誰も言わない「オウム」と「IS」(イスラム国)の共通点

「IS」(イスラム国)と「オウム真理教」には共通点がある。それなのにこの2つを比較して論じる人はほとんどいない。
水島宏明

「IS」(イスラム国)と「オウム真理教」には共通点がある。それなのにこの2つを比較して論じる人はほとんどいない。

そのことの「おかしさ」を私に教えてくれたのが、日本国内で暮らすイスラム教徒たちだ。

後藤健二さんと湯川遥菜さんの拘束、殺害事件で犯行グループの過激派を「イスラム国」という名称でマスコミが報道していることで、職場や学校などで、かつてない嫌がらせや差別を受けているという。

【共通点 その1】 恐い集団というイメージ先行で無関係な人にまで理不尽な差別を生んでいる!

最近起きた、チュニジアで日本人観光客3人が死亡したテロも「イスラム国」が犯行声明を出したとマスコミの多くが報道している。

しかし、そのことで、「イスラム教徒」と「イスラム国」を混同したような差別や嫌がらせが起きている。

千葉県市川市行徳にある「行徳ヒラー・モスク」。

毎週土曜日の夜には、地下鉄東西線の行徳駅の近くに住んでいるイスラム教徒たちが礼拝に訪れる。男性の礼拝室には5、60人のイスラム教徒が集まっていた。国籍や人種はさまざまだ。インド、パキスタン、バングラデシュ、ウズベキスタン、インドネシア、タイ、マレーシア、ガーナ、スーダンなどの国々から日本に出稼ぎに来ている外国人がほとんど。わずかに日本人が数人いる。仕事もITなどのホワイトカラーから建設労働などのブル-カラー、飲食業など様々だ。日本に来てまだ1年にならない人から日本生活が何年にもわたる人もいる。長い人だと、日本での生活がすでに20年、30年という人もいて、ほとんどの人が流暢に日本語を話す。

その人たちが「あの事件の後、すごく気持ち悪いことが起きている」と口をそろえる。

日本での出稼ぎ仕事が20年におよぶという男性は、「職場でも日本人の同僚が私たちイスラム教徒だけのけ者にするようなことが始まった。私たちと話をしないとか、食事を別にするなど遠ざけるようになりました」と数ヶ月前からの変化に戸惑っている。

話しかけてくる人たちも「あなたも『イスラム国』と同じ考えなのか?」などと聞いてくるという。

外国人のイスラム教徒への職場での差別やその妻の日本人への差別や嫌がらせも頻発している。

電車に乗っている時も、隣に座った人が怖がって席を立つとか、子ども連れの母親が自分たちを避けて違う車両に移動する、など、後藤さんらの人質殺害事件の前にはなかった体験をしているという声が相次いだ。道を歩いていても露骨に顔をしかめられる。つばを吐きかけられるなど、嫌がらせの経験談は数多い。

話を聞いて「ひどい!」と思ったのは、学校での子どもたちへの差別が横行していることだ。

子どもの中には、外国人の親を持つといっても日本生まれの子どもも少なくない。それが学校で同級生などから「イスラム国!」「人殺し!」という言葉を投げつけられるようになったという。

モスクで話を聞いたイスラム教徒の中に、数少ない日本人がいた。前野直樹さん(39)だ。

サラリーマンをしながら、イスラム教を勉強した知識人として「イスラミックサークルオブジャパン日本人部代表」という肩書きで活動している。モスクでも時々、説教をする立場でもある。

前野さんは日本のマスコミが報道で「イスラム国」という呼び方を使い続けていることが一般の人には見えにくい差別や嫌がらせにつながっていると言う。

「たとえば、欧米のメディアが日本のオウム真理教の事件について報道する時に、『日本の仏教の一つ』『最近では若者も多く入信している』という紹介されるとしたら、多くの日本人はそれは違うと烈火のごとく怒ると思います。

でも『IS=イスラミック・ステート』を『イスラム国』という日本語の名称で報道していることで、実は日本のメディアは多くの日本人に対して『イスラム教徒=イスラム国=残忍で恐い存在』という誤ったイメージを広げてしまっています。

それは『日本の仏教徒=オウム真理教信者=恐い』と伝えていることと一体どこが違うのでしょうか?」

オウム真理教は、自らを原始仏教、チベット仏教の一派だとしていたので、かつてのオウム事件当時には欧米メディアのなかには「仏教のひとつ」と紹介していたメディアもあった。

だが、多くの日本人にとって「オウム=仏教」という捉え方は、すごく「違和感」があるものだろう。

私自身もそうだ。

だが、仏教というものをよく知らない欧米人記者からすれば、オウム=仏教とし、一般の仏教徒をカルト信者を混同してしまう。

今回、日本国内でイスラム教徒に対する差別が広がっているのも、イスラム教についてよく知らない日本人が「イスラム国」=イスラム教徒という混同をしてしまっているからだ。

だったら、メディアは少しでもそうした混同や誤解を避けるための配慮をすべきだろう。

大手マスコミの中では、NHKだけが「イスラム国」という呼び方をやめて、「IS、イスラミック・ステ-ト」と呼ぶように変更した。

だが、新聞や民放など多くは今も「イスラム国」という呼び方を続けている。

一方で、日本に住むイスラム教徒たちに話を聞いていると公安警察らしき得体の知れない人物が後をつけ回したりもしているという。

公安もヒマというか効率が悪いというか、日本国内の治安を守るためには他にもっとやるべきことはあるだろうと思う。

だが、前野さんの指摘で気がついたが、私たちは「IS」(「イスラム国」)をオウム真理教との共通点で考えると見えてくることが意外に多い。

【共通点 その2】 宗教の「衣」を来て勢力拡大!

オウム真理教は、ヨガや瞑想などの神秘体験を吹聴する道場の活動を通じて、信者を集めて拡大していった。教団の中では教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)の言葉が絶対視され、彼が誰かを「魂を浄化するための、ポアせよ」と口にすると、それは絶対的な殺害命令として受け止められるようになった。

「IS」は、米国支配や欧米文化によって、イスラムの教えが全うされてしないとして、指導者のバグダディ容疑者が「カリフ」<預言者ムハンマド(マホメット)の代理人を意味する>を宣言して、武力だけでなく宗教的な権威も背景にして、勢力を拡大していった。

同じ言葉を何回も唱和させるなどで、宗教の衣を着ながら人を支配し、実際の勢力図を広げていこうとするやり方は似ているといえる。

【共通点 その3】 荒唐無稽な論理での武装!

オウム真理教は、化学兵器である毒ガスのサリンの開発を実行し、最近のテレビ報道によると核兵器の開発まで視野に入れていたという。

「IS」も最近、イラクのクルド人支配地域で科学兵器塩素ガスを使用したという実態が報道されたばかりだ。

一見、荒唐無稽にみえる武装計画も、実際に成功すると、よりグレードアップした段階に進んでしまう。

オウムの事件も、1994年6月の松本サリン事件での初動捜査の見込み違いが9か月後の地下鉄サリン事件を許してしまった。

荒唐無稽の論理も、一定の集団のなかで説得力があれば、たちまち勢力を広げてしまう。

「IS」についていえば、すでに国家に匹敵する地域を実行支配している。

【共通点 その4】"若い人たち"を惹きつけている!

オウム真理教は、東大、京大をはじめとする理科系エリートの学生たちなど「若い人たち」を惹きつけた。

社会のなかで居場所や生きがいを見いだせない人たちがオウム真理教に惹かれていったと解説される。

そして、「IS」も欧米などの若者たちを惹きつけている。

日本人観光客3人の命を奪ったチュニジアのテロ事件の実行犯はベルギーから「IS」に参加した若者だという報道があった。

あれほど大きな事件になりながら、なぜ若者たちはオウムに惹かれていったのか。

今でもオウムの後継団体の道場になぜ若い世代が通うかなどは解明できていない。

これをきちんと解明することは、「IS」に参加しようとする若者たちを食い止めるためのヒントになるはずだ。

しかし、日本では公安がオウムの後継団体の信者や国内の普通のイスラム教徒の跡をつけたりしているように、「取り締まり」の対象でしかない。もっと根本的なところからこうした若者たちにかかわっていこうという動きはほとんど見られない。

【共通点 その5】 徹底した"マインドコントロール"!

どちらの団体も肉体的な訓練をメンバーに課し、疲れ果てさせて判断不能の状態を作り出したり、薬剤の使用を通じて精神状態をコントロールしている。くわえて相互監視の下に、強い恐怖心を抱かせながら逃亡しようとしても逃げ出せない状況を作り出している。

オウムと「IS」にはこうした「共通点」もある多い一方で、「相違点」もある。

たとえば、オウムが教祖の麻原彰晃が目論んだように日本を支配するほどの勢力にはならなかったことは大きな相違点だ。

1990年の衆議院選挙などで「真理党」として奇抜な選挙運動を展開し、テレビなどに頻繁に登場しながらも1議席も獲得できなかったことは象徴的だった。

オウム真理教と「IS」。

何が共通点であり、何が相違点だったのか。

このことを考えることは、日本や世界的な過激派集団と若者たち、テロ行為を考える上で大事なポイントではないだろうか。

今はまだ、この2つを比較して考える分析はあまり見られないが、この点に注目して現代の若者たちやマインドコントロールの実態を探っていくことこそ、いま必要ではないか。

誰も言わないけれど、そら恐ろしいほどに、この2つは不気味な共通点がある。

(2015年3月21日「Yahoo!ニュース個人」より転載)

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