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「五輪で国威発揚」が裏目に出るロシア

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ロシアの国家ぐるみのドーピング違反問題で、国際オリンピック委員会(IOC)は8月5日に迫るリオデジャネイロ五輪からロシアを全面除外する処分を避け、参加の是非は各競技ごとの国際連盟に委ねることを決めた。

世界反ドーピング機関(WADA)や米独など各国の反ドーピング機関はIOCの決定を非難したが、IOCはロシアを全面排除して欧米との冷戦が激化する責任を負うことを回避したかったようだ。IOCのバッハ会長とプーチン大統領の個人的親交も影響した可能性があり、ロシアとしてはまずまずのシナリオとなった。

ドーピングはスパイと同じ?

ロシアのメディアはドーピング問題では愛国主義一色で、「ロシアを五輪から締め出そうとする米国の陰謀」といった反発ばかりだ。国家ぐるみの組織的違反行為を米紙に暴露し、米国に滞在中のロドチェンコフ元ドーピング検査所長は「裏切り者」「嘘つき」「脱落者」と糾弾されている。

プーチン大統領もWADAについて、「スポーツへの政治介入であり、ロシアに地政学的な圧力をかけ、悪いイメージを作り出す道具に使った」と批判。

一方で、外国専門家を加えた独立機関をロシア五輪委員会に設置すると提案するなど、火消しに追われた。しかし、ドーピング問題の背景に、プーチン政権の国威発揚路線やなりふり構わぬ国益重視があるのは間違いない。

反政府系紙ノバヤ・ガゼータのフェルゲンハウエル評論員は、「五輪選手の禁止薬物使用が最も著しかったのは旧東独であり、東独では、五輪で多数のメダルを獲得することが国威発揚に有効とみなされた。

プーチン大統領は1980年代後半、スパイとして東独に駐在し、同様の認識を持ったのではないか」と指摘。「プーチンはドーピングをスパイ活動のようなものとみなしたかもしれない。どの国もやっており、捕まらないことが重要と考えた。見つかれば、選手やコーチら個人の責任として処理しようとした」と分析した。

柔道で五輪出場の夢

ロシアのドーピング問題は米露関係を険悪化させつつある。

ラブロフ外相は7月19日、ケリー米国務長官と電話会談し、米国反ドーピング機関(USADA)が全ロシア選手団の五輪排除を訴え、「挑発的要求」を提示していると批判。この問題がシリアやウクライナ情勢での米露協力に影響しかねないことを示唆した。

ケリー長官は「独立した機関の決定に米政府は関与できない」と反論した。ロシア側の発表では、米露外相は政治をスポーツに関与させないことで一致したという。

IOCが仮に、リオ五輪でロシアの全面排除を決めていれば、プーチン政権の威信は失墜し、9月18日の下院選を控えて政権批判が起きかねなかった。プーチン大統領は14年のソチ冬季五輪を通じて親しくなったバッハIOC会長に対し、水面下で根回しを重ねた可能性がある。

ロシアが五輪史上最高額となる5兆円を投じて準備したソチ五輪は、関連施設の建設が遅れ、バッハ会長は何度もソチを訪れ、大統領と会っている。

プーチン大統領は五輪への思い入れが強い。

ソチ五輪前の14年1月、児童の質問に答えて、「私には生涯をかけてきたスポーツが1つある。よく知られているように、それは柔道だ。さまざまな理由や状況からキャリアを五輪レベルまで高められなかったが、もしチャンスがあり、五輪レベルに到達していれば、五輪向けのプログラムを積んでいただろう」と述べ、五輪出場を夢見たことを公表していた。

大統領は1974年にレニングラード柔道王者になっており、76年か80年の五輪出場を目標としていたかもしれない。

バンクーバーの屈辱

その80年のモスクワ五輪は欧米諸国や日本など多数の国がボイコットし、「片肺五輪」となった。

大統領は14年1月の記者会見で、この問題に触れ、ボイコット運動がショックだったことを打ち明け、「たとえ、ソ連軍のアフガニスタン展開があったとしても重大な失敗だったと思う。そのことは、米国の著名な政治家も言っている。五輪は国際問題を非政治化し、新たな道を開く懸け橋になるべきだ」と述べていた。

当時、国家保安委員会(KGB)の若手将校だった大統領は、モスクワ五輪が不調に終わったことに苛立ちを覚えたようで、長年の屈辱感をバネに、ソチ五輪成功に突っ走った。

国家ぐるみのドーピング違反の契機になったのは、2010年のバンクーバー五輪で、冬季五輪種目が得意なはずのロシア選手団の金メダルは3個にとどまり、惨敗した。

当時首相だったプーチン大統領は怒りをあらわにし、「良い試合を見せることが重要だという意見は誤りだ。試合は勝つためにある」と述べ、ソチ五輪での勝利へ大号令をかけた。

4年後のソチ五輪でロシア選手団は大活躍し、世界トップの13個の金メダルを獲得したが、プーチン大統領を恐れる五輪関係者は、なりふり構わずソチで選手にドーピングを多用させ、隠蔽工作を行った模様だ。

その実態が今回暴露されてしまったが、スポーツで愛国心を喚起し、ロシアの復活を印象付け、自身の権力基盤を強化する思惑が背景にある。

ロシアでは現在、18年6月のサッカーW杯ロシア大会に向けて、スタジアム建設が突貫工事で行われている。14年のウクライナ危機で欧米諸国の一部で浮上した大会返上論はかわしたが、ドーピング問題がW杯ロシア大会にも影を落とすだろう。

五輪のたびに冒険主義

ロシアと五輪は政治的因縁が深い。2008年8月の北京五輪開幕直後、ロシア・ジョージア(旧グルジア)戦争が勃発した。ジョージア側が南オセチア自治州で挑発したのが契機だったが、ロシア軍はその直前、ジョージア国境地帯で大規模演習を行っており、侵攻はスムースだった。ロシア軍は戦闘終了後も撤退しようとせず、中国高官は「五輪を台無しにする」と不快感を表明していた。

14年2月のソチ五輪終盤には、ウクライナの騒乱が拡大し、親欧米派勢力が決起し、親露派のヤヌコビッチ政権が崩壊。ロシアは五輪閉幕後、ウクライナ領クリミアを実効支配し、翌月ロシアに併合してしまった。

ソチ五輪でのロシア選手団の大活躍で民族愛国主義とプーチン大統領の支持率が異常に高揚、それがクリミア併合を後押しした形だ。ソチ五輪ではロシアの金メダリスト4人を含む少なくとも15人のメダリストが禁止薬物を使用していたことが告発された。

リオ五輪締め出しという最悪の事態が回避されたことでプーチン政権は安堵していようが、ロシアのドーピング問題は大会の汚点として話題に上ることになる。

それにしても、最近のロシアのニュースは、サッカー欧州選手権でのロシア人フーリガンの大暴れやロシア政府系ハッカー集団の米民主党全国委員会へのハッカー攻撃など、ロシアが「ならず者国家」になった印象を与える。プーチン大統領が突っ走った国威発揚、民族愛国主義がひずみに直面しているかにみえる。

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名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。

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(2016年7月28日フォーサイトより転載)