日本は「トランプ大統領」を「正しく怖がれ」

極端なシナリオを想定して、心配を煽りすぎるのはあまり賢いとはいえない。トランプ現象についても「正しく怖がる」必要がある。

昨今、トランプが大統領になったら日本はどうするか? という質問を受ける機会が多い。

もちろん、現在進行中の共和党大統領選挙予備選でトップを走るトランプ候補が共和党の指名を獲得する可能性は十分にあるし、本選挙も民主党のクリントン候補が優位とはいえ、「トランプ大統領」が誕生する可能性がないわけではない。当然、「トランプ大統領」になったときの日米関係や、日本の対外戦略を考えておくことは重要だ。

しかし、現在の選挙戦でのトランプ発言をそのまま額面通りに受け取って、極端なシナリオを想定して、心配を煽りすぎるのはあまり賢いとはいえない。福島原発事故の直後、日本社会の中で、放射線の人体の影響について、極端な悲観論と楽観論が入り乱れたことがあったがその時期に、「正しく怖がれ」というメッセージが専門家から発せられた。トランプ現象についても「正しく怖がる」必要がある。

トランプ発言を「額面通り」に受け取るな

トランプの発言を額面通りに受け取るべきでない理由は以下の3点による。

第1に、トランプが今のような極端な政策や発言を続けて、大統領本選に残った場合、勝利する可能性は少ない。第2に、米国の大統領が議会や社会の合意なしにできることは限られている。第3に、政治家の選挙での発言がそのまま政策になることは、どのような民主主義国にもない。ましてや1年以上も選挙運動が継続する米国では、大統領候補の選挙戦での公約が守られなかった歴史のオンパレードである。

第1の点だが、鍵を握るアメリカの浮動層が本当に大統領を決めるのは、11月8日の投票日の直前、9月末から10月にかけて行われる3回の大統領候補のディベートを見てからである。

もし、トランプ対クリントンの対決になった場合、トランプがこれまでの共和党予備選で圧倒してきた、政治経験も浅くアピール力も弱い候補たちとは違い、政策経験が豊かで、政治の修羅場も何度も潜り抜けているクリントン候補と直接対決をすることになる。しかもレベルが高い厳しい司会者がおり、これまでのように意見をはぐらかして笑いをとるだけでは勘弁してもらえないだろう。

トランプが共和党の大統領候補に指名された場合、まずは政策アドバイザーチームを立ち上げて勉強しなくては、クリントンには勝てないはずだ。もしトランプがそれをまじめに行うとすれば、その政策は現実的なものになり、ディベートで生き残った「トランプ大統領」は、われわれが現在懸念している人物ではなくなっているだろう。

議会の抵抗

第2の点だが、2014年の中間選挙で民主党が上下院の過半数を失って以来、オバマ政権が苦労しているように、三権分立による行政府と立法府同士のチェック・アンド・バランスの機能が発達し、議会に大きな権限がある米国において、「トランプ大統領」が行えることは限られている。

とくにトランプが共和党のエスタブリッシュメントを敵に回したまま大統領になったとすれば、議会の共和党の一部と民主党を敵にするわけだから、やれることはかなり制限されることになる。

米大統領選挙では「コートテール効果」というのが重視される。大統領のコートの裾に乗っかって当選する議員の存在だ。それは大統領の人気にあやかって当選した議員が多く生まれることで、議会が大統領の味方になり、大統領が政権就任当初に多くの政策を実現することができる。

オバマ政権も、オバマブームに乗り当選した民主党の上下院での多数を背景に、リーマン・ショック後の経済対策、オバマケアなどを実現させた。「トランプ大統領」が、共和党のエスタブリッシュメントと対立したままでは、「トランプ大統領」は議会の大きな抵抗にあう可能性が高く、議会が反対するであろう政策、例えば日本や韓国などから米軍を撤退させること、などはできないだろう。

「公約不履行」は稀ではない

第3の点だが、過去の米大統領が選挙中に公約として挙げながら、実際には現実的でなかったために実現できなかった例として以下のようなものがある。

ジミー・カーター大統領は、在韓米軍の撤退を公約にしたが、結局、冷戦中の安全保障上の勢力バランスを考えれば、とり得る政策ではなく大統領も断念した。

ロナルド・レーガン大統領は、選挙中に、中華人民共和国と断交して、再度、台湾と国交を持つと公言していたが、やはり現実的には取り得る政策ではなく、レーガン政権はむしろ中国との良好な関係を構築した。

オバマ大統領は、選挙中にNAFTA(北米自由貿易協定)を見直すと発言したが見直しをしなかった。選挙中に経済政策アドバイザーが、オバマ政権は本気ではないという失言をして問題視されたこともあり、政権成立後の履行無視は特に大きな問題にはされなかった(クリントン候補のTPP反対も同じようになると予想されている)。

大問題は「米国民の内向き志向」

以上が、「トランプ大統領」を過度に怖がるべきでない理由だ。一方で、日本が正しく怖がるべきなのは、トランプおよびサンダース現象を引き起こした「米国民の内向き志向」だ。

現在、共和党のエスタブリッシュメントが、トランプ降ろしに動けば動くほど、トランプが草の根の支持を増やしているという事象は、米国政治に大きな地殻変動が起こっていると考えるべきだ。トランプ現象を起こしている米国のそもそもの変化をみておかなければ、第2、第3の「トランプ現象」を見誤ることになる。

民主党における「サンダース現象」も政治の地殻変動が生み出したものだ。しかし共和党の病状はより深刻だ。それはひとえに、共和党の政策と支持層の矛盾が民主党のそれより大きいからだ。共和党は小さな政府を目指し、経済の自由主義を志向して、民主党のような課税による所得の再分配や、社会福祉の充実による大きな政府を求めていない。

そして問題は、共和党は高所得層だけではなく、低中所得層の白人の保守派からも支持を集めてきたことだ。しかし経済のグローバル化が進む中で、この支持層の所得が伸び悩み、社会的な地盤沈下が進んできた。それに対して、共和党の伝統的な小さな政府を目指す政策はなにもできなかったし、将来のビジョンも示していない。

理屈からいえば、白人の低中所得層の支持は、民主党に集まりそうだが、白人の共和党支持層のプライドは、マイノリティーを優遇する民主党よりも、減税と自助努力をベースにする小さな政府の政策に彼ら自身を向かわせた。

たとえば、2010年の中間選挙で、共和党を下院の多数派にしたティーパーティー支持層などだ。しかしその共和党議会は、オバマ政権と出口のない泥仕合を続けるだけで、何の具体的な成果も出せなかった。

そこに現れたのが、白人のプライドをくすぐり、ブルーカラーの苦境を理解してくれそうな、そして何より歯に衣着せぬ発言で自分たちの「敵」である移民労働者、マイノリティー、中国、メキシコ、日本などの貿易ライバル国、自由貿易協定そして旧来の共和党のエスタブリッシュメントを滅多切りにしてくれるトランプ候補だった。

「集団的自衛権」容認はタイムリーな政策

このような構造を理解しない限り、トランプ現象は理解できない。そして、この層が一定の政治勢力となり影響力を行使するのであれば、TPPなどの自由貿易政策には逆風が吹き続け、米国の海外での軍事力行使のハードルも高いままである。

ただし、トランプが共和党大統領候補として勝ち残るためには、弱体化している白人ブルーカラー層だけの支持だけでは不十分で、高所得のホワイトカラー層からの支持も不可欠だ。共和党がトランプの政党になるという心配はしなくていいが、白人ブルーカラー層の「内向き」の不満が継続することは心配すべき点だ。

また国際関係を冷静に考えれば、北朝鮮の核能力が拡大し、中国の南シナ海での拡張姿勢が続くアジア太平洋地域で、「トランプ新政権」が、中国と劇的なディールをしない限り、日本や韓国という同盟国との関係を捨てることは不可能だ。

しかし、その中国こそが、トランプを支持する米国のブルーカラーの職を奪ってきた存在なのである。しかも劇的なディールをするには中国の将来の経済状況はあまりにも脆弱であり、損得勘定が先行するビジネスマンのトランプが飛びつく政策だとは思えない。

結局のところ、日本人は米国民の内向き志向を正しく怖がる必要がある。日本は、米国にアジアでのプレゼンスを維持させることが死活的利益であり、内向きの米国民に、同盟国が「タダ乗り」をしているという誤解を解き、それが米国民の利益にもなっているという事実を実感させる必要がある。

その意味で、安倍政権の打ち出した「積極的平和主義」は、日本が自らアジア地域の安定に汗を流すことであり、集団的自衛権行使は、内向きの米国民に日本が安保「タダ乗り」をしていないことを伝えるタイムリーな政策ともいえる。今後、その遂行は日本の生き残りのために重要な課題となろう。

渡部恒雄

東京財団ディレクター(政策研究)/上席研究員。1963年生れ。東北大学歯学部卒業後、歯科医師を経て米ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチで政治学修士号を取得。1996年より米戦略国際問題研究所(CSIS)客員研究員、2003年3月より同上級研究員として、日本の政党政治、外交政策、日米関係などの研究に携わる。05年に帰国し、三井物産戦略研究所を経て現職。著書に『「今のアメリカ」がわかる本』など。

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(2016年4月25日フォーサイトより転載)

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