2017年北朝鮮「新年の辞」(中)異例の「自己批判」が意味するもの ー平井久志

(北朝鮮は)反朴槿恵政権の動きを北朝鮮も極めて重視していることの表れとみられる。

金正恩(キム・ジョンウン)党委員長の今年の「新年の辞」で特徴的だったのは、韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権への非難を前面に押し出し、韓国への政治介入の姿勢を明確にしたことだ。

一方、次期トランプ政権に平和協定の締結などを呼びかける可能性があるのではと思ったが、そういう具体的な政策提案はなかった。これは、北朝鮮が当面は対南攻勢を優先させえる考えで、トランプ政権への対応はその政策を見極めた後にするという「先南後米」路線ではないかと思われる。従来の北朝鮮の基本姿勢は「封南通米」といわれ、韓国側の動きを封じ、米国との対話を優先する姿勢だが、昨年10月から韓国で生じている反朴槿恵政権の動きを北朝鮮も極めて重視していることの表れとみられる。

「封南通米」から「先南後米」へ

金正恩党委員長は「南朝鮮当局は、われわれの愛国・愛族的な呼び掛けと誠意ある提案から顔を背け、対共和国制裁・圧迫と北侵戦争策動にしがみついて北南関係を最悪の局面に追い込んだ」と朴槿恵政権を批判した。

さらに「同族対決に活路を求める朴槿恵のような反統一的な事大主義的売国勢力の蠢動を粉砕するための全民族的闘争を力強く展開すべきである」と主張し、朴槿恵大統領を呼び捨てにしただけでなく「反統一的事大主義的売国勢力」と決めつけた。新年の辞で韓国の大統領を名指しで、しかも呼び捨てにするのは異例だ。

これは韓国において朴槿恵政権はすでに終わったという北朝鮮の判断を示すものだろう。「反統一的事大主義的売国勢力の蠢動を粉砕する」という表現からは、北朝鮮敵視政策を取る保守政権の誕生を阻止するという強い意志を感じる。

金正恩党委員長は「昨年、南朝鮮では大衆的な反『政府』闘争が激しく繰り広げられ、反動的統治基盤を根底から揺るがした。南朝鮮人民の闘争史に著しい足跡を残した昨年の全民抗争は、ファッショ独裁と反人民的政策、事大主義・売国と同族対決をこととしてきた保守当局に対する積もりに積もった恨みと憤怒の爆発である」と韓国における朴槿恵大統領退陣要求運動を高く評価した。一方で「ロウソク・デモ」のような表現はなかった。

対南平和攻勢の可能性

金正恩党委員長は「全民族的範囲で統一運動を活性化していくべきである。思想と制度、地域と理念、階級と階層の差異を超越して活発に接触して往来し、北南当局を含む各政党・団体と内外の各階層同胞が参加する全民族的な統一大会合を実現すべきである」と訴え、南北の「統一勢力」の連携を呼び掛け、南側にくさびを打ち込んだ。

さらに「わが方は、民族の根本的利益を重んじ北南関係の改善を望む人であれば、それが誰であれためらうことなく手を携えていくであろう」、「民族の統一志向に逆行する内外の反統一勢力の挑戦を粉砕しなければならない」と訴えた。これは韓国の進歩勢力との連携を示唆したものとみられるが、韓国側に具体的な提案はなかった。

朴槿恵政権が事実上の死に体で、黄教安(ファン・ギョアン)大統領権限代行に具体的な提案をしても保守勢力を利するだけという判断であろうが、韓国で今年繰り上げ実施される可能性の高い大統領選挙で進歩勢力が勝利すれば、具体的な対話提案など平和攻勢を掛けてくる可能性があるとみられる。

米韓合同軍事演習の中止要求

金正恩党委員長は「南朝鮮当局はわれわれの自衛的行使について頭ごなしに言い掛かりをつけて情勢を激化させるのではなく、北南間の軍事衝突を防止し、緊張を緩和するためのわれわれの真剣な努力に肯定的に応じなければならない」と述べ、北朝鮮の核・ミサイル脅威を「自衛権行使」と正当化しながら、韓国側に緊張緩和を求めるという矛盾した姿勢を示した。

その上で「武力増強策動と戦争演習騒ぎを中止すべきだ」と米韓合同軍事演習の中止を要求した。

さらに「米国は、朝鮮民族の統一意志を直視して南朝鮮の反統一勢力を同族対決と戦争へとあおり立てる民族離間術策をこれ以上追求してはならず、時代錯誤の対朝鮮敵視政策を撤回する勇断を下さなければならない」と米国に敵視政策の中止を要求したが、米国を対象とした対話提案などはなかった。

トランプ政権への平和協定締結の提案などはなく、一般的に米国に、南北対立をあおらず、敵視政策を止めろという抽象的な要求に留まった。対米批判を強めながらもトランプ政権に直接言及せず、対南戦略の障害物としての米国を強調した点も「先南後米」路線といえそうだ。

元北朝鮮公使も驚いた金正恩氏の「自己批判」

韓国紙・中央日報(1月6日付)によると、韓国へ亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使が、今年の「新年の辞」で金正恩党委員長が行った自己批判について「今まで北に身を置いて生きてきた私も本当に驚く」と述べた。韓国に亡命して所属している国家情報院傘下の国家安保戦略研究院へ提出した分析で明らかにした「驚き」だ。

北朝鮮の最高指導者の自己批判はそれほど衝撃的だったということだ。

金正恩党委員長はまず、「新年の辞」の冒頭部分で「歴史に類を見ない幾多の試練を笑顔で乗り越えてきたすべての朝鮮人民に最も厳かな心を込めて熱い挨拶を送るとともに、希望に満ちた新年の栄光と祝福を送ります」と述べ、頭を下げた。北朝鮮の最高指導者がテレビ映像の中で人民に頭を下げるシーンは異例だった。

最後の部分では「いつも気持ちばかりが先走って能力が及ばないもどかしさと自責の念の中で昨年1年を送ったが、今年はますます奮起して身も心も捧げて人民のためにより多くの仕事をするつもりだ」と述べ、「能力が及ばない」「もどかしさと自責」という自己批判の言葉まで出た。

さらに「金日成(キム・イルソン)同志と金正日(キム・ジョンイル)同志を信頼し、前途を楽観して『この世に羨むものなし』の歌を歌っていた時代が、過ぎ去った歴史の中の一瞬ではなく、今日の現実になるようにするために献身奮闘するであろう」と訴えた。

これも北朝鮮の現状が「この世に羨むものなし」という歌で歌われた状況とははるかにかけ離れたものになっていることを認めた発言だった。

「幹部には厳しく、人民には温かく」の人民第一主義か

北朝鮮の最高指導者は神格化された存在だ。その神格化された「元帥様」が自らの「無能」と「自責」を表明しただけに、北朝鮮の人々の驚きは大きいと思われる。しかし、問題はこうした発言が出る背景と、今後の影響である。

韓国の情報機関・国家情報院系のシンクタンクである国家安保戦略研究院は、金正恩氏が「新年の辞」で異例の自己批判をしたのは「党・政・軍内部での大規模な整風運動を予告したものだ」と分析した。

同研究院は、金正恩党委員長が「慢性的な経済難や無理な動員体制による民意の動揺に対して大きな負担を感じており、高まっている住民の不満を解消できる新しいアプローチに悩んでいることを見せつけている」とした。同研究院は「金正恩自身が先に自責する姿を見せ、幹部の自己批判を誘導し、大々的な粛清と交代、すなわち整風運動を展開する意図を示したもの」とした。

筆者は、金正恩党委員長が人民生活の向上を求める住民に対する新しいアプローチに悩んでいることには同意する。金正恩党委員長が、人民生活の向上が実現しないことをいつまでも外勢(外国勢力)のせいにはできないと焦る気持ちはよく分かる。

金正恩氏は5年前の2012年4月15日の金日成主席誕生100周年の演説で「世界で1番良い我が人民、万難の試練を克服して党に忠実に従ってきた我が人民が、2度とベルトを締め上げずに済むようにし、社会主義の富貴栄華を思う存分享受するようにしようというのが我が党の確固たる決心です」と述べた。

「2度とベルトを締め上げずに済むように」という表現は人民が飢餓に苦しむようなことをなくし「社会主義の富貴栄華」を享受することを目標にするということだったが、金正恩時代が始まって5年が経過しても、まだそれは実現していない。そのことへの「自責」の念が、こうした自己批判になったと考える。

だが、それが大々的な整風運動にまでに発展するかどうかは分からない。個々の幹部への粛清や革命化教育は続くであろうが、大々的な整風運動まで行ってしまうと、昨年の第7回党大会で固めた自らの権力基盤を弱めることになりかねない。

金正恩党委員長が自己批判をしたこと自体は、昨年の第7回党大会で自らの権力基盤を確立した自信の裏返しだろう。権力を掌握し、頭を下げることもできる「大きな人物」と印象づける狙いではないだろうか。権力基盤が不安定な中で自己批判はできない。自らの権力基盤を確立したからこそ、自身を批判できる。

ただ、こうしたアプローチには危険も伴う。「元帥様も人間だから失敗する」という意識が人民の間に広がっては偶像化には障害となりかねない。そのさじ加減は微妙だ。

金正恩党委員長は「新年の辞」で「党活動と国家社会の生活の全ての分野で主体の人民観、人民哲学の最高精華である人民大衆第一主義を具現し、一心団結の花園を汚す毒草である勢道と官僚主義、不正腐敗行為を根絶やしにするための闘争を力強く展開すべきである」と「勢道(派閥)・官僚主義・不正腐敗」との闘争を呼び掛けている。

金正恩党委員長のこうした姿勢は「人民大衆第一主義」を掲げ、「幹部には厳しく、人民には温かく」というアプローチを志向しているとみられる。それが、幹部への激しいチェックとなって跳ね返っている側面はあろう。(つづく)

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平井久志

ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2017年1月12日フォーサイトより転載)

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