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望月優大 Headshot

日本の不平等をどうするか

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この国の未来にとって最も重要なことの一つだろうと思うことについて書く。

端的に言って、それは、同じ国に住んでいながらいろいろな要因が重なってひどい状況で暮らしている人の人数をできるだけ減らし、彼らが尊厳ある生活を取り戻すために何ができるだろうかということに関わる。

大きな方向性としては、グローバル化や少子高齢化といったある種の傾向的な力が働いていようとも、民主的にコントロールされた政府を通じて、理想と現実の乖離を埋める、そのために私たちにできることはまだまだたくさんある、そのことを言う。

巷に溢れる俗流経済学風の物言いが生みだす「できることなど何もない」という感覚に対しては、個々の国の歴史や制度をきちんと見ることでこれに抗うことができる。歴史を知り、論理を突き詰めることで、勇気を得ることができる。できることはある。

ここから述べることは、経済学者 アンソニー・アトキンソン『21世紀の不平等』、社会学者 立岩真也『税を直す』、財政学者 井出英策『日本財政 転換の指針』などを読み、学んだことが基になっている。そのことを述べておく。それぞれが書いていることはときに同じだったり異なったりするが、「歴史を知ることで、未来を変えうる制度案について具体的に考えることが可能になる」そうした考えを共有しているように思えた。

本題に入っていく。

日本に限った話ではないが、やはり日本でも不平等が拡大している。このことについて多くは書かない。問題が起きている、そのことについては様々なデータを用いてすでに多くが語られている。さしあたり、相対的貧困率の推移だけ見ておく。

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(図:厚生労働省

国際的に見ても、日本はもはや平等な国ではないことは明らかである。日本は不平等の度合いが大きな国である。そのことだけここで確認しておく。

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(図:厚生労働省

こうしたデータの存在に加え、メディアを通じて様々な人びとの身に起こった実際の悲惨が語られ、消費されている。可哀想だと思う気持ちと、自分は決してそうはなってはならないという恐れとが、私たちの社会のなかで共存している。

そして、この問題に対応すべき政府。その政府がそうできる力を失っている、ように見える。その感覚が折り重なって人びとの絶望感がいや増している。弱者を支援するための社会支出を増やすべきではないだろうか、しかし財政赤字に対する心配が強迫観念のように迫ってくる。無い袖は振れない、そんな言葉が頭をよぎる。

結局こういうことなのである。少子高齢化は進み、低成長が続くなかで、現役世代、子ども、老齢世代の別に関らず、社会サービスへのニーズは増えこそすれ減ることなどない。しかし、そのニーズに応えられるだけのお金が政府にない。そう言われている。現実、税収は国家予算の6割弱しかない。下図の右側、租税及び印紙収入という部分である。

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(図:財務省

それにしてもなぜこんなにもお金がないのだろう。歳出が増えているから、というのが一つの答えだろう。年金や医療費は増える一方だし、今後減ることもないだろう(*年金には社会保険料だけでなく税が一部投入されている)。したがって、論理必然的に、歳出増加に応じて税収も増やすことができなければ歳入が足りずに借金に頼ることになる。それが、今起きていることである。

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(図:財務省

社会保障政策の専門家である慶大教授の権丈善一はかつてこのように書いている。権丈は野田政権下の三党合意に基づき設置された社会保障制度改革国民会議の委員も務めるなど、政府の会議でも大きな役割を果たしている。

財源の裏付けがない社会保障の会議など、ただのガス抜きの意味しかない。社会保障政策など、さして難しい理屈があるわけではなく、やらなければならないことは、とうの昔に決まっている。足りないのはアイデアではなく財源である。負担増のビジョンを示さない政党や勢力が権力を握れば、社会保障論議は、完全にガス抜きのためだけの意味しかなくなる。そうなれば、すべての公務を止める。時間のムダだ。(『社会保障の政策転換 再分配政策の政治経済学V』p288)

しかし、なぜこんなにも歳入が増えないのか。この間消費税は3%、5%、8%と上がってきたはずではなかったか。税率が上がったのと同時に、経済全体のサイズが縮小したということだろうか。平成に入って以降日本の名目GDPは500兆円前後をウロウロしているので、成長もしていない代わりに、大きく減ったわけでもない。ではなぜ税収が減るのか。

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(図:内閣府

税目別の推移を見てみる。すると、消費税が増えているのに、全体としての税収が増えていない理由がはっきりする。所得税と法人税が大きく減っているのだ。最大の頃と比較すると所得税と法人税を合わせてざっくり20兆円近く減っている。

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(図:財務省

割合で見ても明らかだ。消費課税が増えて、法人所得課税と個人所得課税が減っている。ちなみに資産課税も減っていることがわかる。相続税が減っているのだろう。

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(図:財務省

相続税は1兆円ほど減っていることがわかった。

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(図:財務省

相続税の減少は相続税率がどんどん減っていることによって起きている。黒から緑、青、赤へとどんどん減っている。茶色が今の税率で、赤より若干上がっていることがわかる。

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(図:財務省

法人税率もどんどん下がっている。この図は左から右へと読んでいく。一番右が今だ。

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(図:財務省

ちなみに地方税も含めた法人税の実効税率はすでにアメリカやイギリスよりもかなり低い水準まで下がっている。

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(図:財務省

所得税率も下がっている。最高税率は75%から一時37%まで下がり、近年45%まで戻っているが、依然として50%以下の水準だ。

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(図:財務省

ここまでを見て、さしあたり次のように言える。確かに日本の経済はしばらく成長していない。この間あらゆる税率が同じでも、税収は増えなかっただろう。しかし、現実には消費税は上がっている。それでもトータルの税収が増えていないのは、消費税以外の税率が下がっているからだ。具体的には、所得税と法人税の減少が大きい。加えて相続税も減っている。

繰り返すが、年金、医療、保育、介護、教育、そうした社会的なサービスに対する需要が減ることはない。これから戦後の日本社会に染み付いてきた性別役割分担を解消していく方向に動いていくならなおさらだ。そして、その方向に動くべきである。専業主婦を含む女性に社会的なサービスを頼る構造や精神性は過去に置いていかなければならない。

であれば、税率を上げるしかないだろう、ということになる。どの税の税率を上げるか。現政権ではさしあたり消費税ということになっており、そしてその消費増税がこのたび延期された。消費税については、これまで散々議論された通り、取りっぱぐれるリスクが少ない代わりに、課税による再分配に関する逆進性がある。

拡大する不平等に対して、支出面だけでなく課税面でも対処をしたいとなれば、所得税や相続税を視野に入れるべきだろう。最高税率の引き上げ、累進度の強化といったことだ。これは、立岩、井出も著書で言っていることであり、日本の文脈ではないがアトキンソンが言っていることでもある(アトキンソンは、世界のほかの国への適用も見越してイギリスを例に語っている)。なお、所得税については、キャピタルゲイン税制も含めて考えるべきだろうと思う。

ちなみに、増税によって資本が逃げる、企業が逃げる、人が逃げる、そうしたリスクが喧伝されるが、どの税のどの税率をどの程度上げたときに、どの程度のことが起きるか、そのことは経験的にも理論的にも自明ではない。一つ例を上げれば、所得税の税率を上げることで、一単位の労働の価値が下がるから余暇を増やそうと考える人もいれば、反対にもっと働いて取り返そうと考える人もいるだろう。いずれにしても、それほど話はシンプルではない。

もちろんどんな税目であれ、税率の調整には短期の経済運営との兼ね合いがあるだろうからタイミングの議論はすべきだ。ただ、中期的な打ち手として、税制に手を入れる必要について誰かが言っておくべきだろうと考える。

タイミングという点に関連して、上記のように税制を変えていくべきだという議論がある一方、足りないお金をある種ゼロから生みだす方法を主張する議論もあるということを知っておいたほうが良い。平たく言えば、中央銀行による財政ファイナンスを推奨する議論である。欧米左派の反緊縮的な経済政策の標準として、立命館大教授の松尾匡『この経済政策が民主主義を救う』で簡潔に紹介されている。

具体的には、イギリス労働党のコービンが訴える「国民のための金融緩和」や、スペインの新興政党ポデモスが掲げる政策などが紹介される。要点は簡単だ。必要な社会的支出に対して、税収で足りない部分は中央銀行が引き受ける国債でまかなえば良い。基本的にはそれだけである。

しかし、当たり前だが、これは永遠にできる施策ではない。お金をすり続けることになるので、インフレが進行する。だから、インフレ目標を事前に設定しておき、インフレ目標に到達した時点で金融を引き締める必要がある。それまでは、中央銀行が引き受けた国債で社会的支出をまかなうことができる。

その後は先ほど論じていた状況と同じである。中央銀行による財政ファイナンスと所得税の累進度強化といった税制改革は短期と中長期の役割分担といったイメージになる。松尾もそのことを書いている。税制改革によって、安定的に社会サービスに必要な歳入を確保していく。国の体質を少しずつ変えていくような作業がいずれにしても必要となる。

さて、改めてこのチャートを見る。日本は借金まみれだ、そう言うために作られたようなチャートである。ここには希望が全くないだろうか。そんなことはないはずだ、そのことを言おうとして、この文章を書いた。

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私たちはもっと多くの社会サービスを必要している。例えば、子どものベーシックインカムというアイデアがある。所得制限なし、どんな家に生まれようとも社会が子どもに与える給付というものがあってもいい。子どもの貧困率を下げていくためには考えてよい施策だと思う。

ただ、いまの財政状況のままこの施策を真剣に考えることにどれだけの意味があるだろう。権丈が書いていたように、足りないのはアイデアではなく財源である。立岩真也の言葉で言えば「人の生き死には経済がおおいに関わっている」。どこかに希望があるはずだろう、そう考えているし、その考えは強まっている。

現実的な視点で歴史を学び、論理を使えば、解決策の方向性は見いだせるはずだ。そのことがおぼろげながらわかってきた。しかし、社会全体についての共同的な意思決定に関わる情報や論理であれば、それを広く伝えなければならない。そして、必要な議論があるだろう。説得したり、考えを変えたり、そうしたプロセスがあるだろう。そのプロセスが社会のなかで少しずつ進んでいくことを願う。

最後にアトキンソンの言葉を紹介する(『21世紀の不平等』より)。訳者の山形浩生によれば「不平等研究の大長老」とのことである。帯には「ピケティの師」とある。

重要な点として、私は不平等の増大が仕方ないものだとは認めない。それは私たちにはどうしようもない力だけの産物ではないのだ。政府が、個別でも各国が協力してでもできることはあるし、企業や労働組合や消費者団体ができることもある。そして個人としての私たちにも、現在の不平等水準を減らすためにできることはあるのだ。(p.354)
私の狙いは、政治的なメッセージが根ざしている、ある特定の見方に取り組むことだった。その見方というのは、できることは何もないのだという人々を蝕みやすい見方だ。現在の高い水準の不平等に替わるものはない、という見方だ。私はこの見方を否定する。これまでにも不平等と貧困が大幅に減った時期はあったし、それは戦時中だけではない。21世紀は、特に労働市場の性質や経済のグローバル化という点でこれまでとは違っているが、未来を考えるにあたり歴史から学ぶことはできる。(p.358)

私たちにできることはまだある。歴史から真摯に学ぶ、論理的に考える、人びとを説得して政治的に実現する。そうした希望が広がることが、最終的には未来を変える。

(2016年6月12日「HIROKIM BLOG」より転載)