BLOG

日本版1周年にあたりハフィントンポストに期待すること ―「リベラル論壇」であり続けて欲しい

2014年05月26日 18時36分 JST | 更新 2014年07月25日 18時12分 JST

 先日、境治さんが「日本版1周年にあたりハフィントンポストに期待すること」というブログ記事をお書きになっていた。ハフィントンポストで読ませていただき、私も一言と思い、まねをして(!)書いてみようと思う。

 私は普段、主に英国のメディアの動きについて書いており、欧州のメディアにも少し目をやる。BLOGOSさんやヤフーの個人ニュース、ビジネスニュースさんにもとてもお世話になっている。

 しかし、ハフィントンポスト日本というのは、一つ、違ったポジショニングがあるのだろうと思う。使命、というようなものがあるのではないか。

 

 私がハフィントンに期待することは、たった一つ。「リベラル論壇」であり続けてほしい、ということだ。

 具体的なイメージとして、昔、朝日が出していた「論座」という月刊誌があった。ちょっとふざけているような(?)記事もあったような感じがするが、これがまたいわゆる「遊び心いっぱい」で楽しかったものである。記者が、インタビューをされる著名人に叱られ、そのありさまを記すなど、非常に痛快であった。 (残念ながら、雑誌は廃刊になってしまった。)

―リベラル論壇とは何かーあくまで私的なとらえ方

 「リベラル論壇」といっても、これを思想的にきちっと説明するのは私の知識・学識・知能をこえてしまうのだけれども、イメージとして、「愛国主義的に陥らない」、「保守とは反対方向」、「自分とは異なる意見をすぐに否定しない」、「自由(言論の自由を含む)を尊重」-。

 逆に言うと、ハフィントンポスト日本誕生以前の日本のネット言論(実はネットだけではないのかもしれないが)は、どちらかというと保守系、右派系が強いように感じてきた。

 例えば、アジア諸国のことや領地問題にちょっとでも言及すれば、一定の方向の言説をいわなければ非難の嵐(?)。「英国ではこうですよ」と書くと「外国かぶれ」とされてしまうような。

 非常に呼吸がしにくい言論空間になっていたような気がする。

 その一方で、ネットの外の、例えば既存大手メディアに目をやれば、特定のイデオロギー色が非常に強いことがあり、これにもへきえきしていた。英国のタブロイド・大衆紙がそうするのなら分かるが、しっかりとした報道機関であるのだが、議論を一定の方向に向けるために必要な情報を入れないような記事を見かけたりし、暗たんたる気持ちにもなった。 

 イデオロギーにがんじがらめになるのは、よくないのだろうと思う。左も右も、である。息苦しくなってしまう。

 息苦しくならないための1つのやり方は、外に目を向けることだ。

 例えば、ここ数ヶ月、ハフィントンポスト日本では海外(欧州)の子育てや女性の生き方、男性がどれぐらい家事を手伝っているかなどの話がちょくちょく掲載された。外国の例がすぐに日本に採用されるとは思わないが、「ちょっと一息」つける話の数々であった。

 これからも、特定のイデオロギーに偏ることなく、自由な気風を全うしていただきたい。 

 そして、境さんが書かれていらっしゃるように、「世界」の話も継続して紹介していただきたい。日本で議論が熱っぽくなりつつある「戦争」の話は世界を見渡すことで、まったく違った立場で考えることができるだろう。「戦争」は日本にとっては70年前の遠い出来事かもしれないが、世界中で今、この瞬間にも起きていることも知ってほしい。理論ではない国がたくさんある。(ちょっとイデオロギーぽっくなってきたので、ここでやめようと思う。)

 時に軽く、時には愉快に、時には真剣に。

 でもでも、リベラル論壇であり続けますように。

(2014年5月26日「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」より転載)