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巨星墜つ! 技術の先端を驀進した「ロケット・ササキ」の102年--大西康之

シャープの元副社長、佐々木正氏が1月31日に亡くなっていたことが、2月2日に公表された。102歳だった。

2018年02月06日 11時58分 JST | 更新 2018年02月06日 11時58分 JST

シャープの元副社長、佐々木正氏が1月31日に亡くなっていたことが、2月2日に公表された。102歳だった。カシオ計算機との激しい電卓開発競争の中で、現在もパソコンやスマートフォンで使われる半導体、MOS(金属酸化膜)LSI(大規模集積回路)や液晶パネルの実用化に道を開いた。カリフォルニア大学の学生だった孫正義氏が発明した自動翻訳機を1億6000万円で買い取って起業のきっかけを作った「大恩人」としても知られる。

佐々木氏の102年の人生はあまりに多くの功績に彩られており、「略歴」だけでもかなりの長さになってしまう。

NASAから「アポロ功労賞」

1915年、島根県浜田市に生まれた佐々木氏は、幼少期に台湾に渡り、19歳で京都帝国大学(現京都大学)に進むまで台北で暮らした。台北第一中学時代には、台湾代表として全国中学野球大会(現在の高校野球=甲子園)に出場している。

真空管技術者として、戦闘機の「紫電改」で知られる川西機械製作所(後の神戸工業、現在のデンソーテン)に入社し、戦時中は陸軍登戸研究所でレーダーの開発に従事した。

戦後、日本の通信網を改良するためGHQ(連合国総司令部)の命令でアメリカに渡り、当時ベル研究所の技術者だったウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテン(後に3人ともノーベル物理学賞を受賞)から、まさに開発中だった「トランジスタ」の存在を知らされる。帰国後、神戸工業の社長に進言し、いち早くトランジスタの開発に着手した。

1964年、シャープ創業者の早川徳次(故人)、2代目社長、佐伯旭(故人)に説得され早川電気工業(現在のシャープ)に移籍する。「電卓戦争」と呼ばれたカシオ計算機との激しい開発競争の中、小型化を進めるためMOS・LSIの実用化を決断。シャープが1969年に発売した世界初のMOS・LSI電卓は、5年前に比べ重さが18分の1、価格は5分の1になり、電卓の爆発的な普及につながった。

MOS・LSIの開発でシャープは米半導体大手のロックウェルと提携した。シャープは電卓向けを目的としていたが、ロックウェルの目的は宇宙開発だった。ロックウェルの技術者たちは佐々木氏の爆発的な発想力に敬意を表し、「ロケット・ササキ」のニックネームを贈った。シャープとロックウェルが開発したMOS・LSIはアポロ12号に採用され、佐々木氏とシャープはNASA(米航空宇宙局)から「アポロ功労賞」を贈られた。

電卓の小型・薄型化で半導体に次ぐネックになったのが、蛍光管の表示装置だった。佐々木氏は、「使い道がない」と捨て置かれていた液晶に着目。電卓の表示装置として実用にこぎつける。これが後に「アクオス」で一斉を風靡するシャープの液晶事業の礎になった。

「僕は孫正義を残した」

1978年、電卓戦争が一段落してシャープの東京支社長を務めていた佐々木氏の元に、1人の若者が現れる。カリフォルニア大学バークレー校に通い、この時一時帰国していた孫正義氏である。父親の安本三憲氏に伴われて現れた孫氏は胸に大きな風呂敷包みを抱えていた。カリフォルニア大学教授の協力を得て開発した自動翻訳機である。

この時、シャープはすでに独自の自動翻訳機を開発していたが、孫氏の試作機には電子音声機能が付いており、8カ国語に対応していた。佐々木氏は「1言語につき2000万円」という破格の条件でこの機械を買い取った。ここから現在のソフトバンクに繋がる孫氏の起業家人生が始まるのである。

「虎は死して皮を残すというが、僕は孫正義を残したから、もういつ死んでもかまわない」

晩年の佐々木氏は冗談交じりによくこう語っていた。孫氏も佐々木氏の恩を忘れず、毎年「大恩人の日」と称して佐々木夫妻を福岡ドームの福岡ソフトバンク・ホークスの試合に招待した。

「自分のためでも会社のためでもなく、人類の進歩のために働くのが技術者だ」と考え、国境や企業の壁を超えて技術者が知恵を出し合う「共創」を唱えた。神戸工業時代の部下で、トンネルダイオードの発見でノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏が「独創こそ重要」と唱えると、「あらゆる発明は先人の成果の延長線上にある。人間1人にできることには限界がある。独創などと思い上がってはいけない」と噛み付いた。

韓国・サムスン電子の中興の祖、李健煕氏に教えを請われた時には惜しげもなく半導体の技術指導をした。サムスンはやがて日本の半導体産業の最大の脅威になり、経済産業省の官僚は佐々木氏を「国賊」と呼んだ。

だが当の佐々木氏は、「日本だってトランジスタの技術を米国から学んだ。教えて追いつかれるのなら、我々はさらにその先に進めば良い。そうやって人類は進歩するのだ」と意に介さなかった。日本の半導体産業が敗れたのは「今ある技術を守ることに汲々とし、進歩を止めてしまったからだ」と指摘していた。

2016年、シャープが台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入った時も、「あちらがこちらを買うこともあれば、こちらがあちらを買うこともある。長い目でみれば、どちらの資本になろうが大した違いはない」と恬淡としていた。世界を股に掛け、技術の先端を走り続けた佐々木氏の感覚は、企業や国境の枠をはるかに超えていた。

晩年のお気に入りは、シャープが開発したロボット型スマートフォンの「ロボホン」だった。シャープの開発陣が佐々木氏の自宅にロボホンを持っていくと、孫を慈しむようにいつまでも撫でていたという。

「2020年のオリンピックでロボホンが世界から集まるお客さんをおもてなしする。考えただけでもワクワクするじゃないか」

その光景を目にすることは、ついになかったが、最後まで未来を切り開く技術の力を信じ続けた102年の人生だった。

※佐々木氏の事歴については、大西さんの下記の記事もご参照ください。

台湾「ホンハイ」の「シャープ買収」秘話(2016年5月18日)

大西康之 経済ジャーナリスト、1965年生まれ。1988年日本経済新聞に入社し、産業部で企業取材を担当。98年、欧州総局(ロンドン)。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に「稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生」(日本経済新聞)、「会社が消えた日~三洋電機10万人のそれから」(日経BP)、「ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア 佐々木正」(新潮社)、「東芝解体 電機メーカーが消える日」 (講談社現代新書)、「東芝 原子力敗戦」(文藝春秋)がある。
関連記事 (2018年2月3日フォーサイトより転載)