北方領土「共同経済活動」にこれだけのリスク

計約1万7000人が住む歯舞、色丹、国後、択捉の4島では、本土のロシア社会以上に犯罪や事故が多発しており、日本人が巻き込まれるリスクがつきまとう。

北方領土交渉のクライマックスとなる12月15日の山口県での日露首脳会談は、「2島プラスアルファ」で合意するとの見方がメディアで支配的となってきた。読売新聞は、歯舞、色丹の2島引き渡しで平和条約を結び、国後、択捉については継続協議とし、自由訪問や共同経済活動を行う見通しと報道。時事通信も国後、択捉の協議は先送りし、協力して開発や経済振興に取り組む案が検討されていると伝えた。

日露両国が「プラスアルファ」の部分で、国後、択捉での共同経済活動を打ち出すとの見立てだ。だが、現実問題として両国の共同経済活動は容易ではない。筆者は国後、択捉で発行されている地元紙をメールで送ってもらっているが、計約1万7000人が住む4島では本土のロシア社会以上に犯罪や事故が多発しており、日本人が巻き込まれるリスクがつきまとう。

18歳女性が麻薬中毒死

やや旧聞に属するが、2009年11月、国後島の森で18歳女性の死体が発見され、島民に衝撃を与えた。

この女性はヘロインを吸引して中毒死し、薬物を与えた麻薬密売人が隠ぺいするため遺体を車で森に運んで放置したという。国後島で発行されている地元紙「国境で」によれば、ヘロインを女性に与えたのはウラジオストクから来た麻薬密売人で、サハリンで逮捕され、裁判で5年の刑を言い渡された。純度の高いヘロインは日本では流通していないが、ロシアにはアフガニスタン・ルートで流入する。

同紙は、麻薬の大半がウラジオストクから運ばれ、麻薬取引のネットワークが島にできつつあると警告した。択捉島の新聞「赤い灯台」によれば、択捉でも13年1月、麻薬取締局の捜査陣がサハリンから到着し、麻薬を密売していた3人の若者を逮捕した。択捉の水産加工場には夏の漁期に多数の季節労働者が来ており、彼らが麻薬を持ち込むという。

ロシアの麻薬常習者は政府推計で250万人(日本は推定20万人)。現在は薬局で購入できる薬剤から密造できる「クロコダイル」という麻薬の流通が社会問題となっており、島でも密造されているという。共同経済活動の過程で、日本人が麻薬吸引を誘われる可能性がある。

19歳兵士が銃を乱射

択捉島の太平洋岸には軍事基地があり、択捉、国後にはロシア軍約3500人が駐留するが、12年7月、軍事基地ガリャーチエクリューチの銀行で、19歳の兵士が自動小銃を乱射し、行員2人が死亡、1人が重傷を負う事件があった。兵士は自殺し、背後関係などは明らかでないが、択捉の軍事基地では、兵士同士の喧嘩で死者が出たり、イスラム系の兵士らが上官のいじめに反抗し、武器を持って立てこもる事件もあったという。

国後、択捉の軍事基地の住環境は最悪で、13年には給食に蛆虫が混入していたため、激怒した兵士らが1カ月にわたってハンストを行うこともあった。この時は兵士の母親らがハバロフスクの東部軍管区司令部に抗議に押し掛けたという。

北方領土では、一般市民が武器類を非合法に保有しているようで、地元紙に銃器類を自発的に警察に提出するよう求める警察当局のアピールが掲載される。提出した場合、自動小銃は1丁あたり1万ルーブル(1ルーブルは約1.6円)、手投げ弾は5000ルーブル、実弾は1発20ルーブルが支払われるという。どうやら、兵士が基地の銃火器を住民に横流しし、カネを稼いでいるようだ。共同経済活動の過程で、日本人が銃火器の購入を誘われる可能性がある。

午前10時から泥酔運転

道路事情が悪い北方領土では、悪路を猛スピードで飛ばすため、交通事故が多発する。今年5月、国後島中部で酒に酔って車を運転していた男が運転を誤り、フェンスに激突して溝に転落。助手席にいた若い女性が死亡した。事故は午前10時に起きており、朝から泥酔運転だった。

択捉で15年2月に起きた衝突事故は島民に衝撃を与えた。中心地の紗那と別飛を結ぶ幹線道路で、男が運転を誤って対向車線に入り、走ってきた車と正面衝突し、対向車線の車を運転していた若い母親が即死。乗っていた子供2人が重傷を負った。男は数週間にわたり、常に酩酊状態で運転しているのが住民に目撃されていたが、交通警察は摘発しなかった。男も母親も無免許で、自動車保険にも入っていなかった。

択捉島の交通警察署長は「人口6000人で道路も少ない択捉で、1800台のクルマが登録されている。軍用車両もあり、車の数が多すぎる。道路事情が悪いのに、運転手は規則を守らず、猛スピードで飛ばす。これはロシア全体の問題だが、島の交通道徳のひどさは目に余る」と地元紙に語った。共同経済活動の過程で、日本人が交通事故に遭う可能性がある。

10年で9人の行政長が交代

北方領土では、幹部の汚職や腐敗、賄賂も頻発する。

サハリン州のホロシャビン前知事が昨年3月、火力発電所建設契約で業者から約6億円の賄賂を受け取ったとして側近3人とともに逮捕されたが、択捉島でも11年、行政を握るボンダリ地区行政長が職権乱用や公金横領の容疑で解任され、裁判所から罰金刑と公職追放の判決を受けた。後任のアベニャン行政長も13年、架空の入札を実施して1000万ルーブルを着服したとして起訴された。択捉では、過去10年に9人の行政長が交代しており、職権乱用や汚職で刑事事件を起こしたケースが多いという。

国後島でも13年、政府が進めるクリル(千島)社会経済発展計画の一環で横領があったとし、サハリンの水道企業が起訴された。同計画に絡む不正や横領事件もしばしば報道される。

ドイツに本部のある国際NGO(非政府機関)、トランスペアレンシー・インタナショナルが公表した「世界腐敗認識指数」では、ロシアの腐敗度は世界168カ国中119位。汚職・腐敗は国民病であり、共同経済活動の過程で、日本人が不正に巻き込まれる可能性もある。

メチルアルコールで4人死亡

気候が苛酷な北方領土は、災害も多い。日照時間が短く、夏は冷夏で、冬は暴風雪がしばしばある。14年1月、国後沖に係留された漁船の臨検に向かっていた国境警備隊のゴムボートが強風で転覆し、若い隊員10人が死亡する事故があった。

北方領土では火災も頻繁に起きる。木造住宅が大半で、強風が吹き、電気系統が老朽化していることが理由のようだ。択捉では15年に計21件の火災が発生し、1人が死亡した。国後では12年、メドベージェフ首相も訪れた水産加工コンビナートの工場や倉庫が焼け、不審火の疑いもあるという。

同首相がかつて警告したように、ロシア人は世界一の酒好きだが、酒にまつわる事故も多い。歯舞諸島の水晶島にあるナマコ工場で11年1月、若い労働者が新年を祝う酒宴を開き、メチルアルコールをジュースと混ぜて飲み、4人が中毒死し、11人が中毒症状を起こした。辺境の島では、酒なしには生きていけないのだろう。共同経済活動の過程で、日本人がメチルアルコールを飲まされる可能性もある。

このように、北方領土で日本人が働くのはリスク満載であり、よほどの覚悟が必要となる。「共同経済活動」を言う前に、現地の実態を掌握する必要があろう。

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名越健郎

1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。

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(2016年10月14日フォーサイトより転載)

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