メキシコ「自虐サッカー」の屈折と日本の課題

メキシコのサッカーはしばしば、日本が目指すべきお手本として、引き合いに出される。

7月末のメキシコ・リーグ開幕戦、強豪「ラ・マキナ(マシン)」ことクルス・アスルはホームにモナルカス・モレリアを迎えた。

圧倒的に攻めながら決定機を外していたクルス・アスルは、前半30分になろうというところで、ついにPKを獲得する。キッカーは元メキシコ代表のボランチ、ヘラルド・トラード。

だが、キックは左のゴールポストに当たり、跳ね返ったこぼれ球をクルス・アスルの選手が再びシュートするが、大きくバーを越えていった。クルス・アスルにとって、今年に入ってリーグ戦3本目のPK失敗である。

とたんにホームスタジアムの怒りが爆発。「ロートルはとっとと引退しろ!」などとトラードを罵る怒号が渦巻いた。さらに数分後、トラードがボールを奪われてピンチを作ると、以後トラードは試合終了に至るまで、ボールを持つたび、自分を応援しているはずのサポーターたちからブーイングを浴び続けることになる。たとえそれがチャンスで決定的なパスを出すプレーだとしても。

自チームを罵る応援

メキシコのサッカーはしばしば、日本が目指すべきお手本として、引き合いに出される。体格が小柄で日本人と似ており、フィジカルに頼るのでなく、細かな機動力を武器にパスで相手を翻弄する点などが、日本選手にも真似できるとされている。ブラジル・ワールドカップの後にメキシコ人のハビエル・アギーレ前監督が招聘されたのも、その理由からだった。

だが私は、実際にメキシコ・リーグのサッカーをスタジアムで見て、あまりにもJリーグからは遠いとも感じた。その1つが上記のような、観客の容赦なさである。前半のまだ反撃の時間がたっぷり残っている段階で、たった1つのPK失敗と失点にはつながらなかったミスだけで、味方からブーイングを浴び続けるという事態は、Jリーグなら考えられない。そんな行為はチームの足を引っ張るもので、ファンであればトラードが気持ちを立て直すべくさらに熱い声援を送るべきだと考えるだろう。

そもそも、チームの要であるトラードのプレーは、何度もチャンスを作り出していた。ミスの場面も、私には、マークされているトラードにパスを出した選手の判断の誤りに見えた。

だが、観客にはそんな事情をくむ気はないようだ。失敗すれば、とにかく罵る。結果を出せなかった者を、厳しく断罪する。逆に1対1の勝負に勝ったり、相手をあざ笑うようなプレーでかわしたりすると、絶賛する。

解任された代表監督

試合は、PK失敗を機にクルス・アスルが流れを失い、直後にモレリアが見事なカウンターから先制点を決めると、数分後にもう1点追加。さらに、クルス・アスルが反撃に出ようとした後半開始直後、ディフェンダーとキーパーの意思疎通のミスをついて、3点目を奪う。

すると、クルス・アスルのファンたちは何と、モレリアのパス回しに「オーレ、オーレ!」の大合唱を始めたのである! これは普通、味方のチームが快勝しているときに出るエールである。それを敵チームに送るメキシコ人のアイロニーときたら!

さらに、ゴールを決めた敵のフォワードが交代になるときも、拍手を送った。敵選手へ賛辞を送っているわけではなく、不甲斐ない自チームへの嫌味なのである。

これはクルス・アスルのファンに限ったことではない。7月には北中米カリブ選手権「ゴールドカップ」もアメリカで行われていてメキシコは優勝したのだが、そのグループリーグでトリニダード・トバゴと4-4の大味な打ち合いを演じたときも、テレビの放送陣はメキシコが失点するたび、自嘲的に爆笑するのだった。ちなみに、この放送陣の面々を、メキシコの代表監督ミゲル・エレーラが帰国時の空港で殴るという事件が起き、同監督は解任された。

「孤独」と「勝負強さ」

メキシコ人は陽気だと言われるが、じつはとても屈折してもいる。このひねくれぶりはラテンアメリカの中でも際立っている。物事を直接的に表現するのを嫌い、ダブルミーニングの言い回しを多用する。そんな性格を身につけた要因の分析は、ノーベル賞作家オクタビオ・パスの代表的名著『孤独の迷宮』を読んでいただくとして、このアイロニーはサッカー観戦でも存分に発揮されているわけだ。

観戦していて、このような自嘲的な罵声が納得できるものかといえば、そうとは言えない。私は、Jリーグの応援がこのようになってほしいとは思わない。セレッソ大阪に在籍したディエゴ・フォルランを始め、日本にいたことのある海外のスター選手がJリーグの環境に感銘を受けるのは、日本のサポーターの温かい眼差しがあるからこそだ。

同時に、その優しさが、ここ一番というときの勝負弱さを作り上げていることも否めない。自虐的なブーイングを浴びながらもまったく変わらぬプレーを続けるトラードの姿に、余人には理解できないプロ選手の孤独を感じたし、その孤独を味方にできる選手だけが大舞台で力を発揮できることを、肌で味わった。

日本のサッカーは、まだ孤独を知らない。

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星野 智幸

作家。1965年ロサンゼルス生れ。早稲田大学第一文学部を卒業後、新聞記者をへて、メキシコに留学。1997年『最後の吐息』(文藝賞)でデビュー。2000年『目覚めよと人魚は歌う』で三島由紀夫賞、2003年『ファンタジスタ』で野間文芸新人賞、2011年『俺俺』で大江健三郎賞を受賞。著書に『ロンリー・ハーツ・キラー』『アルカロイド・ラヴァーズ』『水族』『無間道』などがある。

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(2015年8月5日フォーサイトより転載)

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