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「素直に嬉しいです」と言ってしまうかわいそうな若者達

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Hill Street Studios via Getty Images
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テレビのインタビューなどで、若い人が「素直に嬉しいです」と言っているのを見かけることがちょくちょくあります。
こういった場面に出くわすたびに、なんともいえない違和感を覚えます。同時にこの子達は今日までいったいどんなことを教えこまれてきたのだろう?と少し心配になります。
「素直に嬉しいです」というフレーズは言葉の意味や用法としては間違えていないのですが、これを迷いなく用いてしまう若者達の精神構造や世界観の薄っぺらさが気になるのです。

まず、平気で「素直に嬉しいです」と言えてしまう人達はおそらく、素直かどうかは自分で判定することではないということを理解していません。
素直とか真面目とか好奇心が旺盛とか、そういう言葉は自分自身への免罪符として使ってよい言葉ではなく、本来は他人に向かって言うべき言葉です。これらの言葉は他人に向かって言うか、他人から言われるかのどちらかしかありません。私は真面目だからと自ら宣言しても真面目というキャラクターを獲得できるわけではありません。「素直に嬉しいです」と言い放つ人達は、自分のキャラクター像を決めるのは自分自身ではなく周囲の人達だということを理解していません。自分が素直かどうかを判定するのは自分自身ではなく他人なのです。

次に、そもそも「素直」というのが良いことだとはかぎりません。
ズルいことや卑劣なことをする時、人は大抵とても素直な気持ちです。
痴漢は満員電車の中で女性の体に触ります。すぐ近くにいる女性の体に触れたいという気持ちに素直に従ってしまった時点で彼は犯罪者です。
他人のモノを盗む時、人はとても素直な気持ちです。目の前に不用心に置きっぱなしにされた金品を前に、倫理観よりも欲望の方を素直に受け入れてしまった時に人は盗人に成り下がります。
素直に欲望に従わずに、理性で物事を判断するのが人間のあるべき姿です。素直であることよりも理性的であることの方が人間にとっては大切なことですし、人間と他の動物との違いはまさにここにあります。素直であることを何よりも上位に置いてしまうと、それはもう猿と同じになってしまいます。

「素直に嬉しいです」と言ってしまう人達は、おそらくキレイに聞こえる嘘ばかりを教え込まれてきたのでしょう。素直なのは素晴らしいことで素直な感情というのは美しいものだと思いこまされてしまったために、彼等は素直なことを良いことだと信じこんでしまっています。
彼等は自分が素直な気持ちでやったことはきっと他人から褒めてもらえると信じこんでいます。どんな気持ちでやっても迷惑なことは迷惑だというあたりまえのことを理解していません。
彼等は自分の素直な気持ちに従ったら正しい判断ができるものと信じこんでいます。どんな気持ちで判断するかには意味がなく、客観的に正しい判断をできるかどうかが問題だという当然のことを理解していません。

若い人の一部がそんな薄っぺらな人生観を持ってしまう原因はテレビから垂れ流される薄っぺらい情報のせいだけとは言えません。そこには教育の問題もあります。
学校の教員には、大学を出てただ学校に就職しただけの人達が残念ながらある程度の割合で含まれています。彼等は教育への理想も情熱も持っていなくて、ただ単に安定した職業として教員を選んだだけの人達です。そういった教員は人に語れるほどの経験を蓄積していませんし自分なりの人生観を築くような人生を生きてもいません。そもそも子供達に何かを伝えたくて教員になったわけでもありません。
教壇に立って生徒達に語りかけなくてはいけない時に、語るべき内容を持っていないタイプの教員達はテレビから聞こえてきた「あきらめなければ夢はかなう」とか「ありのままの自分でいい」とかいったようなしょうもない話でまにあわせてしまいます。
かわいそうな生徒達は、テレビのドラマや歌謡曲の歌詞からえた情報と教員によってもたらされた情報の内容が一致したことで、それが正しいことだと信じてしまいます。実際それは、昨日見たテレビの内容を教員と生徒とで照らし合わせているだけなのですが...

さて、あなたはどう思いますか?

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(2014年5月21日「誰かが言わねば」より転載)

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