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出光・昭シェル「合併反対」騒動:経営統合に潜む「可能性」と「リスク」

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出光興産と昭和シェル石油の経営統合計画が、出光創業家の反対で頓挫する可能性が出ている。創業家の"反乱"には思惑と打算もあり、与する考えはまったくないが、今回の件は日本でも急増する「経営統合」をより慎重に考える必要性を示しているのも事実だ。

即効性の合理化効果のみを求める経営統合に潜む落とし穴に注意するべきである。企業の理念、文化の違いや、なにより社員、取引先の心情を軽視した「木に竹」どころか「鳥と魚」を接ぐような経営統合は、長期的にみればうまくいくはずがないからだ。

「人間尊重」という理念

出光興産は1911年に門司(現北九州市)で石油販売業として創業、新しい商売、市場に挑戦することで急成長した。創業4年目には中国大陸に進出、満州から華北、華南と営業エリアを広げていった。既存の石油会社が支配する国内市場ではなく、しがらみのない中国で強さを発揮した点に、今にもつながる出光興産のアグレッシブさが表れている。だが、終戦とともに中国にあったすべての資産、商売を失った。

凡百の会社ならそこで終わっていただろうし、残ったとしても戦地から復員してきた元社員を全員受け入れることなどなかっただろう。だが、創業者の出光佐三氏は復員した社員全員を再雇用し、意気に感じた社員は醤油醸造からラジオ修理までなんでもこなして、会社を建て直した。これが出光の「人間尊重」の実践であり、バイタリティだ。

戦前は単なる販売業だった出光は、1957年に山口県徳山市(現・周南市)の旧海軍燃料工廠の払い下げを受け、徳山製油所に改造し、精製に進出。さらに石油化学にも展開した。石油製品販売では1960年代からの日本のモータリゼーションの波に乗ってシェアをぐんぐん広げ、日本石油(現JXエネルギー)に次ぐ2位にのし上がった。90年代には燃料油合計で業界トップに立った年もあった。

「会社は人を育てる場である」

北九州の一石油販売業者が世界に知られる石油会社にまでなった原動力は、出光イズムと呼ばれる理念にある。今春まで新聞記者だった筆者は、エネルギー産業を国内だけでなく中東、ロンドン、中国などの海外駐在先でも長く見てきた。

各地で多くの出光マンに出会ったが、組織にすがって生きるひ弱なサラリーマンはほとんどいなかった。組織の枠に縛られず、やるべきと信じれば突進するアグレッシブなタイプが多いのが出光だった。出光イズムは英政府やメジャーに逆らった1953年の日章丸事件(独立国でありながら石油資源は英国の支配下にあったイランと極秘裏に交渉し、英国海軍の警戒網を潜り抜けて石油製品の輸入に成功。

英国からの批判や訴訟をものともせず裁判でも勝訴し、石油の自由貿易の嚆矢となった事件)がよく知られるが、日々の商売にこそ最も特徴的に表れていた。

筆者がロンドン駐在中に直接目にしたのは、ポルトガルのガソリンスタンド網を買収し、戦後、日本の石油会社として初めて海外で石油製品販売に乗り出したことだ。国内シェアの上下に一喜一憂していた大半の元売りとはまったく異次元の世界を舞台にした発想、行動力だった。

こうした動きが若手の発案で始まり、経営層も「挑戦してみろ」と背中を押すのが出光であり、その根底には「会社は人を育てる場である」という創業者の理念がある。出光の歴代トップから直接聞いて最も驚いた言葉は、「人を育てる目的が果たせなくなれば、出光興産はなくなっても構わない」というものだ。

出光興産には社員教育の一環として「店主(創業者)教育」というものがあった。半年間、業務を離れ、出光佐三の言行録などを学び、ゆかりのある宗像大社(福岡県)などにも参るというものだ。また、民族主義的と誤解されかねないが、出光興産の本社が東京都千代田区のお堀端の帝劇ビルに置かれているのは、「皇居を遙拝できる場所」という創業者の考えからだ。

それゆえに長らく非上場を貫き、独自の経営理念を追求してきた。株主利益の極大化といった米欧企業の経営目標とは明らかに異なる。ただ、両者が矛盾しているわけではない。「人を育成する」ことが「強い企業、挑戦する企業」をつくり、その結果として多くの利益も生み出せるようになるという信念が根底にあるからだ。ジェームズ・コリンズ、ジェリー・ポラスはビジネス書の名著『ビジョナリー・カンパニー』のなかで、変わらない理念、長期の目標を持つ会社こそ成功すると論じたが、出光興産はまさにその実例といえる。

シェルの根幹をなすメソッド

一方の昭和シェル石油。英蘭系メジャー、ロイヤル・ダッチ・シェルの日本におけるグループ会社だが、海外に多数あるシェル子会社とはやや異質だ。日本の精製元売りだった昭和石油と1985年に合併しており、日本の民族系石油会社の要素も持つからだ。さらにサウジアラビアの国営石油会社、サウジアラムコも出資したことで多様性のある企業となった。

ただ、経営の論理はメジャーそのもので、合理的かつ世界と将来を見渡して必要な手を早めに打っていく会社だ。ロイヤル・ダッチ・シェルが世界で尊敬される要因は、事業規模だけでなくその先見力であり、そこでエクソンモービルなど他のメジャーに差をつけてきた。先見力の基は「シェル・シナリオ・プランニング」と呼ばれるメソッドだ。

これは、世界がどう変化するかを多数の要因にまで掘り下げ、要因同士の関係を考え、そこからあり得る将来をシナリオにくみ上げる手法であり、あり得る将来の経営環境に対応するには何が必要かを世界のグループ会社の経営層に考えさせる。シェルが1970年代の産油国の影響力拡大、天然ガス時代の到来にいち早く対応できた理由はこのシェル・シナリオにある。そうしたメジャーでも最も優れた会社の日本法人が昭シェルなのだ。

単純化のしすぎかもしれないが、「変わらぬ理念を基盤に人を成長の力とした出光興産」と「徹底した合理主義と、将来を読み、変化を信条とするシェル」の間には、企業として大きな違いがあるのは間違いない。出光興産と昭シェルが合併して1つの企業になる姿は想像しにくいし、一緒になった場合の企業文化の違いが生む軋轢の大きさは一般の経営統合とは比べものにならないだろう。

「成長」のための選択肢ではない「統合」

では、なぜそうした無理を知りながらも両社の経営陣が統合という動きに向かったかと言えば、言うまでもなく国内の石油需要が縮小の一途をたどっているからだ。石油元売りの事業は、原油を輸入し、製油所でガソリン、軽油などを生産、油槽所やタンクローリーなどを使って配送し、ガソリンスタンド(SS)で販売するネットワーク型ビジネスである。

複数の企業が統合して精製設備を削減したり、ネットワークを集約したりするコスト削減効果は大きい。1980年代以降の元売り再編は多かれ少なかれ、ネットワーク統合のメリット追求にあった。出光―昭シェル統合計画と、それに刺激されるように浮上したJX―東燃ゼネラル石油の統合構想は、そうした元売り再編劇の最終章と言える。

ただ、出光興産は大手元売りの中では唯一、他社との統合経験のない孤高の存在。その分、他社とのネットワーク統合のメリットは出やすいだろうが、経営陣から系列スタンドまでまったく未知の経験、未踏の領域である。JXの場合、旧日本石油が三菱石油と統合して新日本石油に、そしてさらに新日鉱ホールディングスと統合するなど経験を積んできたのとは対照的だ。

旧・新日鉱が日本鉱業と共同石油の統合会社だったことまで考えれば、JXは4社以上の大石油会社が集まった集合体であり、さらに東燃ゼネが加わることに社内の違和感は薄いだろう。東燃ゼネはエクソンモービル系だが、旧日本石油は戦後長らく米カルテックスと原油調達、精製事業などで密接な関係があり、外資との親和性は高い。

出光興産が未踏の経営統合に将来をかける選択は確かにあるだろうが、それが唯一の選択肢だったとは言えないだろう。スタンドなどネットワークの統合は、コスト削減効果は期待できても市場が縮小する日本国内での"後ろ向きの戦略"であり、未来に向けた成長の選択肢ではないからだ。

メガバンクの現状

石油と同じネットワーク型ビジネスは日本では例外なく業界内統合に向かっている。、石油元売りにとっての「ガソリン」と同じように「お金」という共通商品を扱うネットワークビジネスの銀行業は、都市銀行が再編を繰り返し、遂に3つのメガバンクに集約された。支店、ATMなどの集約によるコストや人員の削減効果は確かに大きかったが、3メガバンクが世界的に見て競争力の高い金融機関に生まれ変わったわけではない。

むしろ、統合した複数の銀行間の制度、システムなどの統合作業や人事をめぐる派閥争いに精力を削がれ、新しい収益源を編み出せないままだ。結果的に資金運用の国債依存が深まり、マイナス金利の導入とともに今や経営が根底から揺さぶられている。つまり、国内のネットワーク統合だけで未来が拓けるわけでないことは、3メガバンクの現状がよく示しているのだ。

また、ビール洋酒業界ではキリンとサントリーが経営統合に合意しながら、最終的に破談となった。創業家が独自の理念で経営する出光タイプのサントリーとシェルのように骨格のしっかりした三菱グループ傘下のキリンとの間には、あたかも出光と昭シェルのように理念や社風に大きな溝があった。

破談した後の両社は経営が失速したわけではなく、むしろ逆に、サントリーのジム・ビーム(ビーム社)買収などそれぞれのグローバル展開を加速させ、成長戦略を見出している。もしサントリーとキリンが統合していれば、ジム・ビーム買収のような大胆な決断が下せたとは思えない。

安直な経営統合

ベトナム中部タインホア省ニソンに今、巨大な石油精製、石油化学コンプレックスが完成間近になっている。出光興産とクウェート国際石油などが進めている総額90億ドルのプロジェクト。モータリゼーションが進み始めた人口9200万人のベトナムは1960年代の日本そのものであり、ベトナムで2番目となるニソン製油所はスタートとともにフル稼働になるだろう。そうした絶好のチャンスを捉えるセンスと果断さ、相手国政府との粘りある交渉力は出光ならではと言える。

途上国の多くは石油産業に外資規制をかけており、伸びるアジア市場に自由に参入できるわけではないが、日本の元売りにとってミャンマー、フィリピン、カンボジアなど取り組める可能性がある市場は少なくない。その先にはインドなど南アジアやアフリカも浮上してくるだろう。

国内市場の縮小に対応する経営の選択肢は経営統合だけではない。むしろ理念、文化の大きく異なる企業同士が、無理な経営統合を図って組織や社員、販売店などに大きなストレスをかけ、強みや活力を喪失し、統合作業に足を取られて時間をロスするリスクも意識すべきだろう。出光創業家が統合の反対理由に挙げる「出光はイランと親しいため、サウジと親しい昭シェルとは合わない」という理屈は笑止千万だ。

出光がこれまで大量の原油や液化石油ガス(LPG)をサウジから調達し、サウジ東部では石化プロジェクトにも参加していた事実は業界関係者なら誰でも知っている。出光はサウジともきわめて親しいのだ。創業家の反対には自己を利する真意があるとしか思えない。重要なのは、国内需要の縮小への対応を安直に経営統合に求める動きが日本では急増しており、そうした経営に対しては、ステークホルダーはもっと声をあげるべきということだ。

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後藤康浩

亜細亜大学都市創造学部教授、元日本経済新聞論説委員・編集委員。 1958年福岡県生まれ。早稲田大政経学部卒、豪ボンド大MBA修了。1984年日経新聞入社。社会部、国際部、バーレーン支局、欧州総局(ロンドン)駐在、東京本社産業部、中国総局(北京)駐在などを経て、産業部編集委員、論説委員、アジア部長、編集委員などを歴任。2016年4月から現職。産業政策、モノづくり、アジア経済、資源エネルギー問題などを専門とし、大学で教鞭を執る傍ら、テレビ東京系列『未来世紀ジパング』ナビゲーター、ラジオ日経『マーケットトレンド』などテレビ、ラジオに出演。講演や執筆活動も行っている。著書に『ネクスト・アジア』『アジア力』『資源・食糧・エネルギーが変える世界』『強い工場』『勝つ工場』などがある。

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(2016年7月13日フォーサイトより転載)