朝鮮半島「次の一手」(上)「最高尊厳への制裁」で吹き飛んだ「北の対話姿勢」

北朝鮮は7月6日、核問題に関し興味深い声明を発表した。

第7回党大会、最高人民会議第13期第4回会議を通じた金正恩(キム・ジョンウン)党委員長の権力再編を終えた北朝鮮は7月6日、核問題に関し興味深い声明を発表した。

「米国と南朝鮮当局の『北の非核化』なる詭弁は朝鮮半島非核化の前途をさらに険しく困難にするだけである」と題した声明である。声明は「政府スポークスマン声明」で、外務省スポークスマン声明などよりレベルが高い。北朝鮮がそれなりの準備をして出した声明だ。

注目すべき変化

北朝鮮は、金正恩政権になり、公式声明などで「朝鮮半島の非核化」に言及したことはなく、おそらく初めてとみられる。金正日(キム・ジョンイル)総書記は「朝鮮半島の非核化は金日成(キム・イルソン)主席の遺訓である」としてしばしば言及、核開発を続けながらも、究極の目的は「朝鮮半島の非核化」にあるとしてきた。しかし、金正恩党委員長は第7回党大会での総括報告でも「朝鮮半島の非核化」には言及せず、それを封印してきた。

韓国では1991年12月18日に盧泰愚(ノ・テウ)大統領が「核不在宣言」をして以来、非核化(在韓米軍を含めての核兵器の不在)が実現している。当時のブッシュ(父)政権は世界的な米軍の再配置の中で在韓米軍の核を撤収した。それを盧泰愚大統領が確認し、それは同年12月31日に、南北による「朝鮮半島非核化共同宣言」となる。

現在、韓国に核兵器はないから、北朝鮮が非核化すれば実現するのが「朝鮮半島の非核化」だ。金正恩党委員長は先に第7回党大会で「世界の非核化に努力する」としたが、それは米国が核兵器を放棄すればわれわれも核兵器を放棄するという非現実的な主張であった。しかし「朝鮮半島の非核化」は現実的な課題だ。

これまで「われわれに非核化など要求するな」と主張してきた金正恩政権が政府スポークスマン声明で「朝鮮半島非核化」に言及したのは注目すべき変化だった。

5項目の要求

声明は、金正恩政権では初めて「朝鮮半島の非核化は偉大な首領と父なる将軍の遺訓であり、敬愛する金正恩同志の領導に従って進むわが党と軍隊、人民の揺るぎない意思である」と指摘した。「朝鮮半島の非核化」を「金日成主席の遺訓」だけでなく、「金正日総書記の遺訓」であり、金正恩氏の指導に従って進む「党と軍隊と人民の意思」とした意味は大きい。

その上で「明確にしておくが、わが方が主張する非核化とは朝鮮半島全域の非核化である。そこには南の核の廃棄と南朝鮮周辺の非核化が含まれている」とし、「『先・北非核化』ではなく、わが方に対する核威嚇・恐喝の根源をまず完全に除去することから始めるべきである」と主張した。

その上で「米国と南朝鮮当局が朝鮮半島非核化に一抹の関心でも持っているなら、次のようなわが方の原則的要求をまず受け入れるべきである」として以下の5項目の要求を掲げた。

(1)南朝鮮に引き入れておき、是認も否認もしない米国の核兵器からまず公開すべきである。

(2)南朝鮮ですべての核兵器とその基地(複数)を撤廃し、世界の前で検証すべきである。

(3)米国が朝鮮半島とその周辺に随時展開する核打撃手段(複数)を2度と引き入れないことを保証すべきである。

(4)いかなる場合であっても、核によって、核が動員される戦争行為によってわが方を威嚇、恐喝したり、わが共和国に対して核を使用したりしないことを確約すべきである。

(5)南朝鮮で核の使用権を握っている米軍の撤収を宣布すべきである。

この上で「こうした安全の保証が実際に実現するなら、わが方もやはり、それにふさわしい諸措置を講じることになるであろうし、朝鮮半島非核化の実現で画期的な突破口が開かれることになるであろう」と指摘した。

「非核化」への現実的対応

北朝鮮は在韓米軍に核兵器が配備されていると主張しているが、在韓米軍には核兵器は1991年12月以降存在しない。さらに、この条件の(1)(2)は南北の相互査察を実現すれば可能なことで、これは過去にも議論されている。(3)は、グアムなどに配備されている戦略兵器や、原子力空母、原子力潜水艦による核の持ち込みをするなという要求だ。

第4項目の核兵器による威嚇、恐喝は北朝鮮がやっていることで、よく言うなという感じはする。だが、金正日総書記の特使として趙明禄(チョ・ミョンロク)国防委第1副委員長が訪米した際の2000年10月の「米朝共同コミュニケ」には「初の重大措置として双方は、いかなる政府も他方に対して敵対的な意思を持たないと宣言し、今後、過去の敵対感から抜け出した新しい関係を樹立するために、あらゆる努力を尽くすという公約を確認した」としており、関係が改善すれば不可能な話ではない。

核心的な要求は第5項目だが、興味深いのは、要求しているのは「在韓米軍の撤収」でなく「南朝鮮で核の使用権を握っている米軍の撤収」であり、しかも「撤収」ではなく「撤収の宣布」であることも興味深い。

筆者はこの政府スポークスマン声明を過大に評価しようというのではない。北朝鮮の要求はありもしない韓国内の核兵器を前提にした要求である。だが、北朝鮮が1991年末に合意した「朝鮮半島非核化共同宣言」をテコに非核化の協議を始めようとしているのかというニュアンスを含んでいることが興味深い。北朝鮮がこれまで繰り返し主張してきた米韓合同軍事演習の中止や平和協定の締結には言及していない。いずれにせよ、重要な変化のスタートという感じがした。

これまで「非核化など期待するな」と主張し続けてきた金正恩政権が、ようやく現実的な対話、交渉のスタートラインに降りようとしている姿勢の変化を感じるという点で重要な声明と考える。この声明の内容自体が重要なのではなく、金正恩政権がようやく「朝鮮半島の非核化」に言及し、現実的な対話、交渉に関心を払い出した点を注目したいということである。

意味を失った「対話声明」

しかし、北朝鮮のこの声明はメディアの関心を引くこともなく、米韓両国の反応を見ることもなく、すぐに吹き飛んでしまう事態となった。

米国務省は7月6日、処刑や強制労働など北朝鮮における人権蹂躙状況をまとめた人権報告書を議会に提出した。米財務省はこれを根拠に同日、金正恩党委員長をはじめ個人11人、国家安全保衛部など5機関を金融制裁の対象とすると発表した。韓国メディアは、米国が既に大量破壊兵器の関連などで黄炳瑞(ファン・ビョンソ)軍総政治局長ら4人、組織では国防委員会など3組織が制裁対象になっており、これを合わせれば、個人15人、組織15機関が制裁対象になったとした。

米国が北朝鮮の最高指導者、金正恩党委員長を制裁の対象にするのは初めてで、金正恩党委員長を「最高尊厳」とする北朝鮮が激しく反発するのは必至だ。米朝間の外交的な対話の道は事実上、閉ざされた。先述した政府スポークスマン声明は具体的に検討されることもなく、当面、その意味を失った。

米財務省のアダム・シュビン財務次官代理は「金正恩政権のもとで、数百万人の北朝鮮住民が司法外の処刑、強制労働、拷問など耐えがたく残酷で苦しい経験をしている」と指摘した。米政府当局者は「(金正恩氏に)国民弾圧の最終的な責任があるのは明白だ」と強調した。

米財務省は6月1日に米愛国者法に基づき、北朝鮮を「資金洗浄主要懸念先」に指定し、国際金融システムから締め出すことを決定しており、今回の人権侵害を理由にした制裁はこれに続く強硬対応といえる。

従来よりはるかに厳しい措置

米国はこれまで毎年、人権報告書を発表し、キューバ、中国、イランなどと並んで北朝鮮の人権問題を強く批判してきた。しかし、今回の措置は従来の措置よりはるかに厳しいものであった。

制裁対象者は米国への入出国が禁止されるほか、米国内での資産は凍結され、金融取引も禁止される。共和党の大統領候補になったトランプ氏は、大統領に当選すれば、金正恩党委員長の訪米を受け入れるとし「公式夕食会はやらない。会議用テーブルでハンバーガーを食べればいい」と語ったが、オバマ大統領の制裁を解除しないとハンバーグ会談はできなくなった。

金正恩党委員長をはじめ制裁対象者が米国内に資産があるわけではないので、ある意味では象徴的な措置といえる。しかし、米国が金正恩氏を北朝鮮の人権蹂躙の主犯であると認定した意味は大きい。

今回の制裁はオバマ大統領が2月18日に署名した対北朝鮮制裁強化法に基づくものだ。この法律は国務長官に対して人権蹂躙に責任を負うべき北朝鮮の幹部たちとその具体的な行為を把握して120日以内に議会に報告するように命じている。

オバマ政権は議会に人権報告書だけを提出し、実際の制裁措置は次期政権まで先送りすることも可能だった。しかし、国務省は報告書を提出し、その日のうちに財務省が制裁を発表した。

金正恩党委員長を制裁対象に加えることは簡単だが、次期政権がこれを外すことは議会や世論を考えればたやすいことではない。その意味で、オバマ政権は次期政権を拘束する措置を取ったといえる。

整合性を欠く「制裁者リスト」

米国が今回制裁対象にしたのは、既に制裁対象になっていたものを含め個人15人、組織8機関で、以下の通りだ。

【個人】

▽金正恩朝鮮労働党委員長▽金己男(キム・ギナム)党宣伝扇動部長▽李載佾(リ・ジェイル)党宣伝扇動部第1副部長▽趙然俊(チョ・ヨンジュン)党組織指導部第1副部長▽金京玉(キム・ギョンオク)党組織指導部第1副部長▽崔富一(チェ・ブイル)人民保安部長▽李成哲(リ・ソンチョル)人民保安部参事▽崔(チェ)チャンボン人民保安部調査局長▽姜成男(カン・ソンナム)国家安全保衛部局長▽呉(オ)ジョングク偵察総局第1局長▽崔(チェ)イルウ偵察総局第5局長(以上は新規)▽李勇武(リ・ヨンム)元国防委員会副委員長▽呉克烈(オ・グクリョル)元国防委員会副委員長▽黄炳瑞軍総政治局長▽朴永植(パク・ヨンシク)人民武力相(以上の4人は既に制裁対象)

【組織】

▽党組織指導部▽人民保安部▽人民保安部教化局▽国家安全保衛部▽国家安全保衛部収容所局(以上は新規)▽国防委員会▽党宣伝扇動部▽偵察総局(以上の3組織は既に制裁対象)

北朝鮮の人権侵害の中心的な役割を果たしているのは秘密警察の国家安全保衛部、警察組織の人民保安部、工作機関の偵察総局であろう。この3機関のうち、警察にあたる人民保安部のトップの崔富一部長はリストに上がったが、なぜか国家安全保衛部長の金元弘(キム・ウォンホン)部長はリストにない。

また、昨年末まで偵察総局長を務めていた金英哲(キム・ヨンチョル)党統一戦線部長の名前もない。金英哲氏が党統一戦線部長に起用されて、偵察総局長を辞任したのか兼務しているのか不明な状態だが、この組織の発足以来少なくとも昨年末までは責任者であった。

また人民への思想教育や党の宣伝を担当する党宣伝扇動部が制裁対象になり、金己男党宣伝扇動部長、李載佾第1副部長は制裁対象になったが、同部で実質的に金正恩体制を支えている金正恩党委員長の妹の金与正(キム・ヨジョン)同部副部長は対象にならなかった。

リストには国家安全保衛部や人民保安部、偵察総局の中間幹部も含まれた。米国がこうした中間幹部による人権侵害の具体的な事案を把握しているのかどうか。米国側はこうした中間幹部を制裁対象に入れた理由について「人権侵害に加われば、次はあなたたちも特定できる」というメッセージを北朝鮮内部に送るためとしている。

金正恩氏は1984年生まれ?

この制裁で興味深かったのは制裁対象である金正恩党委員長の生年月日を「1984年1月8日」としたことだ。金正恩党委員長の誕生日が「1月8日」であることは北朝鮮でも確認しているが、何年生まれかは諸説あった。

『金正日の料理人』の著者、藤本健二氏はその著書『核と女を愛した将軍様」の中で、金正恩党委員長の誕生日を「1983年1月8日」としていた。料理人は誕生パーティーの準備をするから誕生日情報は確かではないかと思えた。しかし、82年説、84年説なども出て正確な年齢が分かっていない。

韓国統一部は毎年、北朝鮮幹部の「人物情報」を発刊しているが、2014年版は「82~84年説がある」とし、2015年版は84年生まれとし「82、83年生まれ説もある」と修正した。

しかし、このほど金正恩委員長の母、高英姫(コ・ヨンヒ)さんの妹で、米国に亡命した高英淑(コ・ヨンスク)さんが米ワシントン・ポスト紙とのインタビューで金正恩委員長は1984年生まれと証言した。高英淑さんは金正恩氏がスイスに留学した際にスイスで面倒を見ており、生年月日などの情報は信頼性が高いとみられる。米当局が金正恩氏の生年を1984年としたのは高英淑さんの証言を根拠にした可能性がある。

しかし、金正日総書記は、実際は1941年生まれなのに、1942年生まれにしたとされている。それは金日成主席が1912年生まれのため、1942年生まれにすれば「金日成主席60歳、金正日総書記30歳」と区切りの年の祝賀行事を揃えることができるためとされる。金正恩党委員長も実際は1984年生まれであっても、1982年生まれになる可能性は残っている。

「半官半民対話」も中断か

米財務省が人権問題で「最高尊厳」(金正恩委員長)を制裁対象にしたことで、北朝鮮はまた教条的な姿勢に戻ってしまった。

北朝鮮外務省は7月7日声明を発表し、米国の制裁措置は「最高尊厳」(金正恩委員長)への挑戦であり「公然たる宣戦布告だ」とした。その上で(1)制裁措置の即時、無条件での撤回(2)要求を拒否する場合、朝米間のすべての外交接触のテコとルートの即時、遮断。今後の朝米間の問題は戦時法により処理(3)米国の敵対行為を断固と粉砕するために超強硬の対応措置を取っていく――とした。

米国は北朝鮮を「資金洗浄主要懸念先」に指定するなどの圧迫を加えながらも、昨年末から1、2カ月に1回くらいの割合で国務省OBや学者と北朝鮮の外交当局者間の「1.5トラック」(半官半民)の非公式対話を続けて来た。国務省当局者が出ての「交渉」は拒否しながらも、米次期政権での北朝鮮政策を視野に、北朝鮮が何を考えているのか探ってきた。

最近では5月28~30日、スウェーデンのストックホルム郊外で韓成烈(ハン・ソンリョル)外務省米州局長らと米国のエバンズ・リビア元国務省副次官補が延べ20時間にわたる意見交換をした。6月21~23日には北京で国際学術会議「北東アジア協力対話」が開催され、6ヵ国協議の首席代表や次席代表が参加する中で北朝鮮は崔善姫(チェ・ソンヒ)副局長が参加した。こうした「1.5トラック」も金正恩委員長への制裁で中断するものとみられる。

北朝鮮は7月10日には、ニューヨークの北朝鮮国連代表部と米国の接触ルートである「ニューヨーク・チャンネル」を「完全に遮断する」と米国側に通告した。米朝間に存在した唯一の公式外交ルートがこれで切れた。

朝鮮中央通信は7月11日にこれを報じるとともに「朝米関係において提起されるすべての問題を共和国の戦時法で処理するようになる」とした上で「抑留された米国人問題も例外ではない」とした。

北朝鮮には現在、1月に拘束され、3月に国家転覆陰謀罪で労働教化刑15年を言い渡された米バージニア大の男子学生、オットー・ワームビア氏と、昨年10月にスパイ容疑で拘束され、今年4月に労働教化刑10年を宣告された韓国系米国人、キム・ドンチョル氏がいるが、2人の処遇に悪影響を及ぼす可能性も憂慮されている。

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平井久志

ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2016年7月20日「新潮社フォーサイト」より転載)

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