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望月優大 Headshot

冷静さについて。民主主義と絶望と熱狂。

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イギリスのEU離脱を決めた国民投票が世界中で話題になる一方、日本の参院選は盛り上がりを欠いているように見える。「一国の民主的意思決定がここまでの世界的インパクトを与えることができる」と民主主義の可能性が一種の恐れとともに語られると同時に、「結局誰に投票しても結果は変わらない」と民主主義の無力がある種の絶望とともに語られる。この振れ幅は一体何だろうか。

国家であれ、企業であれ、それ以外の形であれ、どんな人間や組織も何らかの歴史的条件を剥ぎ取られた裸の状態で存在しているわけではない。あらゆる個人や組織は具体的な歴史的状況のなかに、具体的な実体として存在している。そして、その未来については、様々な選択肢があるとはいえ、何もかもがすぐに実現可能なわけではない。未来は決定されていないが、条件づけられている。

個人のキャリアが様々な社会的状況や過去に条件づけられているように、国家の道行きも過去の政策や国際的な情勢に条件づけられている。この条件づけられているということを「不自由」であるとだけ捉えると、その不自由に対して絶望するか、その不自由を一気に乗り越えられるように見える常識外の解決策に熱狂するか、この2つしかなくなってしまう。

絶望と熱狂に引き裂かれた思考は、未来が持っている本当の可能性を妨げる。今がつらい、そこから抜け出したい、そんなとき「こうすれば抜け出せますよ」という中身のない言葉を鵜呑みにすべきではない。

高齢化とともに増え続ける国家債務、中東危機が生み出す大量の難民、グローバル化によって得られる経済的なメリット、こうした条件の上にどんな未来を描くか。何か一つの政策で瞬時に状況を変えられるわけではない。個人だろうが企業だろうが国家だろうが、未来を一気に変えるウルトラCはないのだ。

何かを盲目的に守ること、何かを盲目的に変えること、その一点に注意を集中させ、恐怖や夢の力で動員する。与党だろうが野党だろうが、国会外の勢力であろうが、やっていることが互いに恐ろしいほど似ていると感じることはいくらでもある。

政治への文化の利用については、その背後に冷静さがあるときにのみ支持しうると言いたい。動員力を持った人間は、自らがもつ力の使い方に自覚的であるべきだし、考える人を増やしたいのか、それとも考えない人を増やしたいのか、自分が一体どちらの立場に身を置くのか、常に問い続けるべきだ。

冷静さとは、今と未来を制約している条件に向き合う態度のことである。この条件を見つめなければ、理想と現実の間にどのような道を通していけばいいか、思考することもままならない。そして、冷静さがすぐにハッピーな未来を約束するわけではなかったとしても、「だからどうした」と堂々と言い切る強さ、その強さだけが「大衆」を恐れ、そして利用しようとする人々からの感情的動員を吹き飛ばすだろう。

未来は条件づけられているが、決定されていない。そこに、希望がある。

(2016年6月27日「HIROKIM BLOG」より転載)