幻に終わった「南アフリカ副大統領」の日本訪問

なぜ南アフリカ「副」大統領の来日に、日本は期待を寄せていたのか?中国をめぐる南ア事情とは?

マスメディアでは報道されなかった「幻の要人来日」がある。6月28日から30日にかけて予定されていた、南アフリカのシリル・ラマポーザ副大統領の来日計画だ。滞在中は安倍晋三首相との会談や、早稲田大学での講演、日本貿易振興機構(JETRO)のビジネスフォーラムへの出席などが予定されていた。筆者も財界関係の行事で、お目にかかる予定であった。

来日は6月9日に関係機関に通知があり、日本政府や財界を中心に受け入れ準備を進めていた。ところが、来日まで10日を切った6月19日になって突然、南ア政府から日本政府に対し、訪日中止が伝えられたのである。

ラマポーザ副大統領は昨年11月末にも来日を予定していたが、日本側が解散総選挙に突入し、直前に取りやめになった経緯がある。来日が確定し、関連行事の準備がほぼ終了したにもかかわらず、2度も続けて要人訪問が中止された例は、あまり聞いたことがない。今回の中止の理由は「南ア側の内政上の理由」とされている。

中国との蜜月

「内政上の理由」の詳細は後述するが、外交の世界では通常、国家元首の往来が最重要である。しかし、少なくとも日本にとって、今回ラマポーザ副大統領の来日は、そうした外交の常識に収まらない重要な意味を持っていた。それは次のような事情による。

1994年の南アの民主化以降、日本の政府・企業は南ア政府と良好な関係を構築してきた。とりわけムベキ大統領(在任1999~2008年)の時代の両国関係は良好であり、南アの大統領経済・投資諮問委員会委員を務めた日本人商社マンがいたほどムベキ政権との関係は濃密であった。

だが、日本と南アの蜜月の関係は2009年5月、南アにズマ大統領が誕生した時に大きな転機を迎えた。南ア外交の「対中国シフト」の始まりである。以後、中国はアフリカ経済のハブである南アを取り込むべく、様々な方法でズマ政権に「貸し」を作ってきた。その象徴的なものの1つは、南ア政府が初めて出席を認められた2011年のBRICS首脳会合だろう。中国はこの年の首脳会合ホスト国の立場を使い、南アの悲願であったBRICSメンバーへの加盟を認めた。

ズマ政権の内情に詳しい関係者によると、南アの国内法では外国からの政治献金が規制されていないため、中国から与党・アフリカ民族会議(ANC)に選挙資金が提供されている可能性が高いという。ズマ大統領は2期目を目指した2014年5月の総選挙前、金銭スキャンダルで批判を浴び、ANCは支持率低下に苦しんでいた。だが、最終的にANCは議席を減らしたものの、6割以上の議席を確保しており、「ANCの巻き返しは中国の選挙資金のおかげ」と言われた。中国が3年に1度開催している中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)は2015年末、初めて南アで開催される予定だ。

「希望の星」ラマポーザ

中国に首根っこを押さえられたかのようなズマ大統領に対し、ANCの中にも懸念を抱く人々が少なからず存在する。そうでなくてもズマ大統領になってからの南アは、いいところがない。労組のストが頻発、長期化し、経済成長率は低迷している。外国人排斥の風潮が高まり、南アで働く他のアフリカ諸国出身者が襲撃され、死傷者が相次いだ。大統領本人は私邸の工事に公費を流用した疑惑を持たれ、出身民族のズールー人に対する露骨な利益誘導や縁故政治が批判を浴びている。

日本政府が招待し、直前になって訪問が中止になったラマポーザ副大統領は、ズマ政権下の南アのこうした現状に危機感を抱くANC内の人々にとって、国家再建を託すことができる「希望の星」のような存在だ。

ラマポーザ氏は1990年代初頭には、故ネルソン・マンデラの右腕として、白人政権とのアパルトヘイト廃止交渉に当たった。民主化後は実業家に転じたが、2012年にANC副総裁として政界復帰し、2014年に発足した第2期ズマ政権で副大統領に指名された。経済センスや大衆動員力を含めて大変な実力者で、縁故主義や部族政治に関心はなく、法の支配を重んじ、白人からも黒人からも尊敬を集めている。

ズマ大統領は、自らの権力基盤を脅かしかねないラマポーザ氏を政権内に取り込むことで、その行動に歯止めをかけようとしたのだろう。一方のラマポーザ氏も、ズマ大統領に正面から反旗を翻すのは得策ではないと考え、力を温存しておくべきと判断したようだ。

そうした傑物であるが故に、ラマポーザ氏は南ア国民にとって大事な人物であるだけでなく、日本にとっても南アとの関係再構築のキーマンなのである。今回の日本への招待には、次期大統領の可能性が高い同氏への先行投資の意味があった。ラマポーザ訪日に期待を寄せていた日本側の落胆は非常に大きい。

2017年末のANC党大会が山場

さて、南ア政治は今後どのように展開するだろうか。南ア大統領は直接選挙ではなく、日本の首相選出のように、国会議員による議会内投票で選出される。したがって、憲法上のズマ氏の大統領任期は2019年5月までだが、その前の2017年12月に予定されているANC党大会が山場となる。ここでズマ氏本人が総裁に再選されるか、ズマ氏の子飼いの政治家が総裁に担ぎ出されれば、ズマ政権は安泰だろう。仮にズマ氏が残り1年半の任期を残して大統領職を辞しても、「子飼い大統領」を通じた院政も可能だろう。

一方、仮にANC内の「反ズマ派」がラマポーザ氏を新総裁に選出すれば、ズマ政権は党内基盤を持たない「死に体」となるだろう。ズマ氏は、ムベキ政権(1999~2008年)の副大統領を2005年に解任されたあと、2007年のANC党大会で、反ムベキ派を結集して総裁の座を射止め、ムベキ大統領を任期満了前の辞任に追い込んだ経験を持つ。党内クーデターの怖さを誰よりも知っているのは、ズマ氏当人であるに違いない。

その2017年12月のANC党大会に向けて、党内の権力闘争の帰趨に大きな影響を与える政治イベントは、2016年の6月に予定されている統一地方選挙である。州レベルの選挙ではあるが、ここでANCの負けが込むような事態になると、党内ではズマ大統領への不満が強まっていくだろう。当然ながら、大統領本人もそのことを分かっており、今回のラマポーザ氏の訪日も、統一地方選に向けた党内の体制固めを理由に中止に追い込まれた。南ア政府によって、それは次のように説明されている。

ANCは労組の連合体「南ア労働組合会議(COSATU)」と「南ア共産党」を支持基盤にしているが、COSATU内では労組の分裂が進んでいる。2016年の統一地方選を前に、こうした政治情勢に危機感を強めたズマ大統領は、ラマポーザ氏の日本訪問が確定してから1週間後の6月16日になって急遽、ANC、COSATU、共産党、全閣僚が一堂に会する「サミット」の開催を決めた。サミットの開催期間を6月27日~7月1日に定めたので、こうして6月28~30日に設定されたラマポーザ氏の訪日は不可能になったのだという。

日本にできること

親中派のズマ大統領が、ラマポーザ氏が日本と関係を深めることを恐れ、日程を意図的に重ね合わせて訪日を阻止した、という解釈も成り立つ。そうかもしれないし、深読みが過ぎるかもしれない。しかし、仮にそうだったとしても、ズマ大統領が「訪日をつぶした」と認めることはないだろうから、真相は分からないだろう。

結局、日本にできること、すべきことは、南ア政治の行方を注視しつつ、日本は何を重視するかについて、南ア側にメッセージを送り続けることしかないだろう。日本が重視すべきこと。それは「縁故政治」ではなく「法の支配」であり、選挙資金の提供ではなく、質の高いビジネスである。

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白戸圭一

三井物産戦略研究所国際情報部 中東・アフリカ室主席研究員。京都大学大学院客員准教授。1970年埼玉県生れ。95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。同年毎日新聞社入社。鹿児島支局、福岡総局、外信部を経て、2004年から08年までヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に2014年3月末で退社。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞)、共著に『新生南アフリカと日本』『南アフリカと民主化』(ともに勁草書房)など。

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(2015年7月2日フォーサイトより転載)

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