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日本の外は日本のようには動いていない-「国際社会の評判」にとらわれないようにしよう

2013年06月24日 00時15分 JST | 更新 2013年08月23日 18時12分 JST

このところ、日本のうちと外の問題が心にひっかかっている。

最近では上田秀明大使の「シャラップ」発言があり、その前には橋下氏の一連の発言が物議をかもした。

その前には猪瀬東京知事の英語ツイートの英語力の不十分さについての不満をよくネットで見たし、ニューヨークタイムズでの同知事の失言問題もあった。

(通常のインタビューが終わった後の「うっかり」が記事化されて、知事は驚いたかもしれない。しかし、米英ではメディアと政治家は敵同士という文脈がある。「知事だから」、「通常のインタビュー終了後だったから」ということでは、見逃してはくれないーまた別の話になるけれども。)

私は上田氏の「シャラップ」や橋下氏の従軍慰安婦についての一連の発言(後者はこのエントリーの範ちゅうを超えた、別の話になるけれども)を支持しているわけではないし、猪瀬氏の発言で恥ずかしくなったという思いも理解できる。

しかしながら、「国際社会」や「海外での評判」というときに、一体どこの誰のことを想定しているのか、とも思う。幻想ではないのかと問いかけてみることも大切ではないか。

一般的に、日本で言うところの「世間」(「世間に恥ずかしい」など)はあってないようなものでないかと思う。

例えば、シリアの内戦である。どの国も止められないままに、9万人以上が命を落としてしまった。日本の政治家などが「国際社会」の発言で拠り所にする国連、あるいは国連安保理だが、それぞれの国の思惑が錯綜し、内戦を停止させることができないでいる。「国際社会としての」意思統一ができないのだ。

シリアだけではない。2003年のイラク戦争までの経緯を覚えていらっしゃるだろうか?「大量破壊兵器はない」とさまざまな人が言っていた中で(その一方では、「ある」と言った人もたくさんいたのだけれども)、米英がごり押しをした感じで、イラクへの攻撃が開始されたことをー。

「国際社会」とは、実はばらばらな存在だった。

最近では、米国家安全保障局(NSA)による秘密の情報収集問題があった。その前には、内部告発サイト、ウィキリークスが米外交文書の内容を大手メディアとともに暴露した事件があった。米政府からすれば、大恥である。だからといって、米政府がひるんでいるとは思えない。

また、日本の外では、日本ほど堅苦しい礼儀、言葉遣い、上下関係を求められる国は少ないかもしれないと私は思う。

上田氏の発言は確かに格好悪いけれど、同様の行為は普通は苦笑で終りではないだろうかーそれほど礼儀正しく生きなくてもいいだろう。人間、かっとすることもあるー外交官や政治家でも。みっともないところがあるのが人間だろう。

いちいち気にしていたら、心臓がいくつあっても足りない。想像上の「国際社会」は気にしているように見えるかもしれないけれど、世界には意外とほかにたくさんのひどいことが起きている。だから、「日本のことは気にかけていない」状態であることが多いと考えてもいいと思う。

つまり、あくまで私だけの見方かもしれないが、日本の外では、いろいろなことがあやふやで、あいまいで、ばらばらで、頼れる「唯一の権威(=日本を一定の価値観で判断する「国際社会」など)なるものは存在しない。自分が自分の頭で考えて、あれこれを決めてゆかざるを得ないー世界はそんな風になっているように、私には見える。

「国際社会でどう思われるか」ということが頭をよぎったら、ちょっと頭を冷やしてみるのがいいかもしれないと思う。

以前に、カトリック教の聖職者たちが多くの児童に性的虐待を行った事件が明るみに出たが、これこそ、「恥」を超えて、世界にいるすべてのキリスト教徒や犠牲者、その家族に向けて、心から謝罪し、今後二度と起きないようにと行動を起こす類のことであったと思う。