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鈴木謙介氏の整理に沿ってーー経産省「次官・若手ペーパー」論(3)

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社会学者の鈴木謙介氏が件のペーパーをもとに始まった議論に対してある種の総括(?)的なブログ記事を書かれていた。鈴木氏のことは昔から尊敬しており、過去に氏の著作のいくつかを読んできたのはもちろんのこと、講演を聞きにいったこともある。記事中で私のブログも紹介くださっていたので、勝手に胸をお借りする気持ちになってアンサーブログという形でまとめておきたい。

選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について

私の過去記事はこちら。

経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答

経産省「次官・若手ペーパー」に対するある一つの「擬似的な批判」をめぐって

鈴木氏の趣旨は明快で、記事タイトルの「選択肢を理解する」の通りである。すなわち「どこに論点の中心があって、何が対立していて、そして僕たちに示されているのはどのような選択肢なのかということが明らかになっていない」ので、それを明らかにしようということである。

私も二本目の記事で「どこに国家観や政治思想上の大きな分岐が走っているかを正しく認識したうえで自分の思考を深めてみていただければと思う」と書いていたが、それと基本的に同趣旨だと理解している。そのうえで、鈴木氏の整理は私のそれよりメッシュが細かくなっており、加えて意味合いの異なる二種類の選択肢を別々のものとする形での整理を行っている。

では早速鈴木氏の整理を紹介する。(※上記の二種類の選択肢の区別をわかりやすくするために、以下引用中の"ーーーーー"は私が追加した。)

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A. 産業構造の変化に抵抗し、誰もが自由で安定した生活を得られる製造業中心の社会を維持する(従来の左派)
ーーーーー
B. 産業構造の変化を不可避なものとして受け入れつつ、商品化された生活のオルタナティブを目指す
B-1. 財政拡張によるセーフティーネットの拡充を目指すリベラル、リフレ左派
B-2. 緊縮と規制緩和を通じて、オルタナティブな市民の支え合いを促すリバタリアン左派、サイバーアナーキスト
B-3. 緊縮と規制緩和を通じて、人々の自由と自己責任が重んじられる社会を目指すリバタリアン右派、ネオリベ
B-4. 大企業への規制強化と移民の権利制限を通じて、自国民の生活を第一に優先する右派・左派ナショナリスト
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鈴木氏による一つめの分割は"AとBのあいだ"に走っている。その分割はかつて可能であったが現在はもはや現実的に選び得ないだろうと診断された選択肢(A)と、現在の社会状況からするとこちらしか選びようがないと診断された選択肢(B)、このあいだに走っている。

次に、鈴木氏による二つめの分割は"選択肢Bの内部"すなわち"B-1、B-2、B-3、B-4のあいだ"に走っている。B-1〜4の一つ一つについての詳述は元のブログ記事を読んでいただくとして、私たちがいま実質的に選びうる選択肢として思いつくものが暫定的にこの4つだというのが鈴木氏の整理になる(ほかの整理もありえるという考え方)。

そこでこの理解を前提として、私の考えを以下の3つのポイントに沿って述べていく。

(1)ありうる選択肢の提示、それ自体の重要性
(2)選択肢の分類についての考え
(3)経産省「若手・次官ペーパー」への評価

(1)ありうる選択肢の提示、それ自体の重要性


まずもって改めての話にはなるが、複雑性が高すぎて、きちんと分節された形ではなかなかイメージしづらい社会の未来像や方向性について、人々が自分たちの選択肢として選びうるいくつかのオプションという形に情報を縮約して示すことはとても大切なことである。

そして、それは「知識人」という存在がいまだに可能であるとすれば、それに期待される重要な作業のうちの一つではないだろうか。したがって、私は鈴木氏によるこうした分類作業自体とても有益だと考えるし、自分もそのことを志向して先のブログ記事2本を書いた。

(2)選択肢の分類についての考え


鈴木氏による一つめの分割、AとBのあいだの分割についてはあまり異論がない。製造業が生み出す大規模な雇用によって人々の生活を長期的に安定させるという戦略は少なくともこの国ではもはや選び得ないと考えてよいだろう。そして、文脈上、経産省はまさにこの「日の丸製造業」とともに歩んできた官庁であり、Aの選択肢が選び得ないという危機感に基づいてこそ、このペーパーが出てきたということも理解はできるわけである。

次に、二つめの分割、すなわちB内部の分割について。これについても基本的に首肯をしつつ、「別様の組み合わせもありうる」という鈴木氏の言葉を前提に、考えをさらに推し進めるためにある一つの言葉について簡単に解説を入れておきたい。「緊縮」という言葉がそれである。

私の記事でもこの言葉を用いているのだが、ネット上などでの反応を見ていると「緊縮」という言葉をめぐってその理解に混乱が生じる余地があることがわかった。そして、その理由は割とシンプルである。それは、緊縮が歳出と歳入の両面に現れうるということから来る混乱だ。

緊縮は、政府が歳出を絞ることと、税や社会保険料などを通じて歳入を増やすこと、この両面に現れうる。加えて、ややこしいことにこの歳入を増やすということについて、税や社会保険料などを通じていま生きている人々から直接お金を得ること以外に、国債を発行する、すなわち借金をすることで将来の人々からお金を得る、という選択肢も同時に存在するわけである。

言い換えるなら、政府は「現在生み出されている富」から税や社会保険料を徴収するか、「将来生み出されるはずの富」をあてにして国債を発行する。そしてそのどちらかを主な財源として歳出を行っていくわけであるが、「緊縮」という言葉が含意するニュアンスは、とくに社会的な弱者や貧者において、政府とのあいだでのお金の出入りが歳入・歳出の両面を足し合わせた際にプラスかマイナスのどちらに動くかという時間的な概念であると言える。

その意味でそれは「動き」を含んだ概念であり、例えばGDP比の社会支出などで単純に線を引けるものではない。

こうした視点を踏まえたうえで、鈴木氏によるB内部の各選択肢について、それぞれざっくりとではあるが注釈を付してみた。(※それぞれの"→"以降は私が書いたものである。)

  • B-1.財政拡張によるセーフティーネットの拡充を目指すリベラル、リフレ左派
    歳出増+歳入増(ただし税・社会保険料を財源とするのではなく、国債を財源とする立場)
  • B-2.緊縮と規制緩和を通じて、オルタナティブな市民の支え合いを促すリバタリアン左派、サイバーアナーキスト
    歳出減+歳入は不明(歳出減を人々の助け合いでカバー、なお歳入については消費増税と法人減税を組み合わせるような路線が考えられる)
  • B-3.緊縮と規制緩和を通じて、人々の自由と自己責任が重んじられる社会を目指すリバタリアン右派、ネオリベ
    歳出減+歳入不明(歳出減を自己責任でカバー、なお歳入については消費増税と法人減税を組み合わせるような路線が考えられる)
  • B-4.大企業への規制強化と移民の権利制限を通じて、自国民の生活を第一に優先する右派・左派ナショナリスト
    歳出不明+歳入不明(ナショナリズム等に訴えることで、歳出を増やさずに政治的支持を調達するスタイルが現在の流行。労働規制強化等ピュアな規制以外に法人増税等も行うかどうかが歳入側の分岐点)

この注釈をもとに、私がこれまでの記事で述べてきたことと照らし合わせた内容を最後に述べておきたい。

(3)経産省「若手・次官ペーパー」への評価


まず、鈴木氏によるこのペーパーに対する評価を振り返っておく。鈴木氏の評価は「AではなくB」と言ったことにこの資料の価値があるのではないかということであった。

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今回、発端となった資料に対する反応は、おおむね「AではなくてBであるなんて言い古されたこと」だという前提から出発している。その上でB-1が大事なのにB-3とはけしからん、といった論点が挙がっているように見えるのだ。しかし、「AではなくB」というのは、それほど共有された前提だろうか。
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その意見に半分は賛成しつつ、私が最初の記事「経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答」を書くにあたって、このペーパーに対してきちんと反論をしておく必要があると考えた理由をあらかじめ簡単に述べておく。

私が簡単にでも反論しておこうと思った理由は、当該の資料が「AではなくB」ということを危機的なムードで伝えながら、それと同時に「BのなかではB-2かB-3しかないのだ」、ということを主張する内容になっていると感じたからである。それはB-2かB-3以外の選択肢、より具体的にはB-1に近い選択肢の存在があることを人々に対して覆い隠す効果を持っており、だからこそ、危機ではあってもB-2/3ではない別の選択肢があるということを誰かが言っておかなければならないと考えたのである。

最初の記事でもペーパーについて「これまで何度も言い古されてきた緊縮・福祉国家再編の論理であり、新しさはほとんどない」と書いたが、「B-2かB-3しかないのだ」という主張自体は実は本当にありふれている。鈴木氏が記事中でこれまでの歴史的経緯を紹介している通りである。そして、経済評論家その他の方々がそうした主張をされることにいちいち反論を書いていたらキリがないし、そんなことは実際してこなかったわけだ。

しかし、今回はその主張が行政組織内部の一官庁である経済産業省から出てきた。であればこそ、行政、あるいは政治一般というものに対しての民主的コントロールをきちんと働かせるために、先のような形で「経産省はこの道しかないと言っているが別の道もありえるのだ」ということを、あくまで選択肢を示すという意味合いにおいて、言っておく必要があると考えたわけである。

経産省のペーパーでも取り入れられているが、B-2というものは一見とても美しい人々の助け合いがあれば、緊縮を受け入れてもいいかな、そう感じさせる美しさがある。しかし、冷静になるべきではないか。私たちは人々の助け合いにどこまで期待できるだろうか。それによって何人もの人が救われることはあるだろう。そして、その様子を目撃した私たちが心動かされることもあるだろう。

私自身、子どもや生活困窮者、難民の方々を支援するNPOの支援等を通じて、人間や社会がもつその可能性に賭ける気持ちを持っている。そして、だからこそ、人々の自発的な助け合い、言い換えれば「共助」というものの限界にもまた敏感でありたいと考えているのだ。国家観や政治思想上の大きな分岐が走っているのは一体どこなのか、そのことを幾度にわたって書いているのはそういう理由からである。それはB-2と3の間ではないと思うのである。

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以上、鈴木氏による選択肢を参考にしつつ、自分の考え方を述べてきた。ここから先はやや長いあとがきのようなものになる。論旨自体はこれより前の部分から継続している。

まず、B-4についても少しだけ触れておく。B-4はB-1とB-2/3との対立を別様に解決するウルトラCである。そして、だからこそ、世界中でこの選択肢に魅了される政治指導者と人々が現れているとも言える。トランプが大統領に選ばれた選挙のあと、ルペンのインタビューも引きながら、私は以下のように書いていた。

ドナルド・トランプの勝利と「新しい世界」について

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福祉国家を維持する路線を取るにしても、新自由主義的な路線を取るにしても、人々からの政治的正統性を得るために、すなわち選挙で勝つためには、攻撃しやすい外部、あるいは現在の困難の責任を被せることができる他者の存在を仮構することが得策になってしまう、そうした時代に私たちは突入している
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「AではなくB」ということによって生ずるそもそもの困難、そしてB-1であろうがB-2/3であろうがそれに対する支持を得ることの困難、それが現在の既成政党の困難であり、私たちの民主主義の困難である。

したがって「ポピュリズム」と称されることの多いB-4型の主張を批判するにしても、それはポピュリストたちを批判するだけでは足りず、ではBのなかでどんな選択肢を構想できるのか、という問いに対して根源的な形で応えていく必要から私たちは逃れることができない。そして、その問いに応えることができないでいる限り、排外主義的装いをまとったポピュリズムの亡霊は永遠に回帰し続けるだろう。

私個人としては、B-1に近い線をどう現実的な選択肢として鍛え上げ、それに対する人々の理解と支持を集めていけるかが大切だと考えている。歳出増と歳入増の組み合わせを短期だけではなく長期的にどう実現していくか、これについてもっと考えていかなければならないし、学ばなければいけないことが多くあると思っている。

時間軸をざっくり分けるならば、短中期的には国債に依存する状態をある程度維持しつつ、子ども・現役世代に対するそれも含めた歳出増を先行させる。もちろん、パイそのものを拡大する経済成長ということは常に意識しつつ、しかし同時に経済成長を唱えることそのものが免罪符にはならないだろうとも思う。

中長期的には税・社会保険料の様々な選択肢のなかで、世界的にも担税力が低いとされる日本財政の基盤をより強固なものに変えていく必要があるだろうと思う。そして、そのためには、多くの人々のあいだにそのことがビジョンとして、一つの選択肢として、漠然とでも思い描かれていることが必要なのだ。

私たちがそのなかに生まれ、そしてことあるごとに言祝いでいる「民主主義」とは、結局のところそういうものだからである。

(2017年5月23日「HIROKIM BLOG / 望月優大の日記」より転載)