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「女の子は頭からっぽでいい」がクールジャパンなのか?

2016年04月20日 15時01分 JST | 更新 2017年04月20日 18時12分 JST

4月13日に発売されてオリコン1位を獲得したHKT48の7thシングル『74億分の1の君へ』。そのTYPE-Cにカップリングとして収録された『アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞が女性蔑視的であるとして、ネット上で大きな批判を呼んでいます。

 

「頭からっぽでいい」「女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい」「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」「世の中のジョーシキ 何も知らなくてもメイク上手ならいい」「女の子は恋が仕事よ」「ママになるまで子供でいい」

 

全体的に「女の子は未熟・無知であれ」「女性は自立した大人になるべきではない」というニュアンスと受け止められる内容であり、まるで昭和時代の女性蔑視を彷彿させるような時代錯誤感に唖然とした人も多かったでしょう。

 

「ペンは剣よりも強し」と言われているように、勉強をすることは正当に力を得るために必要な手段です。それゆえ、長い歴史の中で、女性が力を持つことを嫌がる男性たちが、「知識を身に着けたら男性は承認してやらないぞ」という脅迫をすることで、女性がペンを持つことを抑制してきました。女性からペンを取り上げる「頭からっぽでいい」というメッセージは、女性差別温存の常套手段として用いられてきたのです。

その王道を行くような内容を盛り込んだ今回の歌詞が、21世紀にもなって7作連続でオリコン1位を獲得するようなトップアイドルによって発信させられるという異常事態に、批判の声があがるのも当然と言えるのではないでしょうか?

それに対して、「所詮はサブカルチャーで歌詞に過ぎないのだから、いちいち批判するほうがおかしい」という意見も見受けられました。ですが、それは以下2点において間違いであると言えます。

(1)解決するべき差別を現状肯定している

「女の子は恋が仕事」という神話をまことしやかに信じている親や会社や社会が、女の子より男の子により多くのリソースを割くという女性差別の現実があります。たとえば、「女子は進学しなくても良い」と言って教育投資を怠り、娘の未来に制限をかける親もまだたくさんいます。女性は結婚して辞めるからという理由でチャレンジングな仕事を与えず、成長の機会を奪う上司もいます。

 

また、「勉強よりも恋」という発想は、「仕事よりも男性に媚びること」が重宝される風潮にも繋がっています。たとえば、企業で女性社員がセクハラに寛容であることやお酌が求められること、さらには芸能界ではない一般的な企業でも枕営業が根強く残っていることも、根っこは同じです。

 

大阪市立茨田北中学校の元校長が「女性にとって最も大切なのは子どもを2人以上産むこと。仕事でキャリアを積むこと以上に価値がある」と発言して退職になったニュースがありましたが、今回の歌詞も元校長の思想とかなり近しいと言えるでしょう。

 

このように改善しなければならない女性差別・女性蔑視の問題が現実に多々あるのに、逆にそれを肯定するような歌詞は「たかが歌詞」では済まされません。

 

「男にはプライベートなんて要らない。仕事が全て。休日返上当たり前。会社に人生の全てを捧げましょう。24時間戦えますか?ブラック企業バンザイ!」という歌詞の曲であったならば、批判する男性も多いのではないでしょうか? それと同じことなのです。

(2)自立を勧めるサブカルチャーが無い

「たかがサブカルチャー」で済まない理由の2つ目は、その内容の偏重ぶりです。

 

たとえば、ビヨンセさんみたいに女性に向けて自立の重要性を説くトップアーティストが日本にいるでしょうか?エマ・ワトソンさんみたいに「女の子が一番やってはいけないのは、男のために頭の悪いフリをすること」というメッセージを女性に向けて発信するトップスターが日本にいるでしょうか?女性が学問を習得することの重要性を命がけで主張するマララ・ユスフザイさんのような人とそれを賛美する人は日本にいるでしょうか?

 

残念ながらいません。日本は2016年になっても、女性蔑視的な歌詞を若い女の子たちに歌わせているほうがメインストリームです。男性中心社会の女性蔑視的な思想が根強く残るクリエイターたちから生み出されたサブカルチャーを通して、若い女の子たちに伝えられるメッセージというのは、女性の自立とは真逆の内容に偏り過ぎています。

 

このように、「たかがサブカルチャーだ」「アートだから」という意見は構造的な問題や表現しにくい主張があるという文化的状況について全く考慮していません。「海外は海外!」「日本文化だから!」と言って日本の性差別を容認するのは「ガラパゴスセクシズム」に過ぎないのです。

 

そして「可愛ければ良い女性」という腐臭のするような女性観を21世紀にもなって蒸し返すようなサブカルチャー作品が、クールジャパンの代表とされることには甚だ疑問です。もはやクールジャパンではなく、「狂うジャパン」の間違いではないでしょうか?

今回、歌詞の問題を取り上げましたが、日本のサブカルチャーには様々な女性蔑視が埋め込まれており、それを幼い頃からシャワーのように浴びて育った女性自身にも、蔑視を自分自身の中に刷り込まれてしまっている人がたくさんいます。

たとえば、書店の女性向け恋愛本・婚活本のコーナー行けば、「女性は愛されましょう」という主張内容の本はたくさんあふれ返っています。私も現代の恋愛や結婚の問題点について書いた『恋愛氷河期』という書籍を出版させて頂きましたが、私のような「自立が大事」「対等な関係を構築すべし」「女子力ではなく人間力を」という内容の本は隅っこに追いやられているのが現状です。

また、私が連載をしている朝日新聞社WEBRONZAにて『女性の「自分らしさ」と「生きやすさ」を考えるクロストーク』というイベントをシリーズ開催しているのですが、第一回に行ったアンケートで「対等なカップル・夫婦関係を築ける人がいない」と回答した方がおよそ半数にのぼりました。

このように、恋愛や結婚を望んでいる人の中でも、男性の女性蔑視的な価値観が原因で恋愛や結婚に対して二の足を踏んでいる人や、恋愛・結婚を避けている人は少なくありません。恋愛離れに関しても、サブカルチャーなどに女性蔑視的な考えが組み込まれているということと決して無縁ではないのです。

なお、当イベントは2016年4月24日(日)に渋谷の朝日新聞社メディアラボで第二回を開催する予定であり、「これからの夫婦のあり方とカップル文化について考えよう」というテーマで行います。

乙武洋匡氏の不倫を妻が謝罪した問題や、不倫後にベッキー氏だけが休業に追い込まれている問題、夫婦別姓が認められなかった問題などに加えて、今回の頭からっぽでいいという歌詞の問題についてもたくさんの意見が出ることが予想されます。同じような問題意識を持った方々と交流ができる場もありますので、是非ご参加ください。(詳細はWEBRONZAのページをご覧ください)

最後になりますが、今回の歌詞の内容を正確に表現したタイトルにすると、「僕たちが好きなのは人として主体性のある女の子ではなくて、僕たちの頭の中にいる都合良い妄想を忠実に再現したラブドールだから、女の子はそのように生きてね」となります。

ですので、どうかこれからの日本を担う若い女性たちがこのようなサブカルチャーによる刷り込みの影響を受けずに、ペンを持って自分の未来を切り拓いて欲しいと願うばかりです。