるべき安全保障問題」をまとめてみる。

(1)日本の安全保障における「抑止力」をどう考えるか。

(2)日米安全保障体制における日本と米国の役割分担をどう考えるか。日米同盟を維持・発展させるにはなにをなすべきか。また、オーストラリア、韓国をはじめ、アジア太平洋の国々とどのような安全保障協力を進めていくか。

(3)台頭する中国にどう対応するか。いかに関与し、また、そのリスクをどうヘッジすればよいか。

(4)「使える核兵器」をもちつつある北朝鮮の脅威にどう対処するか。

(5)日本のエネルギー供給を支える、中東湾岸からインド洋、マラッカ海峡、南シナ海、東シナ海を経由して、日本に至るシーレーンの安全保障を確保するために、なにをなすべきか。

(6)アジア、そして世界の平和と安全のためにわれわれはなにをなすべきか。

読者の皆さん、これらの問題にどう答えますか。あなた自身がこれらの問題に答えうるような包括的な「安保法制」を作らなければならないとしたら、どのような法制を作りますか。与党が提出した安保法制法案に「賛成」か「反対」かを声高に叫ぶのは実りがなかろう。安保法制を「我が事」として考えてみることによって、日本が直面している安全保障問題に対する理解も深まることが期待され、よりよい法制が熟成していくのではなかろうか。

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武内宏樹


サザンメソジスト大学(SMU)政治学部准教授、同大学タワーセンター政治学研究所サン・アンド・スター日本・東アジアプログラム部長。1973年生れ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)博士課程修了、博士(政治学)。UCLA 政治学部講師、スタンフォード大学公共政策プログラム講師を経て、2008年よりSMUアシスタント・プロフェッサーを務め、2014年より現職。著書に『党国体制の現在―変容する社会と中国共産党の適応』(共編著、慶應義塾大学出版会、2012年)、Tax Reform in Rural China: Revenue, Resistance, Authoritarian Rule (ケンブリッジ大学出版会、2014年)。ほかに、International Relations of the Asia-Pacific、Japanese Journal of Political Science、Journal of Chinese Political Science、Journal of Contemporary China、Journal of East Asian Studies、Modern Chinaなどに英語論文を掲載。専門は、中国政治、日本政治、東アジアの国際関係及び政治経済学。

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(2015年9月2日フォーサイトより転載)