米議会にトランプ大統領の「核先制攻撃」制限法案:「核戦略論議」沸騰へ--春名幹男

トランプ政権の初年度から、米核戦略をめぐって冷戦終結後初めて本格的な議論が戦わされることになった。

米国では通常、核兵器使用権限は大統領命令で実行され得る形式になっているが、トランプ大統領就任直後の今年1月24日、大統領の核先制使用を制限する法案が米上下両院に提出されていたことが分かった。

提案者の1人、エドワード・マーキー上院議員は法案提出にあたって、「核戦争は人間の生存に最も危険なリスクをもたらすが、トランプ大統領はテロ組織に対して核攻撃を検討すると示唆している」と強調した。このため法案では、議会の同意なしにトランプ大統領が核兵器を使用することを認めない、と定めている。

核戦争発生までの時間を示す米誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」の「終末時計」は既に、この64年間で最短の「2分30秒前」を表示。東アジアが北朝鮮の核・ミサイル開発で最も危険視されているだけに、法案の行方が注目される。

他方、核軍備増強を目指すトランプ大統領は、就任1週間後に署名した「国家安全保障大統領メモ1号(NSPM1)」で、マティス国防長官に対して新しい「核体制見直し(NPR)」文書を作成し、同時にミサイル防衛の強化策を検討するよう命じている。

また米議会は、トランプ政権発足前に、今年度国防支出権限法の付帯条項として、国家情報長官および米軍戦略司令部に対して、「ロシアと中国の指導部の核攻撃後の生存能力」について評価する報告書を提出するよう求めていたことも分かった。「核攻撃後」のロシアと中国の状況を分析し、米核戦争計画の参考にするという。

これらの文書は年内に公表される見通しで、トランプ政権の初年度から、米核戦略をめぐって冷戦終結後初めて本格的な議論が戦わされることになった。

「ISに対して核」と発言

新しい法案の名称は、「2017年核兵器先制使用制限法」。憲法で、宣戦布告権限が唯一議会にのみ与えられていること、さらに核兵器が何百万人もの殺傷能力があることに鑑みて、「議会による宣戦布告なしに核兵器を先制使用するのは憲法違反だ」としている。従って、「議会が核兵器使用を認める宣戦布告をしない限り大統領は核兵器を先制使用してはならない」と明記している。

トランプ氏は昨年3月、米大統領選挙予備選中に、過激派組織「イスラム国」(IS)による対米攻撃には「核で反撃する」と発言した。さらに自分の外交顧問に「核があるのになぜ使わないのか」と質問したとも報道された経緯がある。

さらに当選後の昨年12月22日にツイッターで「米国は世界が核に関して理解するまで核能力を拡大・強化する」と述べたほか、日本と韓国が核武装することも構わないといった「無謀なアイデア」(ワシントン・ポスト紙)を口にするなど核専門家らの間で不安が広がっている。

先に日本、韓国、中国を歴訪したレックス・ティラーソン国務長官も、急速に進展する北朝鮮の核・ミサイル開発に対して、「あらゆる選択肢」を検討中だと言明。北朝鮮に対する先制攻撃や韓国への核兵器再配備もトランプ政権内で検討中だと報道されている。

トランプ氏は短気でキレやすい性格のため冷静な検討もせず「核の引き金」に手を掛ける可能性に対して恐怖感も強まっている。特に緊急事態では軍や議会は大統領の決定を阻止できないため、法案提出に踏み切ったとみられる。

トランプ氏が引き継いだ「核戦争計画文書」

核戦争計画は、冷戦時代には「単一統合作戦計画(SIOP)」と題した文書にまとめられていたが、冷戦後は戦略軍司令部が実行する「作戦計画8010号(OPLAN8010)」に明記されている。

「核兵器のない世界」を標榜したオバマ大統領も、実は2009年と2012年の2回、改訂版をOPLAN8010-09とOPLAN8010-12として決定している。その内容は機密で表紙のみ公開されているが、全米科学者会議(FAS)のハンス・クリステンセン研究員によると、核兵器を使用する敵対国・組織は5カ国プラス1組織となっている。

5カ国はロシア、中国、北朝鮮、イラン、シリア。1組織はイスラム過激派とみられ、これらの国・組織が大量破壊兵器(WMD)を使用した場合、核兵器も含めた手段で反撃する形となっている。トランプ政権はこれを引き継ぎ、必要に応じて改訂版を作成することになる。

フロリダで無造作に置かれた「核カバン」

核先制使用の場合は、ホワイトハウス内の大統領から、固定の通信ネットワークで指示が出される。

しかし、大統領がホワイトハウスの外に出た際に、敵対国から核攻撃を受けた場合には、ホワイトハウス駐在武官が常に携行する重さ約20キロの「フットボール」と呼ばれるカバンに搭載された機器で反撃を指示することになる。SIOPないしは現在のOPLAN8010の隠語が「ドロップキック」であり、それを指示する装置がフットボールと呼ばれるようになったようだ。

フットボールの中には、反撃のオプションとして敵の核基地など攻撃目標を記した文書、大統領本人であることを示す認証カード、大統領らが身を隠すシェルターの説明文書、国民に非常事態を告げる緊急放送の装置、コンピューター、衛星電話などが入っている。

トランプ氏は歴代大統領と同様に、ホワイトハウスに入る前に、戦略軍司令部の専門家らから説明を受け、1月20日の宣誓就任直後に秘密裏にフットボールを引き継いだ。

しかし、2月に安倍晋三首相とゴルフをまじえて会談したトランプ氏のフロリダの別荘では、「フットボール」が無造作に置かれ、運搬役の武官が別荘コンプレックス内のレストランで一般客と一緒に撮った写真がSNSに投稿された。この問題はトランプ政権の不注意な行動、と批判された。

冷戦期のような軍事優先の議論

トランプ大統領がマティス国防長官に新しい核体制見直し文書の作成を命じたNSPM1では、「米国の核抑止力が、21世紀の脅威を抑止し、同盟諸国に再保証するために、近代的かつ堅固、柔軟で、準備態勢にあり、適切に調整するよう確認する」ことを求めている。

同時に、ミサイル防衛システム能力を見直すため、国防長官に対して(1)ミサイル防衛能力の強化策を策定し、(2)国土防衛と戦域防衛のバランスを再調整し、(3)国防支出の優先順位を明確にするよう求めている。

それ以上に懸念されるのは、冷戦時代を想起させるような国防支出権限法の付帯条項だ。米下院軍事委員会戦略戦力小委員会のマイケル・ターナー議員(共和党、オハイオ州選出)らが中心となってまとめたものと伝えられる。ターナー議員はブルームバーグ通信に対して「中国とロシア首脳の指揮・管制に関する知識は米国の抑止力を左右する」と指摘している。

また、核戦争時に中ロの指導部が危機を逃れて、どのような施設で指揮・管制にあたるかについても、国家情報長官と戦略軍司令部に対して報告するよう求めている。

こうした冷戦時代と同じような議論が行われるのは、トランプ政権が核軍拡の構えを示していることと無関係ではない。

しかし、ISに対して核兵器を使用することが適切な戦略なのか、あるいは北朝鮮との外交は断念するのか。なおトランプ戦略の核心は不明だが、トランプ大統領が外交よりも軍事を優先していることは予算、人事の両面から明らかだ。

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春名幹男

1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。

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(2017年3月24日「フォーサイト」より転載)

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