トランプ大統領の「マッドマン」心理戦略--春名幹男

「常軌を逸していて、予測不可能」と中国側からも恐れられていたトランプ大統領。

「常軌を逸していて、予測不可能」と中国側からも恐れられていたトランプ大統領(米紙『ニューヨーク・タイムズ』)。しかし、その大統領がいま「狂気の戦略がかえって、世界に安定をもたらしたかもしれない」(米ウェブ誌『スレート』)とも評価されている。

一体、何が起きたのだろうか。

狂気の戦略とは英語でmadman theoryだが、ここでは意訳して「戦略」とした。ちなみにマティス米国防長官はmad dogと呼ばれ、日本メディアは「狂犬」と訳したが、正しくない。狂犬はrabid dogが正しい。

この戦略、トランプ大統領自身が尊敬していた故ニクソン大統領が元祖の発案者だ。トランプ氏はニクソン氏からもらった1987年当時の手紙を額に入れて大統領執務室に飾るほどのニクソン・ファン。手紙は、本文わずか5行で、「妻はあなたが選挙出馬を決めたら勝つと予想している」という他愛ない内容だった。

長文の文書を読むのが嫌いな現大統領。国家情報長官(DNI)事務所が毎日行う「大統領日報」ブリーフィングは1テーマ1ページ以内を原則に、大統領が好む写真や図表などビジュアル資料を増やす方向といわれる。

ニクソンの造語

狂気の戦略という言葉自体、ニクソン氏の造語だった。

彼が1968年の大統領選挙中、信頼する部下で、大統領就任後に首席補佐官に任命したH.R.ハルデマン氏に次のように伝えたことを記した文書が残されている。筆者の友人で米民間調査機関「国家安全保障文書館」上級アナリスト、ウィリアム・バー氏が発見した。

「彼ら(ベトナム)はニクソンが行使する軍事力の脅威を信用するだろう......私はそれを狂気の戦略と呼んでいる。私がある段階に達したら、戦争を終わらせるためになんでもするかもしれない、と北ベトナムに信じてもらいたい。......『ニクソンは怒ったら抑えられなくなる。彼はその手を核のボタンに掛けている』とね」

このように、ニクソンは何をしでかすか分からない人物だとする情報を、ベトナム側に意図的に流した。

また、ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官はベトナム和平交渉中には、ソ連が北ベトナム側に譲歩を働きかけてくれることを期待して、核戦争が切迫しているかのように偽装して「核戦争警報」を出したこともあった。

しかし、冷静なニクソンを「マッドマン」と信じさせることはできず、こうした策略は失敗したという。

孫子の兵法も「兵とは詭道なり」と、戦争とはだます行為であるとしている。また、マキャベリも「気違いじみたふりをするのは非常に賢いことだ」と述べている。

トランプ氏の直観

だが、トランプ氏自身がニクソン氏や孫子、マキャベリから学んで狂気の戦略を実行したとは考えにくい。

恐らく彼は、テレビ番組の司会者として、人気を集める方法を身につけたとみていい。米週刊誌『タイム』3月23日号のインタビューで、彼は「私は非常に直観的な人間だが、私の直観は当たる」と述べている。自分自身で「常軌を逸していて、予測不可能」な行動を楽しんでいるようにも見える。

シリア政府軍が化学兵器を使用したとのニュース映像を見て、長女イヴァンカさんの指摘を待つまでもなく、こうした残虐行為に対して懲罰攻撃を加えれば国民の支持を得られるし、北朝鮮のような国は恐怖感を持つと、直観的に考えた可能性は十分ある。

フロリダの別荘での習近平中国国家主席との夕食会中、デザートの「これまで見たこともないきれいなチョコレートケーキ」を口にした際、シリアに59発のトマホーク・ミサイルで懲罰攻撃を加えたことを伝えた。習主席は「もう一度通訳を」と求めて事実を再確認した上で、「OK」と返答、トランプ氏は首脳会談の成功を確信したという。

この会談の直前まで、トランプ氏は中国を「為替操作国」に認定するとしていたが、会談後は為替操作国とは認めない、と180度変わった。

中国抱き込みに成功

中国もトランプ氏のペースに乗せられた感がある。

4月12日付の中国紙『環球時報』社説からそんな様子がうかがえる。「北朝鮮が近く6回目の核実験を行えば、米国の軍事行動の可能性は以前より高くなる」「核実験やICBM発射は米政府の顔をひっぱたくことになる」「北朝鮮が今月挑発的な動きをすれば、国連安保理が北朝鮮への石油輸出制限などのかつてない厳しい措置を採択することを中国社会は賛成するだろう」

環球時報は中国共産党機関紙『人民日報』傘下の新聞で、論調は党の立場と同じだ。『ロイター通信』や『ハフィントン・ポスト』は環球時報を転電し、「中国が北朝鮮への石油供給停止の用意」などと伝えた。トランプ氏は『ウォールストリート・ジャーナル』紙とのインタビューで、中国が北朝鮮問題を解決するなら、米国は貿易赤字を受け入れる価値があるとまで述べた。

軍人が大統領利用か

北朝鮮をにらんだ狂気の戦略はそれにとどまらなかった。原子力空母カール・ビンソンを朝鮮半島近くに移動させ、さらに通常爆弾では最大の爆発力といわれる大型爆風爆弾(MOAB)「GBU-43」をアフガニスタンのイスラム国(IS)軍事拠点に投下した。

米軍事専門家の間では、MOABより旧式で少しだけ爆発力が弱い「デイジーカッター」はベトナム戦争やイラク、アフガンでも使われている。なぜ今回MOABを使用したか、その目的は不明とされている。恐らく心理的に敵に「衝撃と畏怖(shock and awe)を与える狙い」(ジェフリー・ルイス・ミドルベリー国際問題研究所研究員)とみられている。

明らかに北朝鮮に対して狂気の戦略で圧力を加える作戦の一環のようだ。ベトナム戦争の歴史的研究で博士号を取得したH.R.マクマスター大統領補佐官(国家安全保障問題担当)や学究肌のジム・マティス国防長官ら政権内の一大勢力となっている軍人の俊英が、大統領の性格や特性を利用して狂気の戦略を意識的に展開しているのかもしれない。

北朝鮮の体制変更せず

だが、こうした圧力を受けて、北朝鮮が核実験や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射を自制するかどうかがポイントだ。既にトランプ大統領の成果として「称賛に値する」(『ワシントン・ポスト』紙電子版4月12日付)との報道もあるが、まだ危機は回避されていない。

そんな中、米メディアが14日一斉に、国家安全保障会議(NSC)が新しい北朝鮮戦略を決定したと伝えた。その内容は、(1)北朝鮮が核廃棄に向けて交渉に戻るよう、最大限の圧力を加えるが、(2)体制変更を目指さない――ことを骨子としているという。

恐らく、過去2カ月間にわたったNSCの議論を「国家安全保障大統領メモ(NSPM)」の形でまとめ、主要メディアを招いてブリーフィングした、とみられる。北朝鮮は体制維持が最重要課題なので、NSC決定のこの部分は評価するだろう。しかし、核廃棄には抵抗する。従ってこの戦略遂行には巧みな外交が必要となる。さらに、北朝鮮に関するインテリジェンスも不足している。

トランプ政権が政権発足1週間後の1月27日付で発表したNSPM1は、「力を通じた平和の追求」としている。トランプ政権は軍備増強はするが、国務省予算は30%以上カットする構え。しかしこれで、未だ人員が揃わない国務省の外交力に頼ることができるだろうか。

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春名幹男

1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。

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(2017年4月20日フォーサイトより転載)

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