「世界遺産」めぐり激化する中韓との「歴史戦」

「世界遺産」をめぐり、中国・韓国から日本の「歴史認識」が問われる事態が相次いだ。
Kenji Ando

「世界遺産」をめぐり、中国・韓国から日本の「歴史認識」が問われる事態が相次いだ。核兵器不拡散条約(NPT)の再検討会議の最終文書のなかで、広島と長崎の被爆地への訪問を呼びかける文言を入れることをめぐり、中国が反対を表明した。一方、日本の急速な近代化を支えた製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業の遺構や施設が、「明治日本の産業革命遺産」として、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録される見通しになったことについて、韓国と中国が不満を示している。

一見、異なる問題のように見えるが、広島の原爆ドームもまた世界文化遺産に指定されており、いずれも日本の「歴史修正主義」に対する中韓の警戒心が、「世界遺産」という本来は価値中立的なイシューをめぐって飛び火した形だと言えるだろう。

世界遺産という注目されるテーマを借りて日本の「歴史修正主義」に抑制を求めようという中韓の意図が込められていると見るべきで、歴史をめぐる情報戦を仕掛けられていることは間違いない。戦後70年という節目の年を迎えるなかで、歴史認識をめぐって日本対中韓の攻防が激しさを増す序曲となる可能性があるという点からも注目すべきだ。

かつては同じだった米中のスタンス

NPTの最終文書は、結果的には、中東非核地帯構想をめぐる対立という別の理由で採択されずに玉虫色の決着となった。だが、日本政府が求めた被爆地への訪問を求める文言は中国の反発によっていったん削除され、日本は巻き返しを図ったものの、文言の復活は成功しない見通しとなっていた。

中国の外交部報道官は、記者の質問に対して、「中国の指導者が広島と長崎を訪問するかどうか質問するなら、私は先に聞きたい。日本の指導者はいつ中国の『南京大虐殺記念館』を訪れるのですか」と答えた。これは、原爆は日本人が誤った戦争を仕掛けた結果生じたもので、犠牲者を悼むのであれば、日本人が殺した中国人の犠牲者を悼むのが先である、という理屈である。

一方、朴槿恵大統領は5月20日、ユネスコのボコバ事務局長に対し、日本の「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録を推進していることについて、「日本が、一部施設で非人道的な強制労働が行われた歴史は無視」したまま登録申請をしていると指摘した。韓国は交渉チームを日本に送り込み、日韓外交当局間で議論が始まっている。

これらのやり取りを見ていて思い出したのは、原爆ドームの世界遺産の登録のときのことだ。当時の反対者は中国と米国だった。

原爆ドームは世界遺産登録の正式名称ではなく、「広島の平和記念碑」という抽象的な名前が正式名称である。なぜなら、当時、原爆という言葉を使うことに米国が否定的な態度を取っていたからだ。

原爆ドームはかつて「広島県物産陳列館」という建物で、爆心地の直下だったためかえって爆風の影響が少なくて生き残った。世界遺産に登録されたのは1996年。原爆投下から40年あまりが経過した年だった。

登録が決まったメキシコでの会議で、米中はともに投票を棄権した。その理由について、米国は「ドームは反人道性の象徴だが、世界遺産には似合わない。今後は世界遺産には戦争関連の遺跡を入れるべきではない」と述べ、日本の態度を「歴史認識に欠けている」と批判している。あたかも中国が言っているかのように錯覚されそうな発言である。中国の立場も、米国とほぼ同じだった。この時点では米中の「第2次世界大戦における戦勝国の立場を堅持する」というスタンスは基本的に同じだったのである。

米と中韓の分断で......

そもそも世界遺産には「負の遺産」という言い方がある。原爆ドームやアウシュビッツなどがそれにあたるが、「負の遺産」という定義が世界遺産条約内にあるわけではない。登録理由は「戦争の記憶を残している」ということで、そこに「負」の側面があろうとも、問題はそこから何を学び取るかを強調するべきだという姿勢を取っている。これは一種の現実主義的な態度であり、歴史を価値中立的なものとして見ていこうという立場だ。

日本が、原爆ドームや産業遺跡を世界遺産に登録しようとする意図も基本的にはここにある。原爆投下については、米国は「戦争の早期終結のため」としているのに対し、日本は「降伏は目前に迫っていた」としており、投下の是非については論争がある。ただ、それは第2次世界大戦における加害性の議論とは切り離されているというのが日本人の感覚だが、中韓には異なる景色が見えるのであろう。中韓のスタンスは歴史問題で「加害者」と「被害者」の立場を崩すことは「歴史修正主義」であるとの立場である。

習近平・中国国家主席と朴槿恵・韓国大統領は、昨年首脳会談を行った際、日本における歴史修正主義的な動きに懸念を抱いていることで一致したと伝えらえる。米国における日本の歴史認識問題が安倍晋三首相の訪米によって当面の解決をみたことで、米と中韓が分断されたことを受けて、改めて日本に対して歴史問題で強く出ておく必要性を認識した、という可能性もある。

激しさを増す攻防

5月20日に人民日報系のサイト『人民網』に掲載された周永生・外交学院国際関係研究所教授の「侵略者が被害者を装うことはできない」という評論は、個人名とはいえ、世界遺産登録問題に対する中韓の価値観をある程度代弁してくれているので参考になった。

周教授は(1)NPTの文書問題(2)明治産業革命遺産問題(3)知覧特攻平和会館が特攻隊員の遺書などの登録を目指している問題、の3つを1つのつながっている事象として取り上げ、「世界反ファシズム戦争勝利70周年にあたり、日本側は一連の活動を通じて、第2次世界大戦の被害者を装おうとし、戦争の原因と結果は反省せず、最も基本的な歴史の責任感を欠いている」と述べ、「世界の人々の心にはもとより良識がある。侵略者が被害者を装うことは永遠にできない」と指摘している。やはり主張の本質は「被害」と「加害」の関係を少しでも崩すような行為は歴史修正主義になるという認識である。

この夏には「安倍談話」が出される予定で、中国は9月に「抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」を開く予定である。「歴史修正主義」をめぐる攻防はこれからも激しさを増すに違いない。

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野嶋剛

1968年生れ。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、2001年シンガポール支局長。その後、イラク戦争の従軍取材を経験し、07年台北支局長、国際編集部次長。現在はアエラ編集部。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2014年5月27日フォーサイトより転載)

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