東日本大震災から4年 福島の児童養護施設が抱える不安

2011年3月11日に東日本大震災が発生してから、4年がたつ。しかし、活気を取り戻した福祉事業所や再建にこぎ着けた福祉施設がある一方、人材不足や原発事故の影響がいまなお続く。

2011年3月11日に東日本大震災が発生してから、4年がたつ。しかし、活気を取り戻した福祉事業所や再建にこぎ着けた福祉施設がある一方、人材不足や原発事故の影響がいまなお続く。まだまだ模索している福祉関係者が多く、その歩みはさまざまだ。何年目であろうと「自分事」として考えることを忘れまいと、被災した人たちのもとを訪ねた。

■すべての食材を検査

線量を計る神戸園長。洗濯物干し場の地面にはコンクリートを打った

福島では、放射能による健康被害から子どもの命を守る闘いが今も続いている。

児童養護施設青葉学園(福島市)では、50人の子どもたちが少人数グループに分かれて暮らしている。

吾妻山に見守られ、周辺の果樹畑に桃や梨の花が咲く季節はかぐわしい光景が広がる。それなのに近所で除染作業中だったり、行き場のない除染ごみを覆うブルーシートが視界に入ったり。見渡して神戸信行園長は「悔しくて仕方ない」と言う。

学園の本館そばには空間放射線量のモニタリングポストがある。

除染しても、雨が降って土が流れたりすれば地形や家屋の条件によって放射線量の高いホットスポットが生じる。外部被ばくを避けるため、いまだに定期的なチェックと除染作業が必要だ。

建物やフェンス際など、業者の手が届かなかった細かな部分はボランティアが除染してくれた。洗濯物干し場は、線量低減のため地面をコンクリートで覆った。

より避けたいのが、食事を通して体内に放射性物質が取り込まれる内部被ばく。毎日3度の給食のため、食材はすべて食品放射能測定器にかけて検査している。寄贈を受け敷地内に出来た測定室は、近隣の人にも利用してもらっている。

神戸園長は「健康への影響はすぐに現れるものではないと言われるが、一つひとつの値は小さくても、育ち盛りの子どもに蓄積されていくことは怖い。子どもは不安を口にしない。とにかくデータを取って可視化しながら子どもを守る努力と営みを日々していくしかない」と語る。

施設の外のモニタリングポスト

■子ども一人ひとりに健康手帳

福島県は2011年度から「県民健康管理調査」の一環で、原発事故時に18歳以下の子ども約37万人に継続的な甲状腺超音波検査をしている。小児甲状腺がんのリスクが指摘されているためだ。

ところが検査開始当初、県の措置で住民票を児童養護施設に移さず入所してきた子どもたちには、住民票を基に出される案内が来ないという問題が起きた。

神戸園長らが調整に動き回り、現在は連絡先を施設とすることで検査につながったが、虐待を受けて入所に至った子も多いだけに、親に案内が行っても対応されず、といった事情がうかがえる。

こうしたことを背景に、青葉学園はじめ県内の児童養護施設は、看護の専門家らが立ち上げたNPO「福島県の児童養護施設の子どもの健康を考える会」(福島市)の支援を受けている。

これまで尿中セシウム検査、ポケット線量計による記録・分析、甲状腺超音波検査などに取り組んできた。

中でも健康手帳づくりは、個々の検査結果や成長発達など、入所中の記録を残して子ども一人ひとりに持たせようという取り組み。

20年、30年後も、長期にわたり気に掛けなければならない。児童養護施設の子たちの場合、親が一貫して見ることは難しく、いずれ卒園する子が自分で自分の健康管理をする時にも使ってもらいたいのだという。

紙版だけでなく電子化もしたことで、万一の避難時にはデータを持ち運べば良く、卒園生が手帳を無くしても施設には記録が保管される仕組みになった。

■施設が連携し避難マニュアルを策定

県内に八つある児童養護施設が加入する県社協児童福祉施設部会は、県とも協議して12年5月、「原発事故にかかわる緊急時の対応マニュアル」を策定した。災害時相互応援協定を結び、被災した場合は施設同士の職員派遣、車両や食料の提供などをすると確認した。

マニュアルのポイントは、施設長の判断による1次避難も認めると確認された点。電話が通じないほどの緊急時、措置施設だからといって行政の指示を仰いでいたら子どもの命が守れない、そんな危機感が施設長らの間で生じたという。

実際あの大震災の時、いわき育英舎(いわき市)は、原発から約34㎞地点にあり国の避難指示範囲(30㎞)外だったものの、放射能の不安やライフラインの寸断により一時的に避難せざるを得なかった。

事故時の風向きによっては、どこへ避難すべきかも変わる。

神戸園長は「放射能に県境はない。福島だけの問題に収めて考えていてはいけないと思う」と言う。

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