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吉岡秀人 Headshot

子どもが「盗み」をした!親なら何を伝える?吉岡家の場合

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先日、我が家の9歳と11歳の息子たちが親子げんかの延長で、妻の財布から150円を抜き取っていたことが判明した。びびりで正直者の次男が、それを妻にカミングアウトしたそうだ。

息子の友達にも素行が悪く、よく万引きをしている子どもはいるらしい。
そういう子どもの家庭は何かしら問題がある家庭も多いと言われる。
親が子どもをほったらかしにしてパチンコに行き、夜遅くまで帰ってこない。
子どもにレトルト食品ばかり食べさせて子どもが酷いアトピーになっている。
少しの休みもなく、習い事で全ての日程を埋められている。

だが、もちろんそうじゃない家庭でも頻繁に発生するのがこの「盗み」問題だ。

子どもの頃は、人のものを盗むということは有りがちだと思う。他人でなくとも、兄弟同士では日常的な出来事だ。
物を盗む、お金を盗む。


盗みはいけないことなのだと、どういう風に教育すればいいのだろうか?

罪に問われなければ平気でやる人間も多いので、少なくとも子どものうちは「罰則があるから」では抑止力にはなりにくい。

妻は息子たちに、「お天道様が見ているから、悪いことをしたら自分に返ってくる」と戒めたそうだ。
日本に住む私たちは、伝統的にそのようなニュアンスで子どもたちを指導してきたかもしれない。

しかし、私は少し違うニュアンスでなぜ盗んではならないのかを以下のように子どもたちに教育した。

『盗む』という行為自体に、本来は善悪は存在しない。

70年前の敗戦時、日本もたくさんの子ども達が親を失い、飢えに苦しんでいた。子どもだから上手く働くこともできなかったに違いない。
どうしようもなくなって他人のものを盗んだ子どもたちがたくさんいた。生きていくために。

それは果たして悪いことだろうか?

いいことではないかもしれない。しかし、誰も代わりに食べ物や職を与えることができないならば、そのような子どもを責めることはできないかもしれない。

神仏なら間違いなく、その子どもを赦すだろう。

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そのとき、「盗む行為は悪い行為なのか?」と息子たちに問うた。

子ども達の理性が善悪のはざ間で、迷走している。

続けて、こう語り続けた。


人間というのは、生きている日々の時間がその人の人生を形成していく。

分かりやすく言うと、150円を盗む人間は、150円を盗まなければ生きて行けないような人生を創ってしまうということだ。
悲しいことにそれを無意識のうちに成し遂げようとしてしまう。
1万円をケチって生きている人間の人生は、1万円という金額が大きな比重をもってしまう人生を創ってしまう。

息子たちに、私は語りかけたのだ。

150円に困る人生を歩みたいのか?もし、お前たちがたった150円に困る人生を歩みたくなければ、150円を盗むな!

お前たちが1万円のお金に振り回される人生を歩みたくなければ、1万円に必要以上の未練を乗せるな!

豊かな人間は、お金が余りない時でも、寄付や人のために何かできることを行うものだ。
だからやがて、その人は本当の意味で豊かな人間になれるのだ。
寄付などで人のために何かを与え、それを続ける人生を歩むことができるのだ。

人に施せ。自分のために人に施せ。必要以上に無理はしなくてもいいから。

その人への施しが自分にとって快感に変われば、それがやがてお前たちの人生の境遇そのものになる。気がつけば、人への施しが十分できるだけのお金、心の余裕、自分の境遇を手にしていることになるから。


盗まないのは、自分のために盗まないのだ。

盗んだことを責められると思い、後ろへのけぞっていた息子たちの顔は、その頃には私のすぐそばまで近づき、瞳孔は大きく開かれていた。