「感染症研究」で考える「内需依存型経済」から脱する道

アフリカの人々のための研究は、日本人の子どもや孫のための研究でもある。

2015年のノーベル医学生理学賞受賞が決まっている北里大学特別栄誉教授の大村智氏ら研究者3人の授賞式は、12月10日にストックホルムで行われる。日本のメディアでは当然ながら大村氏にスポットライトが当たるが、マラリアの治療薬アルテミシニンの発見で受賞する中国の女性研究者、屠呦呦氏の業績も、大村氏に優るとも劣らない偉業である。結核、HIVと並ぶ世界3大感染症のマラリアは、この薬の発見により、適切な治療を受ければ多くが完治する疾患となったからである。

マラリア死者は年間58万人

個人的な経験談で恐縮だが、西アフリカのコートジボワールで仕事をしていた2006年6月、マラリアに罹患したことがある。南アフリカの自宅に戻って1週間ほどしたころ、微熱や肩凝りなど風邪のような症状があり、やがて40度近い高熱を発して倒れた。かかりつけの南ア人医師に簡易検査してもらったところマラリアであることが判明し、総合病院に緊急入院となった。

マラリアは、単細胞真核生物のマラリア原虫がハマダラ蚊によって人体に注入され、赤血球に侵入すると発症する。原虫には熱帯熱、三日熱、四日熱、卵型の4種類があり、症状は少しずつ異なるが、どのタイプでも一定の潜伏期間後に高熱を発する点は共通している。

ただし先述した通り、早期に治療薬を投与すれば大半の症例は完治が期待できるし、マラリアには経口予防薬も存在している。マラリア汚染地域に渡航する直前に規定量の服用を開始し、滞在中も飲み続けると、発症を抑えることができるのである。筆者が9年前に感染・発症したのは、予防薬を服用していなかったからであり、自身の怠慢による失態であった。

だが、アフリカの貧困層を中心に、世界には治療薬へのアクセスが困難な人も多い。また、経口予防薬はあくまで旅行者向けであり、副作用を考慮すれば、マラリア汚染地域の住民が生涯飲み続けることができる訳ではない。この結果、WHO(世界保健機関)の最新の世界マラリア報告書(2014年版)によると、2013年には全世界で1億9800万人がマラリアを発症し、58万4000人が死亡したと推定されている。死者の大半はアフリカの5歳未満の子供だ。

世界をリードする阪大グループ

したがって、最も有効なマラリア対策は予防ワクチンの開発ということになるのだが、この研究分野で、日本は世界をリードしている。大阪大学微生物病研究所の堀井俊宏教授を代表とする研究グループは、マラリア原虫が生産するSERA抗原遺伝子を基に「BK-SE36」と称するワクチンを開発し、2010~2011年に東アフリカのウガンダで66人(6~20歳)を対象に臨床試験を実施した。

その結果、BK-SE36には、これまで世界で試されたすべてのマラリアワクチンの中で最も高い72%の発症予防効果があった。臨床試験の成果は2013年5月、米オンライン科学誌プロスワンに発表された。

堀井教授のグループは2012年にはウガンダ北部のグル大学医学部と共同で「グル・大阪大学マラリア臨床共同研究センター」を設立し、臨床試験を継続できる体制を整備した。今後は最もワクチンが必要とされる5歳未満の子供を対象にした臨床試験を終わらせ、日本の医薬品医療機器総合機構(PMDA)にデータを提出し、2020年までにワクチンとして承認されることを目指している。

ところで、堀井教授の研究を巡っては、興味深い話がある。堀井教授は2015年6月4日のヤフー・ジャパンのインタビューに答え、マラリア研究を開始したころ、周囲の理解をえられずに苦労した体験を回想している。記事をそのまま引用すると、次のように記されている。

文部科学省ですら「マラリアは日本にないのになんでそんなことを日本でするのか?」と言った。また、世界からも同様に見られていた。2000年前後だと、世界の医療研究の中心はアメリカであり、日本の貢献などは期待されていなかった。そのため、日本人は日本のことをしていればいいと思われていた。【ヤフー記事へのリンク】

マラリアは明治・大正時代には日本でも普通に見られた感染症であり、北海道では19世紀末から20世紀初頭に大流行している。だが、1950年代に滋賀県で発症が確認されたのを最後に日本から土着のマラリアは消滅し、現在は筆者のようにアフリカなどの汚染地域へ渡航した日本人が現地で感染するだけになっている。

外国でマラリアに感染する日本人は、日本の全人口からみればごく少数である。したがって、限られた予算の中で様々な研究に優先順位をつけていくと、日本社会に対する直接的脅威ではないアフリカの感染症研究は日本の国益にならない――。そういう考え方は、確かにあるだろう。

貿易依存度は世界192位

しかし、この、「日本に直接的関係のないこと(なさそうに見えること)」に取り組む研究こそが、人口減と少子高齢化が進むこれからの日本にとって重要ではないか。それは単なる人道主義的な要請によるものではない。

日本の社会には「日本は海外から資源を輸入し、これを加工して輸出することで経済発展してきた貿易立国である」という「日本貿易立国論」がある。だが、これは日本人が自国について漠然と抱いているイメージに過ぎず、実態はこの認識から大きく乖離している。

少なくとも1970年代以降の日本は世界でも稀にみる閉鎖型経済国家であり、海外への輸出ではなく、巨大な国内市場にモノやサービスを売ることで成長してきた国だ。輸出と輸入を合計した貿易総額がGDP(国内総生産)総額に占める割合=貿易依存度をみると、日本は世界206カ国中192位(2013年統計)であり、輸出依存度は同148位である。

とりわけ1986年のバブル経済期から日本の輸出依存度は10%を切り、世界の主要国で最も内需依存の国になった。こうした経済運営が可能だった要因の1つは、巨大な人口集団である「団塊の世代」がバブル期に30歳代後半から40歳代前半に達し、1985年のプラザ合意後の過剰流動性の下で旺盛な消費活動を見せたことで、日本国内に巨大な国内需要を形成したからである。

ともあれ、こうして1990年代に世界経済がグローバル化していく中、日本はこの深くて大きい内需に依存し、グローバル化の真逆の方向の「ガラパゴス」へと進んで今に至っている。

日本の少子高齢化と人口減は止めようがなく、国内市場の縮小は既に始まっている。これからの日本に巨大な内需は存在しない。この状況で、内需依存の閉鎖型経済に明るい展望を見出すことはできない。これは政治的主張ではなく、数学的な事実である。

一方、日本の状況とは対照的に、8月13日の記事「『人口爆発』の時代に突入するアフリカ」で指摘したように、アフリカの人口は増え続けていく。

「日本国内で売れない薬を研究するのはカネのムダ」という発想は、内需依存の閉鎖型経済を前提にしている。日本にとっての活路になり得るのは「そもそも最初から日本国内で売るつもりはない。将来、外国で売るために研究している」という発想の方だろう。アフリカの子供のための研究は、日本人の子供や孫のための研究でもある。

2014-08-20-a4d975692b86b8dffc6502f259e9a97360x60.jpg

白戸圭一

三井物産戦略研究所国際情報部 中東・アフリカ室主席研究員。京都大学大学院客員准教授。1970年埼玉県生れ。95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。同年毎日新聞社入社。鹿児島支局、福岡総局、外信部を経て、2004年から08年までヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に2014年3月末で退社。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞)、共著に『新生南アフリカと日本』『南アフリカと民主化』(ともに勁草書房)など。

関連記事

(2015年11月17日フォーサイトより転載)

注目記事