新専門医制度は搾取する

長期間の隷属を強いる教育システムでは、悪辣な教育者、病院経営者は若い医師を潰してしまう。

教育は職業訓練の機会を搾取する

教育制度は、被教育者を社会に参入させやすくするものでなければならない。教育制度自体が参入障壁になったのでは、社会の害にしかならない。参入、転出を容易にできるようにしなければ公正さを担保できない。社会に貢献できるようになるまでの期間は、可能な限り短い方がよい。そのためには、教育内容の情報量を少なくする努力を怠ってはならない。ネットで調べたらすぐ出てくる情報を、覚えさせる必要はない。自立した学習能力を持たせることが教育の最大の課題である。権力的で無能な教育者は、被教育者に隷属を強い、教育内容を増やし、教育期間を長くしたがる。

インドの世界的IT企業Zohoのシュリダー・ベンブCEOは、貧しい高卒の少年を教育して、短期間で指導的技術者に育成することに、自分と会社の存在意義を見出している。われわれがそのひとの人生をかえることのできるような、そんなひとを採用するのですよ。スタンフォード卒の人材を採ってもね、彼らはまたほかの仕事を見つけますから。Zohoにとってそういう人材はあまり価値がない。でもわれわれが採用するような人材にとって、私たちの存在は意味のある大きな変化をつくり出すことができるんです。Zohoでは採用時に成績は見ませんし、学位も考慮しません。学歴不問です。今も高卒の人材を採用して、自社でトレーニングするんですよ。適性テストを実施し、場合によっては面接もして採用した人を「Zohoユニバーシティ プログラム」に送り込みます。社内で「Zoho ユニバーシティ」と呼んでいるんですが、そこで採用者を一年半トレーニングする。インドでは、専門や学校にもよりますが、17、18で高校を卒業しますから、その人達が入ってくれます。「私が博士号を取っていなければ、会社は今の10倍になっていたでしょうね」http://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m000889.html教育システムは人々から、職業的には必要ない人々からさえも金を巻き上げている。もし18歳から22や23歳の若者を大学に入れてしまったら、経済的価値を生んだかもしれない貴重な4年間はただ失われて経済は悪化しかねない。「人は学歴を欲しがり、教育は職業訓練の機会を搾取する」http://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m000891.html故宇沢弘文氏は、世界的経済学者であるが、優れた教育者としても知られていた。彼は日本の大学院制度の在学期間の長さを問題視していた。現行の大学院制度は、前期2年の修士課程と、その上に後期3年の博士課程と、合わせて5年を必要最低限の在学期間としていますが、これはまったく非常識極まりない長期間で、世界にその例はありません。大学院の学生として、経済的な裏付けもないまま、苦しい勉学と研究に従事し、しかも将来の職業的保障もまったくない不安定な状態で、大学を卒業してから5年間という長い年月を若者たちに強制するという、この新制大学院の制度ほど非人間的なものはないように思われます。(『日本の教育を考える』岩波新書)日本専門医機構は新専門医制度をどう位置付けていたのか。池田康夫前理事長は、従来の専門医制度について、以下のように総括していた。

各学会が独自で制度設計をして専門医を認定してきた

学会専門医制度が乱立し、専門医の質の低下への懸念が生じている

さらに、専門医制度改革の基本理念を次のように説明していた。

「公の資格」として、国民に広く認知されて評価される制度

「プロフェッショナル集団としての医師」が誇りと責任を持ち、患者の視点に立ち自律的に運営する制度

日本専門医機構は、日本医師会、日本医学会、全国医学部長病院長会議などからなる第三者機関との位置づけだった。機構が専門医の認定と養成プログラムの評価・認定を行う。学会や行政から独立した第三者とはいうものの、実質的に厚労省が仕切っているというのが関係者での共通認識だった。「公の資格」は官の支配する資格と理解されるが、質の高さを保障するものではない。自律、プロフェッショナルオートノミーを高らかに主張する団体が、実質的に厚労省によって設立され、支配された。日本専門医機構の枠組みに対し、多くの学会が猛反発し、有力な学会が社員として制度設計や運営に参加することになった。そもそも、プログラムは学会が作成することになっていた。学会は専門領域別大学教授連合ともいえるものなので、全国医学部長病院長会議と基本的な利害が一致する。かくして、新専門医制度は厚労省と大学教授の思惑が色濃く反映されるものになった。厚労省は新専門医制度を、病院と医師を支配する道具と考え、大学教授は支配下の医師を増やそうとした。いずれも、現場の実情や人権を配慮することがなかった。実施すると結果がどうなるのか、想像する責任感がなかった。多様な専門家を効率的に育成し、より長期間社会で働いてもらおうという基本が無視された。必然的に、医師に長期間の隷属を強いる搾取の体系となった。新専門医制度は基本領域とサブスペシャルティ領域の二段階にするとされた。基本領域の専門医資格を取得したのちに、サブスペシャルティ領域の専門医を取得する。また、専門医の養成は単独の大学や病院ではなく、グループで実施される。初期研修を終えた医師を専攻医として基幹大学、基幹病院が採用し、連携病院と共に養成する。連携病院に専攻医が派遣される。従来の医局と同様、若い医師を長期間人事的に支配できる。新専門医制度は、2017年4月、開始予定だったが、厚労省と大学の思惑に対するブレーキがなかったため、矛盾が大きくなった。医師の偏在を助長するとして自治体関係者から反対された。医師の給与や身分保障が不十分であること、出産、育児に対する配慮がなかったことから、若い医師、とくに、女性医師に嫌われた。四面楚歌の中、2016年6月、日本専門医機構は、2017年度の全面実施断念に追い込まれた。

画一化は医療水準を下げる

厚労省、とくに医系技官は、あらゆる局面で、現場に全国一律のやり方を強いる。強引に、現実離れした規範を押し付ける。新専門医制度は、若い世代のすべての医師の行動を、何年にもわたって画一的様式に縛り付ける。若い医師の貴重な時間を奪い、成長のチャンスを削ぐ。医師は医師免許取得後、2年間の初期研修を義務付けられている。この2年間、診療科をローテイトしながら研修する。新専門医制度では、内科専門医を取得するためには、初期研修終了後、3年間の研修が義務付けられることになっていた。サブスペシャルティに進むのはこの後になる。医師としての基本を学び、内科専門医としての経験と知識を修得した上で、サブスペシャリティの訓練に進むべきだという幻想に基づいた制度である。内科専門医になるためには、経験症例のサマリー提出、筆記試験などをクリアしなければならない。「70もの中分野を全て経験し、13領域全てに亘る29症例のレポートと主治医として担当した200症例の記録を提出」(遠藤希之 MRIC vol.152, 2016 年7月4日)することが求められた。いじめに近い。経験すべき疾患には、発症率10万人当たり1.15という稀な疾患まで含まれていた。内科では、現在でも最低年限で専門医資格を取得するのは少数でしかないが、これがさらに長くなり、サブスペシャルティ専門医の取得が2~3年遅れると懸念されていた。循環器内科で不整脈のアブレーション治療をする医師に、膨大な内科の全領域の診療能力は不要である。お客さん扱いで多くの診療科をまわっても、かけた労力・時間に見合った能力が得られるとは思えない。内科専門医の資格を取得したとしても、アブレーションを担当しながら、広汎な診療能力を維持できるはずがない。そもそも、若い時期でなければ、技術的に難しい手技を修得できない。自分で扱えない疾患について、相談すべき専門家が誰かを知っているだけで十分である。

大学病院

診療科によっては、研修できる基幹病院が大学病院だけという県が20にもなるという。一般的に大学病院は研究重視で、医療水準が低い。筆者の専門とする泌尿器科領域では、かつて、手術が稚拙だったために患者の生命が奪われる事態が珍しくなかった。筆者は、医局に所属したが、大学病院には最初の1年しかいなかった。手術が望ましい水準に達していなかったので、大学で訓練を受けたくなかった。外部の症例が多い病院で、他科の手術を見学し、ときに参加させてもらった。上司や他科の医師と相談しながら、泌尿器科手術を少しずつ改良していった。当時、医局の辺境には、自分を訓練する方法を自分で選択できる自由があった。5年目には、大学病院で行われていたあらゆる手術を、大学病院より高い水準でこなせるようになった。9年目には山梨医科大学で手術を主導することになった。一方、ある知人が所属していた大学外科医局では、9〜10年目にならないと手術の執刀医になれなかった。医局の手術方法を踏襲することを強いられた。能力に関係なく、年限だけで執刀医資格を決めていた。これでは手術技量が向上するはずがない。医局は、手術技量の向上の阻害要因として機能した。筆者が虎の門病院に入職した当時の秋山洋院長は、食道がんの手術を実用レベルに高めた外科医である。若いころ、日本中の大学、病院、世界の病院を見学し、議論して回った。大学医局から異端児としてつまはじきにされたことなど、往時の苦労を何度も聞かされた。今も手術は危険である。患者安全のためには、病院が日常的に自らの医療水準をモニターし、システムとして安全対策を講じなければならない。一般的に、大学病院は、患者安全を含めて医療水準向上の取り組みが遅れている。群馬大学で多くの患者が腹腔鏡下肝切除術後に死亡したことが問題になった。群馬大学病院は、安全システムを構築していたが、形ばかりで機能していなかった。病院が、各診療科をコントロールしようとしていなかった。難手術や新しい手術は誰もができるわけではない。病院にとって初めての手術を導入するための適切なプロセスを用意しておくべきだった。筆者は、病院にとっての新規医療技術導入のルールを作成したことがある。保険診療として認められたものでも、その病院で初めてのものは、ルールに従う必要がある。新しい技術導入を、病院が現場を支援しつつ、安全に導入する。必要があれば、外部の専門家の協力を求める。問題があれば院長が差し止める。下手な外科医に執刀を禁ずるのは、本人のためでもある。人事も対応手段である。群馬大学病院は、病院管理の不備を個人の善悪の問題にすり替え、現場担当者を処罰することで病院の利益を守ろうとした。大学病院にありがちな対応である。このような病院に長期間若い医師を縛り付けるのは適切でない。筆者は、病院にとっての新規医療技術導入のルールを作成したことがある。保険診療として認められたものでも、その病院で初めてのものは、ルールに従う必要がある。新しい技術導入を、病院が現場を支援しつつ、安全に導入する。必要があれば、外部の専門家の協力を求める。問題があれば院長が差し止める。下手な外科医に執刀を禁ずるのは、本人のためでもある。人事も対応手段である。群馬大学病院は、病院管理の不備を個人の善悪の問題にすり替え、現場担当者を処罰することで病院の利益を守ろうとした。大学病院にありがちな対応である。このような病院に長期間若い医師を縛り付けるのは適切でない。新専門医制度がそのまま施行されていたら、統制医療がますます強化され、様々な領域で医療水準を下げることになっただろう。

悪辣な教育者を想定する

社会システムはめったに期待通りには機能しない。教育する側に問題があることを想定しておく必要がある。とくに、長期間の隷属を強いる教育システムでは、悪辣な教育者、病院経営者は若い医師を潰してしまう。筆者は『医療の限界』(新潮新書)に以下のように書いた。一般的な話ですが、無能な人間が権力を持ち、しかも勤勉だとひどく有害です。無能な権力者はせめて怠惰であってほしい。それと同じで、教育する側に問題がありうることを想定して、教育システムは逃げ道のある簡素なものがよいと思うのです。筆者は、苦境に陥った医療関係者や医療過疎に悩む自治体関係者から相談を受けることがある。ある病院で、後期研修医とその上司の関係が険悪になった。研修医が病院の上層部に相談したところ、パワハラ委員会に訴えるよう勧められた。これに従ったところ、パワハラ委員会は、研修医に問題があるという前提で固められていた。病院は何が起こったかに興味を示すことなく、研修医を切るという最も安易な方法で処理しようとした。筆者は詳細な事実関係を知る立場にはないが、研修中の医師と指導医や病院の間で対立関係が生じたとき、正当な扱いを受けるのは不可能だと確信する。紛争を裁判所で処理するには多大な労力が必要である。個人に経済的、精神的損失をもたらす。紛争に発展しないまでも、被教育者は理不尽な隷属を強いられやすいので、裁判以外の救済方法を用意しておく必要がある。そもそも、病院が裁判のように善悪を判断し、それを確定させるのは不可能である。しばしば、二次紛争に発展する。裁判所でも正しい判断を下すのは難しいが、裁判所は無理やり紛争を終結させるための権限と手続きをもっている。被教育者側の自由意志で、不利益をこうむることなく簡単な手続きで転出できるようにしておけば、被害が多少緩和される。それでも、統一的で長期間に及ぶ強制的教育システムは、人権を侵害し、多様性を奪う。

最大の被害者は大学エリート

新専門医制度がそのまま施行されていたとすれば、大学エリートはどのようなキャリアパスをたどるのか。初期研修が2年。内科専門医を取得するのに5年(最低年限は3年だが5年程度必要と予想されていた)。サブスペシャルティの専門医資格を取るのに3年。さらに、大学院で博士号を取得するのに4年。大学での出世には留学が必須であり、これに3年。杓子定規にやれば、修業期間が17年に及んでも不思議ではない。修業期間中に、中年になり体力、知力が衰え始める。診療実務に責任者として携わらないまま40歳を超える。キャリアアップの武器になるような手技を修得する時機は失われている。大学医局にぶら下がって生きるしかない。この間、非正規雇用の期間が長くなる。給与はわずかである。大学によっては、今なお無給で働かせるところもある。アルバイト頼みの、地に這うような生活を強いられる。非正規雇用だと、共済年金や厚生年金にも加入できない。年金は国民年金のみである。それも年金保険料を自分できちんと支払っていなければ、満額支給されない。正規職員に採用されたとしても、大学の給与は低い。勤続年数が短くなるので、退職金もわずかである。医療費を下げる圧力が継続しており、給与は下がり続けている。大学のエリート医師が、老後、路頭に迷う時代がそこまで来ている。

結論

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