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入口は『選挙』、出口は『政策』

2014年05月31日 01時45分 JST | 更新 2014年07月29日 18時12分 JST

他党の事であるため、とやかく言うつもりはないが、こんな状態が続くと、有権者の政治不信は一段と高まってしまうと危惧する。日本維新の会が分裂、分党するというのがそれだ。政治不信という意味では、私が所属する、みんなの党も人のことを言える立場でない。ゆえに、以下は反省の意味も込めて記す。

今回の分裂、分党がなぜ起きたのかを考えると、最も大きなのは憲法観の違い、つまり政策の根幹に起因するのは語るまでもない。大阪側の維新の会と東京側の旧太陽の党が合流、現在の形になったのは一昨年の暮に行われた総選挙の直前。選挙が近いこともあって、政策の合意にタイムリミットがあり、石原氏が強くこだわる「自主憲法」制定といった憲法観など、党として本来なら根幹に関わる部分を煮詰めることができず、見切り発車で結党された経緯があるのは周知の通りだ。

結いの党との合流が議論として浮上し、この部分の擦り合わせが難しいとなったことで、一気に分裂、分党まで発展。そもそも結党時に無理があったというのは、明らかにも思えたので、直近の一連の動きについては想定の範囲内とみていい。

ただ、有権者の中には、合流した際に「世の中を改革する」という姿勢に共感、投票した人も少なくない。それは、一昨年の総選挙において、民主党に次ぐ僅差で3位の議席数を獲得したことからも明らか。この部分が政治不信を高める要因になると思うのである。もちろん、公党間で政策を擦り合わせる場合、すべてが一致するとは思えないので、ある程度妥協することは仕方ないだろう。それでも、今回のケースでは、妥協すべきではない部分で妥協した結果であるため、「その時のみの選挙協力だったのでは」との印象を有権者に与えたのではないか。

実は、みんなの党の結成時についても、今思えば、似たようなケースだったのでは──などと考えてしまう。行財政改革を旗印に賛同者が集まった訳だが、結成時には世の焦点となっていなかった防衛問題が、潜在的な対立点としてあったと思われてならない。私は、チャーターメンバーではないし、当時の事情はまったく知らないものの、実際のところ、ツートップの間では大きく考えが異なっていたというのが、大量離党劇の際に露呈した格好となった。

党の運営方法、ツートップの感情的な対立──みんなの党が大量の離反者を出した時、以上のようにマスコミは背景として解説していたものの、それだけでは無かったというのが、離党劇前後からの私の考えである。むろん、これら政策以外の党運営のテクニカルとも言える部分で対立があったことを否定はしない。事実、その後、党が離党者に対して行ったヒアリングで多くが「政策的に違いはない」と多くが語ったという点がそれを示す。

一方、当時の秘密保護法案や、その後、焦点となっている集団的自衛権に関して、残った我々と出て行った方の間に、考え方の違いが散見されるようになった。感情的な部分があったとしても、やはり、政策の部分にも理由があったのである。

今、残った仲間の間では「結果的に離党して貰って良かった」との声が多い。とくに、その声が目立ってきたのは2月に開催された党大会において「改革保守」の路線を鮮明にしてから。渦中にある石原氏のように結いの党を"護憲政党"と喩えることはしないまでも、保守を前面に打ち出すことに抵抗感があった方々が、お出になったと思っている。

今では、掲げる政策の下、志を同じにする者が集うみんなの党。結成時も「選挙」のためにではなく、「政策」が第一だったと思っているものの、結成時期が「選挙」の直前であったことで、そう我々が強調しても、有権者のご理解を得られないかもしれない。それでも、大量離党劇が起きた昨年12月を、新たな入口であるとするならば、今度こそ「政策」第一と胸を張って言うことができる。

政界再編、連立の在り方など、今後起きる議論が活発化する可能性は否定できない。その入口が「選挙」を意識するのであれば、55年体制が崩壊した後に、政党が出来ては消えたこれまでと同じことの繰り返し・・・結局、「政策」の対立から出口に来てしまう。議員の立場として、生き死にがかかる「選挙」を一切無視はできないながら、いかなる場面に遭遇しても「政策」第一と心掛ける──それが議員として有権者に対する本来の責務であると考えている。