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日本の「PKO」再考(中)「紛争の当事者」になった国連--伊勢崎賢治

2017年03月30日 23時15分 JST | 更新 2017年03月30日 23時15分 JST

南スーダンでは、不穏で緊迫した状況が続いている。政権を握る大統領派と前副大統領派の武装勢力が衝突しているだけでなく、各民族の反政府勢力も武装しており、複雑な対立構造となっているのだ。

事件が頻発している南スーダン情勢

3月25日には、援助関係者である非政府組織(NGO)の職員6名が、首都ジュバから東方のピボルへの移動中に襲撃されて全員が死亡。その前の15日には中部で人道支援の車列が襲われて国際移住機関(IOM)職員ら5名が死傷している。

さらに12日には、南部のイエイで国連職員が戦闘に巻き込まれそうになり、国連平和維持活動(PKO)に参加している中国軍部隊が、ホテルにいた職員7名を救出して保護した、という事件も発生している。

こうした状況を国連も憂慮しており、グテーレス事務総長は23日に開かれた安保理事会閣僚級会合で、南スーダン政権が問題を解決しようとせず支援を妨害している、と厳しく批判している。

そんな中での、5月末の自衛隊施設部隊撤収である。本記事(上)でも触れたが、"護憲派"の一部からは、「自衛隊員の命が守られた」と、この決定を歓迎する声が上がっている。

確かに現下の状況を見れば、自衛隊が武力衝突に巻き込まれたり、武装勢力に襲われることだってあるかもしれない。「駆けつけ警護」なるものがあったとして(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48085)、それで被害が出ることもあったかもしれない。

だが、「被害者」となった時の自衛隊員の「命」が重要なのはもちろん、PKO要員として派遣されている以上、自衛隊が逆に「加害者」になってしまう可能性があることも忘れてはならない。

ところが不思議なことに、日本人はこの可能性に目を向けず、議論もしていないというのが実情だ。これは本記事(上)の最後で述べたように、日本人がちゃんとした「戦争」「交戦」の概念を持っていないことが原因だと筆者は考えている。

拡大を続ける「交戦」の主体

では「交戦」とは何か。ごく簡単に説明すると、交戦の主体同士による相互の武力行使のことをいう。単純な例で言えば、日本が某国からの侵略攻撃を受け、これに自衛隊が反撃をすることで「交戦」となる。

この場合、自衛隊、日本は自動的に「紛争の当事者」となる。逆に言えば「交戦」として規定されない打撃力の行使などありえず、この例は「個別的自衛権の行使」であると同時に、日本流の「交戦権」を行使していることにもなる。

「日本流」としたのは、話は少し逸れるが、日本は憲法9条で戦争を放棄し、戦力を保持せずと規定し、交戦権を否定している。これがあるから戦後70年以上にわたって日本の平和が保たれていると信じられているが、冷静に考えればそれは違う。

日本人が考える戦争とは「侵略戦争」のことだが、これは日本国憲法ができる以前から国際慣習法(例えばパリ不戦条約)で否定されている。しかも国連憲章には敵国条項があり、日本やドイツなどの「敵国」が侵略戦争を行った場合は、安全保障理事会の決議なしでも武力制裁を科すことができると定められている。

つまり日本は(日本に限らず)、そもそも侵略戦争ができないだけでなく、日本ほど武力行使をやりにくい国はないのだ。つまり、憲法9条がたとえ無くなっても、日本は、日本流の「戦争」をする心配はないのだ。

「戦争」とは侵略戦争だけではないのだ。国連が出来てから今日まで起きたものは、日本人が憲法9条が容認していると思っている個別的自衛権、そして集団的自衛権の行使であり、これが国際人道法=戦時国際法に則って(交戦規定)行使しなければならないと同法が統制する「交戦」なのである。

「戦闘」でも「衝突」でもいい。「紛争の当事者」があいまみえることが「戦争」であり、その「紛争の当事者」とは、かつては主権国家であった。

一方で、人類が大戦を経る毎に「こんな殺し方ないよね」「あんな武器使うのはあんまりだ」と、「戦争」における「非人道性」を排除する、現在も続く連綿とした営みがある。

数々のジュネーブ条約、ハーグ条約、そしてパリ不戦条約など、「紛争の当事者」に課すルールの歴史的な集積が国際人道法=戦時国際法なのだが、それは主権国家同士の「交戦」を前提に積み重ねられてきた。

ところが第2次世界大戦以降、国連の誕生後、これが様変わりしていく。イデオロギーや民族、宗教対立による内戦が増加し、甚大な人的被害を生むようになる。

そこで、「非国家主体」にもルール、つまり交戦規定を守らせなければならないという必要性から、「紛争の当事者」の定義が拡大してゆく。

内戦での当事者は、一方が政府軍で一方が反体制の非政府組織だったり、あるいは当事者全てが部族や民族、または宗教やイデオロギーの集団といった組織である。

そこで近年では、ある程度組織化されていて指揮命令系統が存在する非政府組織も「紛争の当事者」とみなす、というのが国際法の運用になっている。

変な例になるが、日本が某国から侵略攻撃を受けた時に広域指定暴力団がこれに反撃したら、場合によってはその暴力団も「紛争の当事者」として国際的に認定されることもある、ということなのである。つまり、自衛隊が存在しなくても日本は「戦争」するのだ。

ついに「紛争の当事者」となった国連PKO

国連憲章における侵略や武力行使という概念は、やはり主権国家を念頭に置いたものとなっている。ところが交戦の主体は非国家なものまで広がってしまった。

そのために、憲章の条文にはないPKOを生み出さざるを得なかったということは先にも述べたとおりだ。ただし国連自身が「紛争の当事者」とはなりえない。

国連は「侵略者」を許さないための戦勝5大国を頂点とする世界統治システムである。内戦は侵略ではない。侵略もしていない主権国家と国連が、内政不干渉の原則を飛び越えて「戦争」するわけにはいかない。

国連は、国際人道法の批准を加盟国に促すが、自らが批准する存在ではない。だからPKOは、あくまで「中立」な存在としての武力介入であり、停戦監視や国づくり支援が主要な任務だった。武力でもって介入するが、武力を「紛争の当事者」として行使することは想定されてなかったのである。

PKOがいながら大虐殺を阻止できなかった1994年のルワンダをはじめ、各地で多発する内戦による人道危機への不作為に、国連は国際世論の非難に苛まれる。そして、ついに国連は決心するのだ。「紛争の当事者」になることを。それが1999年のアナン国連事務総長(当時)による告示だ。

これによって、従来の停戦監視や国づくり支援だけではなく、人道危機から住民をその国家に代わって保護する(住民保護)という、より大きな任務を支える国連の法的な枠組みを、国連自身が、国連史上はじめて確立したのだ。人道危機への対処という、誰も反対しようもない国際正義を貫くために。

派遣国に圧倒的に有利な「兵力地位協定」

告示は、ごく簡単な前文と、10の条文から成り立っている。この中で特に重要なのは、第3条の「兵力地位協定」と、第4条の「国際人道法の違反」だ。

その第3条は、以下のような内容である。

国連と、国連部隊が展開される領域の国との間で結ばれた兵力地位協定において、国連は、国連部隊が軍事要員の行動に適用される一般的条約の原則および規則を完全に遵守して作戦を遂行することを約束する。国連はまた、国連部隊の軍事要員に、これら国際条約の原則および規則を周知徹底させることを約束する。前述の原則および規則を尊重する義務は、兵力地位協定がない場合でも、国連部隊に適用される。

地位協定とは、簡単に言うと「異国の駐留軍に与える恩恵を規定するもの」だ。

日米地位協定のような2国間での協定を例に挙げると、受け入れ国である日本が、駐留するアメリカ軍とその兵士に対してどのような特権を与えるかが規定されている。

特に問題となるのは、駐留軍が引き起こす事件発生時の裁判権の部分だ。一般の外国人の場合、訪問国で犯罪を犯した場合は訪問国の司法に服することになる。

ところが駐留軍の場合、特に公務上発生した犯罪については受け入れ国に裁判権はない、といった特権が与えられえているわけである。この、犯罪と軍との関係については重要なので、後で詳述する。

PKOの場合、派出される軍は10カ国以上になることが多いが、各国が個別に受け入れ国と地位協定を結ぶわけではなく、国連が一括して受け入れ国と地位協定を結ぶ。これが告示で言うところの兵力地位協定、通称、国連地位協定である。

この国連地位協定は、2国間のものに比べると、部隊派遣国にとってはるかに有利なものとなっている。PKOの場合、公務上であるかどうかにかかわらず、受け入れ国側に裁判権はない。

国連がこの地位協定を用意しているからこそ、部隊派遣国は安心してPKO司令部の指揮下に入り、統制の取れた行動ができる。もちろん南スーダンに派遣されている陸自施設部隊も、当然この国連地位協定の統制下にある。

よって、自衛隊の指揮権は国連PKO司令部にあり、東京ではないのだ。(つづく)

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伊勢崎賢治

東京外国語大学大学院教授。1957年東京生まれ。内戦初期のシエラレオエネを皮切りにアフリカ3カ国で10年間、開発援助に従事し、その後、東ティモールで国連PKO暫定行政府の県知事を務め、再びシエラレオネへ。同じく国連PKOの幹部として武装解除を担当し内戦の終結に貢献する。その後、アフガニスタンにおける武装解除を担当する日本政府特別代表を務める。著書に『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)、『本当の戦争の話をしよう:世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『日本人は人を殺しに行くのか:戦場からの集団的自衛権入門』(朝日新書)、『武装解除』(講談社現代新書)など。最新刊に『テロリストは日本の「何」を見ているのか』(幻冬舎新書)。

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(2017年3月30日フォーサイトより転載)