トランプ新大統領誕生「米暗黒時代」に起きた「ウィメンズマーチ」の力 −青木冨貴子

多くの人間が繋がっていけば、もの凄いパワーを発揮することができるかもしれない。

1月20日、ドナルド・トランプが首都ワシントンの議会議事堂前につくられた特設会場で、ロバーツ最高裁長官のもと右手を上げて就任宣誓する姿を見ながら、この国に住むようになって新大統領の宣誓を見るのは、9回を数えることに気づいた。

1984年、ニューズウィーク日本版創刊準備のためニューヨークへ赴任したとき、米国はロナルド・レーガン大統領の再選選挙で沸き上がる暑い夏を迎えていた。翌年1月20日にはレーガン政権2期目が始まり、ソビエト連邦を「悪の帝国」と批判し、「力による平和」を訴える力強い大統領のもとで、国内には「愛国心」という言葉が響き渡っていたものである。

「ベトナム戦争反対」で盛り上がった60、70年代の米国を見て学生時代を過ごし、いつか住んでみたいと思っていた国に辿り着いてみると、わたしの知るアメリカとは正反対の顔に迎えられたのである。まったくどれほど落胆したことか。

「空疎な言葉」への不安

33年前のあの苦い思いは昨年11月9日、大方の予想を裏切ってトランプ勝利が決まったときに再び甦ってきた。国境に壁をつくり、その費用をメキシコに持たせ、移民を閉め出し、米国を再び偉大な国にすると豪語するトランプを選んだのは「あの顔」をしたアメリカ人たちである。そのトランプが大統領になったのは、この国が「暗黒時代」の第1歩を踏み出したということではないだろうか。

就任宣誓を済ませた後にはじまったトランプの就任演説は、これまでの大統領のように米国の歴史や識者の言葉を引用するような格調のあるものではなく、あの選挙キャンペーンで聞いた同じ言葉の繰り返しとしか思えなかった。

「首都ワシントンから権力を移し、米国民に戻す」「雇用を取り戻し、富を取り戻し、アメリカン・ドリームも取り戻す」と訴え、「米国第一」を連発、「米国を再び偉大な国にするのです」と結んだ。

この国をどんな方向へもっていきたいのか目新しいビジョンもなく、「偉大な国」とはどんなものか具体的な設計図も施政案も方針もなく、「わが国の首都の一握りの集団が統治の恩恵にあずかる一方で、国民は犠牲を払って来た」というものの、トランプの選んだ閣僚のなかには富の分配の恩恵に大いに預かった何十億ドルもの資産をもつ大富豪がどれほど顔を並べていることか。

その巨大富豪がこれから国民に富を分配し、国民を守っていくとはとても思えない。トランプの発する空疎な言葉と現実の乖離はあまりにも大きく、その落差がこの国を経験したこともない、思いもよらぬ危険な方向へ向かわせるのではないかと不安に襲われた。

初めてづくしの大統領夫妻

初代大統領ジョージ・ワシントンから始まった就任式は、大統領選の4カ月後の3月に連邦議会両院いずれかの本会議場で行われていたという。大統領選後の1月20日に行われるようになったのは1937年以降のこと。

ハイライトである就任宣誓は法的手続きでもあり、新大統領が「職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護する」ことを誓うものである。トランプは母親から贈られた聖書とリンカーンの使った聖書に左手をおいてこの宣誓を行った。

政治家や関係者、あるいは常識をもった市民にとってこれは当然の誓いではあるが、職務を忠実に遂行するばかりでなく、合衆国憲法の維持、保護、擁護に全力を尽すという言葉を新大統領はどこまで厳粛に受け止めただろうか。

とにかく政治経験のまったくない民間のビジネスマンが大統領になったのである。軍隊の経験もなく、徴兵制のあったベトナム戦争当時は兵役免除を5回も繰り返した。70歳という高齢の大統領は初めて(レーガンは69歳)であり、離婚経験が2回(レーガンは1回)あるのも初めて。

メラニア夫人は2人目の外国(スロバキア)生まれ(ジョン・アダムス大統領の夫人は外国生まれ)の大統領夫人で、「3番目の妻」としても、モデル出身(レーガンの妻は元女優)としても初である。24歳も年下だ。

世界最強の軍の総司令官に

トランプ大統領の就任演説は16分と短いもので12時27分には終了。60年代の公民権運動の立役者として知られるジョン・ルイス議員に続いて民主党下院議員60名以上が就任式をボイコットしたのも空前の出来事である。

12時40分には、ヘリコプターに乗り込んでワシントンを離れるオバマ元大統領夫妻を副大統領のマイク・ペンスとともに見送る。就任式に参列したクリントン夫妻など元大統領や上院議員などとともに昼食会に臨んだ頃から、およそ1000人に及ぶデモ隊の一部が警官隊と衝突を始め、ホワイトハウスに近いKストリートの一角は黒煙と炎に包まれた。

多くの抗議行動が市内で平和的なマーチを繰り返すなか、ペンシルベニア・アベニュー沿いに議事堂からホワイトハウスへ向けてのパレードが開始された。これはトマス・ジェファソン大統領の時代から始まる伝統的なパレードで、先導する大統領に続くのは軍人や高校、大学、警官のブラスバンドなど8000人にも及ぶ。

沿道を埋め尽くすはずの観衆は見るからに少なく、時にはまばらで、ホワイトハウスに近づくとさすがに増えてきたが、それもパレードを見渡せる席のみが埋まる程度である。

新大統領のリムジンがホワイトハウスに到着したのは5時20分。その後、観覧用の席の最前列で、パレードが最後まで通りすぎるのを見送る。軍人の行列には立ち上がり、敬礼で迎えるとトランプの顔は初めて和み、自信に溢れる笑顔になって、満足を噛み締めるようだった。

その晩、首都内で盛大な舞踏会が3会場で開かれた。新大統領夫妻はそこでダンスを踊ることが習慣になっている。

午前9時40分、ホワイトハウスでオバマ夫妻に迎え入れられてから続いた長い長い1日である。この様子はすべて生中継されたので、14時間以上もテレビにかじり付いてトランプを見るのは苦痛であったが、軍人の集まる最後の舞踏会は見逃したくなかった。

会場にはアフガニスタンに駐屯するまだ若い陸軍兵数名の姿が大きな画面に映し出された。その1人1人が敬礼して軍隊式に新大統領を祝福する。世界最強のアメリカ軍すべてを率いる総司令官にトランプがなったことを実感させる。わたしは背筋の凍る思いで見つめるしかなかった。

50州に広がった「ウイメンズ・マーチ」

ニューヨークでは多くの市民が、トランプによって脅かされる権利を守るためにさまざまな活動を展開していた。とくにアーティストを中心としたグループは、20日にテレビを一切見ない、ビジネスも仕事も学校もすべてなしというストライキを呼びかけた。

ブロードウエイの俳優や関係者たちは「ゴースト・ライト・プロジェクト」を立ち上げ、19日の夜には、全米各地の劇場前に集合するよう呼びかけた。20日夜、ウオール・ストリートは再び若者たちでいっぱいになり、とくに4人もの閣僚を送り出したゴールドマン・サックス前では抗議の声が高かった。

こうした運動の大きな盛り上がりは21日朝に始まった「ウイメンズ・マーチ」で頂点に達した。ニューヨーク・タイムズ紙によると、この計画は引退してハワイに住む弁護士とニューヨークのファッション・デザイナーが、女性による行進をワシントンで行おうではないか、とトランプ勝利の決まった直後にフェイスブックで友達に呼びかけたことから始まった。2人とも白人女性で、抗議行動をオルグする経験は皆無だったという。

パレスチナ系のアクティビストや銃規制などを訴えるアフリカ系運動家、200を超える市民団体が参加して運動を大きくしていった。まさにフェイスブックのパワーが遺憾なく発揮されたのでる。

このマーチの成功の理由の1つは、「反トランプ」に固執しないことだった。とりわけ避妊や中絶、性と生殖にまつわる女性の権利を守るだけでなく、環境、投票権、銃規制、健康保険など多くの社会問題も訴えることにしたのが鍵になり、この声に賛同する男性や、トランプに危惧を抱くすべての人びとを巻き込んでいった。

主催者側は20万人のマーチを予想していたが、それをはるかに上回る50万人が首都に集まった。ニューヨークでは20万人あまりがトランプタワーに向かって、まるで混雑した地下鉄のように五番街を埋め尽くした。ボストン、マイアミ、シカゴ、アトランタ、ヒューストン、デンバー、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなどマーチは全米各都市に広がり、ついには50州すべてで繰り広げられたのは驚きである。

ニューオリンズでも

実を言うと、わたしはワシントンにも行かれず、記念すべきニューヨークのマーチにも参加できなかった。歯ぎしりする思いでいたところ、滞在先のニューオリンズでもウイメンズ・マーチが開かれていることを知り、午後3時過ぎになってから、早速、市庁舎前のダンカン・スクエアへ飛んで行った。そこがマーチの終点で集会が開かれると聞いたからである。

11年前のハリケーン・カトリーナで1883人の死者を出す大被害を受けたニューオリンズは現在、人口34万人の中都市である。メキシコ湾に面し、ミシシッピ川の河口に位置する港湾都市で、穀物や綿花など流域の農産物の輸出港として大いに栄えた。

かつてはフランス領だったが、ナポレオンが米国に売却したのが1803年。フレンチ・クオーターにはフランス領時代を偲ばせる邸宅がならび、クレオール料理やケイジャン料理などのほか、ジャズの発祥地として名高く多くのジャズクラブがある。

そんな歴史のある町で、ウイメンズ・マーチと言っても、集まるのはほんの数百人くらいだろうと思って足を運んでみると、市庁舎へ向かう道路でプラカードを手にした若者がたくさん歩いていた。

「パレードはどうなったの」と聞くと、「まだ盛り上がっている」という返事である。何だかあの60、70年代の雰囲気で、思わずにやりとした。ダンカン・スクエアに到着すると目を疑った。数百人どころか、数千人あるいは、1万人以上が公園のなかにあるステージを囲んで気勢を上げている。演壇では60、70年代と同じように声を張り上げてアクティビストと思しき女性が演説している。

入れ墨をした少女や派手なピンクの帽子をかぶった白人の女の子が多い。彼女のボーイフレンドもいる。「ミレニアル世代」と呼ばれる1980年以降に生まれ、2000年以降に成人した世代が中心で、中産階級の出身と思われる。アフリカ系、ラテン系、イスラム教徒など多様な人種の顔も見える。なかには、わたしたちの世代までが集まっている。

「反トランプ」を超えて

「アメリカを憎悪のない国に」「多様性は私たちの強さ」「人種差別と戦う」「われらの革命がはじまる」などそれぞれが自分の主張をプラカードに表現している。

「私の体、私の選択」というのは女性の妊娠中絶の権利を訴えたもの。「悲しい(SAD)」とひとことのもある。

「意地悪女のスーパーパワー」というのは、トランプに「意地悪女」と呼ばれたヒラリーのことである。

これはただの反トランプでなく、トランプの女性蔑視発言に腹をすえかねた女性たちの声である。それに共鳴する男性の声である。人種、宗教、環境、投票権、報道の自由など、多様な権利を守るための戦いである。

このマーチが全米で100万人以上を集め、参加者はロンドン、パリ、ローマなど全世界を合わせると200万人以上にも上ったというのは、トランプ政権に危機感を抱く人間が世界でそれだけ多いことの証左であり、またソーシャル・ネットワークで地域や国境を超えて、繋がれることの証しでもある。

これだけ多くの人間が繋がっていけば、もの凄いパワーを発揮することができるかもしれない。60、70年代とは時代も社会環境もまったく異なる新しい運動の胎動をわたしは予感する思いだった。

長く続く戦い

この日、CIA本部に現れたトランプ大統領は、就任式に集まった観衆の数が少なかったと報じるメディアに異議を唱えた。

「私は今もメディアと戦っている。25万人などというのはまったくの嘘だ」と憤慨をぶつけた。

各メディアは、過去最多の180万人が参加したオバマ第1期の2009年の就任式に集まった観衆の写真と、いかにも少ない2017年の写真を並べて比較した。

大統領はテレビ映像や写真は不正確だと述べ、「150万人いたように見えた」と語り、一方、ホワイトハウスで初の記者会見を開いたショーン・スパイサー報道官は集まった記者団を罵倒し、「数字は誰ももっていない。就任式の観衆としては文句なく過去最大だ」と断定した。

一方、CIAは大統領選挙にロシア情報局が介入しようとしたと結論を出したが、新大統領は全面否定している。都合の悪い現実は否定して、自分の言うことだけが正しいとするのは独裁者の習性ではないか。

「ウイメンズ・マーチ」で立ち上がった女性たちはこれから新大統領のこうした習性に立ち向かわなくてはならない。戦いは長くつづき、多大な熱意と辛抱が必要だが、わたしはようやく「暗黒の時代」に一筋の炎が灯されたのを実感したのである。

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青木冨貴子

あおき・ふきこ ジャーナリスト。1948(昭和23)年、東京生まれ。フリージャーナリスト。84年に渡米、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。著書に『目撃 アメリカ崩壊』『ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』『昭和天皇とワシントンを結んだ男』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。 夫は作家のピート・ハミル氏。

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(2017年1月30日「フォーサイト」より転載)

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