マイナースポーツで、生きていく。②

「マイナーだから」という言い訳が、段々と通用しなくなってくるんじゃないか。

マイナースポーツが、単なる「支援」ではなくて、仕事になるまでの「投資」や「仕事」として扱われる日は来ないんだろうかと思う。

テレビや新聞といったマスメディアによる露出が極めて少ないマイナースポーツにおいて、現状、寄付や支援で成り立っているのが、ボート競技はじめ、マイナースポーツの現状だと思う。

ただ、被災や病気に苦しむ方々がいる中で、人より元気で健康体であることが多い社会人選手たちが、マイナーだから支援してくださいと頼む現状は適切なんだろうか、と思う。

社会人は社会人として、誰かの役に立たねばならないと思う。「誰かの役にたつこと」を仕事と定義するならば、仕事になってないマイナースポーツは、「誰の役にも立ってない」ことになる。これは寂しいことだ。それは選手である前に、社会人であるおっさんがするべきことだろうか。

スポーツが社会に貢献、提供できることは、「やればできるんだ。俺も頑張ろう」というメッセージを送ること、未来へのエネルギーだと思う。それは「観ている人」がいて初めて成り立つ。「観てくれている人」がいて、「素晴らしい結果を選手が出す」この2条件が果たせて初めて、スポーツは価値を持つ。

マイナースポーツは、その観てくれている人が少ない。だから仕事にならない。だから「支援してください」になってしまう。オリンピックで勝てば報道してくれるかもしれないが、他の有名競技の選手が同日に大活躍すれば、ニュースにどれだけ取り上げてくれるのか、わからない。

インターネットという個人が自分を発信できる手段の登場によって、選手が競技力向上に努めながら、同時に自身を発信することも不可能ではなくなった。「観てくれる人」を報道という受け身ではなく自発的に募れる時代になった。「マイナーだから」という言い訳が、段々と通用しなくなってくるんじゃないか。YouTuberという職業がある中で、「マイナースポーツだから」仕事にならない、生きていけないという結論は、段々と難しくなってくるんじゃないか。

確かに競技力向上に努めながら、メディア発信していくというのは難しい。体力的にも、どう発信していけばいいのかも、わからない。そして、99%敗者が生まれるスポーツにおいて自分から注目を集めるのは度胸がいる。でも、何かしら、自分を観てくれる人を増やそう、大事にしようとするだけで、それは1つずつ仕事になっていくのではないかと思う。きれいごとか。

選手としてはどうせなら、勝ったところだけを観てほしい。でも実際、観る人は負けた選手が次どうするかというところも観ているんじゃないかと思う。

スポーツはストーリーとして受け入れられる。どういう人がどういう困難の中で、どう乗り越えるか、それを自分の人生に応用したい。勝ったところも、負けたところも、全部ひっくるめて観せられる選手になることが、大事なのかなと、思う。

無理にかっこつけずに、洗いざらいありのまま全力尽くしてる姿を出来るだけ多くの人にみせられれば、社会人選手としての役割は果たせるんじゃないかと思う。

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2015年10月退職、現在無職。12月の日本代表選考でトップ通過。16年4月韓国で行われるアジア大陸予選で3位以内で五輪枠獲得。種目は軽量級ダブルスカル。

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