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「北の核」で袋小路に追い込まれた「韓国」の日本接近

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9月9日に北朝鮮は5回目の核実験を行った。小型化した核弾頭を搭載する弾道ミサイルの実戦配備はもう回避できないとの認識は日本でも米国でも広がった。

しかし最も強烈な反応を示したのは韓国である。9月下旬にソウルを訪問したとき、20年から30年に及んで私が交際してきた韓国の知識人たちは、いずれも危機に臨む韓国の明日を決して楽観してはいなかった。

北朝鮮との取り組みの歴史がすべて失敗に終り、緊張が一挙に高まったことについては、「内政と外交の敗北」という総括が避けられないという点において、彼らの見解は一致していた。

また北朝鮮に抑制を利かすための対中国外交も、まったく期待が裏切られたばかりでなく、地上配備型超高度迎撃ミサイルシステム(THAAD)の韓国配備決定後は、抜き差しならぬほどの対立激化になっていることも彼らにとって想定外の展開であった。そして彼らの不安は更に続く。トランプ現象がかけ抜ける米国との間合いもまた頭痛の種となったのだ。

そうしたなかで、韓国にとっての日本の見え方が変化したという。ソウルの日本大使館から通りを隔てた歩道に設置された慰安婦を象徴する少女像の周りを、夜分も青年たちが取り巻くという図式は変わっていないが、こうした撤去拒否の「監視」が続いたとしても、明日の日韓関係の見え方に多少とも変容が生ずることはありうるというのが私の見解である。以下ではこれらの論点の1つひとつに点検を加えたい。


なぜここまでの判断ミスが......

9月22日、朴槿恵(パク・クネ)大統領は2000年の金大中(キム・デジュン)大統領が北朝鮮に対して開始したサンシャイン・ポリシー(北風でなく太陽で外套を脱がせようとする政策)を徹底して批判した。対話促進のために北朝鮮に金を渡したことは、彼らに核武装の資金と時間を与えたことに等しいとした。

平壌での南北対話の開始に当って、「現代」グループが4.5億ドルを秘密裏に北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)に渡した事実があったとされる。

金大中大統領が「現代」グループ創始者・鄭周永(チョン・ジュヨン)に何らかの形で金銭上の依頼を行い、北朝鮮の江原道で生まれた鄭周永氏もこれを断らなかったことは間違いないとされる。

鄭周永氏が政治的野心をもっていたことは広く知られている。

私も中曽根康弘政権の末期のころに鄭周永氏と面談したことがあるが、彼の対日関心は、中曽根後継政権の性格であった。当時「安竹宮」が日本でもいわれていた。安倍晋太郎、竹下登、宮澤喜一の3氏の性格や政策思考について彼は知りたがったのだ。

南北対話の行きづまりに直面した金大中大統領が、鄭周永氏との間で何らかの取引を行った可能性があるという点については、ありうることだと私も当時感じていた。

しかしこうした歴史が、5回目の核実験を契機として、あらためて問い直されそうな状況が生まれていることが新しい。祖国の再統一という願望からの視点が完全に否定されようとするとき、「なぜここまで判断ミスが続いたのか」という視点が一挙に前面に出ようとしているのだ。


中国の「背信」と「恫喝」

昨年の9月3日は北京で対日戦勝記念70周年のパレードが開催された。このとき米国の同盟国の首脳でただひとり朴槿恵大統領が天安門に立った。北朝鮮の暴発を抑制できるのは中国だけ、という認識からだとされる。

しかしその後の経緯は朴槿恵大統領にとって「背信」に近いものであった。2016年1月に北朝鮮が4度目の核実験を実施した直後、朴槿恵大統領からの電話に習近平総書記は出なかったという。追い込まれた韓国はTHAADの配備を決定するが、その後の中国からの圧力は生半可なものではなかった。

――韓国経済は輸出に依存する。韓国の中国向け取引は、その対米・対日取引の合計を上回る。にもかかわらず米国の軍事戦略をそのまま受容しTHAADの配備を行うとすれば、中国との関係が粗略に扱われたといわざるをえない。その結果についての覚悟はあるのでしょうね――。

ソウルで会った閣僚経験者の1人は、こうした中国の恫喝に韓国が屈することがあれば、韓国は中国に従属したことになるとの認識を明らかにした。

中国に対する不信感は、中国の企業が核兵器やミサイルの部材やその製造過程に不可欠な原料を北朝鮮に供与している疑いがあることでも深まっている。厳格な禁止措置の実行に、北京の当局は関心を寄せてはいなかったのだ。

北朝鮮の路線が明瞭になった以上、韓国政府は従来とは異なる対応を中国に対してせざるをえなくなった。当然のことながら、韓国の近代史においてこれは望ましい路線とはいえない。韓国企業の対中国戦略は基本のところで変更を迫られつつある。なぜ道筋を誤ったのか、という問いが韓国の知識人にさしかけられているのだ。


SS20と80年代前半の欧州

米国との間合いも簡単だとはいえない。北朝鮮の核武装化は韓国の安全保障戦略の基本を問うに至った。そして「核の傘」の米国による提示という拡大抑止戦略は本当に役割を果たすのかという問いかけが、議会やメディアでも行われるようになったのだ。

この状況を記述するうえで1980年代に入る直前にSS20というソ連が配備した中距離核戦力によって西欧で生じた動揺が多少手掛りとなるかもしれない。

SS20の配備によって当時の西独の国防軍が受けた衝撃を語ってくれたのはバイエルン州首相をつとめたシュトラウス氏だった。彼は1970年代前半まではドイツの再軍事化の波を政治的に担う可能性があると評されてきた。バイエルン州はナチス・ドイツの勃興の基盤となったところでもあり、ポピュリスト的な政治要求表現に長けた政治家だった。

しかし80年代に入ると、東独との接触の必要性も説くようになっていた。彼が私に述べたことは次のようなものだった。

「ミュンヘンでドイツ国防軍の幹部会議が開催され、そのあとはパーティが予定されていた。会場にあらわれた将軍たちはいずれも顔面蒼白という態だった。彼らが受けたSS20の配備についての説明は西独の存続を恐怖にさらすものだったからだ」

SS20は西欧の全域に達するが米国に達することはない。たとえSS20が発射体制に入ったとしても、核弾頭が米国に達することはない。それでも米国は本気で米ソの核戦争に踏み出すだろうかという疑問が、西欧の政治主導者の間に広がる気配が生じたのだ。

ここから巡航ミサイルとパーシングⅡという中距離核戦略の西欧内への配備問題が生まれた。SS20に対してはそれに匹敵する核装備に入らざるをえないという論だ。これについては、西欧で生じた反核運動の盛り上がりや、1987年の米ソ間における中距離核戦力の廃棄合意までの射程で論ずる必要があるが、80年前半において「核の傘」の信頼性が論じられたことを述べるにとどめる。


米への不信、日本との協調

韓国の内部では、米国を韓国の防衛にいかにして引き込むのか、という視点からの戦略再検討が開始されている。米国の戦術核の韓国内への再配備や米国の先端戦略兵器の韓国への常時配備や米国原子力潜水艦の導入などが急遽論じられるに至った。

米国でもオバマ政権のもとでの北朝鮮に対する「戦略的忍耐」対応が問われることは確実だ。北朝鮮が非核化措置をとるまでは交渉に応じないというペイシャンス(忍耐)だけでは、北朝鮮の暴発を阻止できなかったのだ。韓国政治の内部亀裂の先鋭化と呼んでよいほどの動揺に対して、どのような対応ができるのかを自らに問わざるをえない。

ソウルからの対日関与の基本も変化せざるをえない。2つの発言に今回接することができた。

ひとつは李明博(イ・ミョンバク)前大統領の任期末期の「竹島(独島)」上陸である。彼の周辺は「レイム・ダック期間に入った大統領の対日強行策は次の大統領の立場を非柔軟なものに追い込むので、決して実行すべきではない」と反対したという。

こうした当時の実態を私が韓国の知識人から聞けるに至ったのは初めてのことだ。日本と韓国との間に歴史問題が存在することについては、彼らはもちろん誰も否定しない。しかしその扱いについては明日を見据えた慎重さが必要であると述べることは、もうタブーではなくなったのだ。

もうひとつはTPP(環太平洋経済連携協定)への加盟問題である。韓国のビジネスがTPPに二の足を踏んだのは、日本の製品が自由に韓国市場に入ることへの恐怖であった。元貿易担当の閣僚は「LED業界を除いて、他のすべての業界が日本との質の高い経済統合に反対だったが、もうこうした態度は排すべきだ」と述べた。

北朝鮮の核武装化は中国との経済関係の不安定化のなかで、産業政策においても仕切り直しは回避できないとの声が広がりをみせる。日本と韓国との関係強化の基盤として何を用意できるのかという検討を、日本の側でも真剣に工夫すべきであろう。

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田中直毅

国際公共政策研究センター理事長。1945年生れ。国民経済研究協会主任研究員を経て、84年より本格的に評論活動を始める。専門は国際政治・経済。2007年4月から現職。政府審議会委員を多数歴任。著書に『最後の十年 日本経済の構想』(日本経済新聞社)、『マネーが止まった』(講談社)などがある。

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(2016年10月20日フォーサイトより転載)