BLOG

私が演劇をみる理由

2015年10月26日 17時59分 JST | 更新 2015年10月26日 17時59分 JST

昔から演劇は好きだ。巨匠ピーター・ブルック氏は、「演劇とは、人間の同一性と差異を一度に示す芸術である」と語っている。学生時代は映画にもはまったが、社会に出てからは、生身の人間が演じる芝居を見ることで、自分自身と社会のあり方を見つめ直す機会を得てきた。

鈴木忠志氏は私の師匠とも言うべき演劇家だ。初当選直後、富山県利賀で行われている演劇祭にスピーカーに呼んでいただいたのがご縁。40年前に東京を離れ、僻地に演劇家の聖地をつくりあげた情熱は凄まじい。ここ数年、8月に行われる演劇祭は欠かしたことがない。シェークスピア、チェーホフなどの原作を演出する鈴木氏の徹底した人間(社会)洞察と、俳優を鍛え上げる鈴木メソッドで世界と渡り合ってきた。

鈴木氏曰く、「文化は経済と無関係という人がいるが、とんでもない。文化力こそ経済力」。たしかに、対日貿易黒字を積み重ねているのは、米国でも、中国でも、韓国でもなく、フランスやイタリア。高級車、ブランド品、ワインなどを輸出し、観光客を世界中から集める。文化力がフランスやイタリアの経済を支えている。ちなみに、中国は単独では対日貿易黒字だが、日本から台湾や香港を経由して中国に向かう輸入が多いことを考えると、中・香・台の3 China合計では対日赤字と考えられる。コストダウンに血眼になっているだけでは日本経済低迷の原因であるデフレが止まるわけがないし、日本経済は低迷したままだ。わが国の文化、それぞれの地域文化が発信されてこそ、日本の物が世界で喜ばれ、日本を訪れる外国人が増える。

鈴木氏と出会って以来、「世界と渡り合えるかどうか」が演劇を見る基準となった。その鈴木氏が、後継者として目をかけてきた演劇家が二人いる。平田オリザ氏と宮城聡氏だ。「静かな演劇」と評された平田氏の作品は、鈴木氏のそれとは対照的だが、鋭く社会に切り込んでくる点は共通している。

平田氏の作品の中で最も好きなのが『もう風も吹かない』。描かれているのは、日本の財政破綻と円の暴落で最後の海外青年協力隊となる若者たち。彼らは、支援を継続することができない自分たちが途上国のためになるのかと葛藤する。私にもああいう頃が確かにあった。印象に残ったのが、祖国復帰前に日本の海外青年協力隊に参加した経験を持つ沖縄出身の副所長。「とにかく行ってみることだ」と若者を励ます言葉が胸に響く。いつの間にか、私も若者を応援する歳になった。

作品では、日本の財政破綻は2025年あたり。10年以上前にこの作品を書いている先見性に驚く。現状はより深刻の度を増している。平田氏から、劇場の出口で「しっかり頑張ってください」と声をかけられる。いつもの温厚な表情と優しい声でキツイひとこと。

新作である『新・冒険王』は、2002年の日韓共催のサッカーワールドカップを再現した作品。描かれているのは、日本が決勝の初戦でトルコに敗れ、韓国が決勝でイタリアに勝った日のこと。開催国の明暗が大きく分かれたその日、トルコのイスタンブールの安宿で、日本と韓国の若者が同じ部屋に宿泊している。場面設定からして、韓国留学経験のある平田氏らしい。ヤバイ(若者言葉を初めて使ってみた)!

伏線は、平田オリザ氏の出世作とも言うべき『冒険王』にある。こちらは1980年の同じくイスタンブールの安宿。1980年当時、韓国では内乱とも言うべき光州事件が起きており、若者が外国旅行を出来るような状況ではなかった。韓国はその後、1988年のソウルオリンピックを前後して急激な経済発展を遂げ、1997年のアジア通貨危機を乗り越えて経済先進国となる。22年の月日を経て、日本人しかいなかったイスタンブールの安宿の一室で日韓の若者が共存するようになった。

イスタンブールは日本戦の勝利に湧いている。サッカー大国イタリア戦での勝利に湧く韓国の若者を横目に、日本の若者は一緒に喜ぶことができない。その姿は今の我々そのものの。一方で、午前中、日本人と一緒に日本を応援したものの、本音では応援していなかった韓国の若者。両国の若者の間を、日韓併合と太平洋戦争の歴史、1995年の阪神淡路大震災の記憶、徴兵のある韓国社会などが交錯する。

喧騒が一段落し、日本の若者が「釜山から日本を見てから帰国したい」とつぶやく。芝居を観た二日後、私は知り合いになった韓国の若い俳優たちを国会見学に招いた。平田氏がラストシーンで若者に語らせた「イスタンブールから、日韓の若者が一緒にアジアの方を見る」ことができる時代をつくるために、私も石を積み上げていきたい。

日本における文化の発信が、東京に集中しているのは実に寂しい。宮城聡氏は、わが国唯一の県立劇団である静岡県舞台芸術センター芸術総監督を鈴木忠志氏から引き継いだ。昨年はフランスのアヴィニオン演劇祭で激賞された『マハーバーラタ』は、今年もロシアのチェーホフ演劇祭で賞賛されるなど、世界的演劇祭での高い評価が続いている。

駿府城跡に設置された円形の野外劇場での徳川家康没後400年祭での公演は秀逸だった。観客は、打楽器の独特のリズムと、園内の木々に映し出される役者の影によって、幽玄の世界に一気に引き込まれる。目の肥えたアヴィニオンの観客を唸らせた野外劇場ならではの演出。いよいよ待望の舞台が始まる。

観客の目を引き付けるのが神々の姿。面をかぶって登場する4人の神々が一様に動く様は、一体の芸術作品そのもの。その動きは、歌舞伎か能のシテか。天下を取った徳川家康が国中ににらみを利かせた駿府城。家康は、死後、神(東照大権現)となる。400年の月日を経て、この場所に王と神々が蘇った。

緊迫感が高まる舞台にあって、ナラ王に取りつく悪魔の存在が、能における合狂言のごとく観客の心を和らげる。日本の神々は時に悪魔に変ずる。善悪二分論に立たない悪魔の描き方は、日本流(宮城流)と言うべきか。

圧巻は阿部一徳氏の語り。ナラ王やダマヤンティ姫など、劇中の台詞の多くは、阿部氏によって語られる。その手法は、文楽の義太夫や能の地謡(じうたい)に近い。2時間にわたって、緩急をつけて謡い尽くす能力は圧倒的。一緒に観劇した能楽師の安田登氏(私の謡の先生)も高く評価する芸術的な謡は、最後まで観客を圧倒した。

演題は『ナラ王の冒険』とあるが、劇中の主役はダマヤンティ姫。美しい所作の中に、女性の強さと健気さが際立つ。ナラ王が悪魔、すなわち自分の弱さを追い払い、彼女の元に帰って来ることができたのは、姫の大きな愛ゆえ。『マクベス』に代表されるように、逆のパターンを繰り返し見てきただけに、救われる思いがする。古今東西、変わらぬ夫婦の永遠のドラマがここにある。

インドの叙事詩である『マハーバーラタ』と言えば、演劇界の巨匠ピーター・ブルック。その演目の一部を切り取り、日本文化で演出した宮城氏の勇気に敬意を表したい。能、狂言、歌舞伎、文楽。いずれも日本に興味を持っている外国人は強い関心を示す。しかし、そこまでたどり着かない外国人も多い。そうした圧倒的多数に対しては、西洋の様式や演目に乗せて日本文化を見せるのが近道になるのではないか。2020年のオリンピック・パラリンピックにおいて世界に日本文化をどう見せるか。重要なヒントを提供してくれたように思う。

環境大臣時代、私に文化の大切さを教えてくれた梅原猛氏は宰相の条件に「世界の文化、特に自国の文化についての深い理解に裏付けられた品格を備えていること」を挙げている。かつて、中曽根康弘大勲位は「政治は文化に奉仕する」と発言した。遠く及ばないが、私も思いは同じだ。政治家の仕事で100年残るものなどほとんどないが、卓越した文化芸術は100年、時に1000年を超えて人類に多大な影響を与える。

ここ数年、時間を見つけては、趣味である観劇の延長で歌舞伎、文楽、能を見るようになった。分かってくると、日本の演劇は余白がある分だけ面白い。若い時の思い出の詰まっているオペラにも通い出した。まさに西洋文化芸術の粋。敵情視察と称してはいるが、本音で言うと実に楽しい。唯一の問題は懐具合。「これも勉強」という言い訳を聞いてくれる私のダマヤンティ姫(妻)に感謝したい。