無職とオリンピック②

一つだけ、なんと答えていいかわからない言葉を、何度ももらった。「うらやましい。」

「会社を辞めてどうするんだ。大丈夫なのか。」

「お前なら大丈夫だ、なんとかなる。」

自分がオリンピックで勝つためには、退職が最善だと思い、会社を辞めた。

退職の際、職場の方々、ボート(漕艇)関係者、様々な方々から、心配と応援の声を頂いた。

「大丈夫か?」と心配されれば、「(大丈夫に決まってる!)」と言いたくなり、「中野なら大丈夫だと思う」と応援されれば「(もっと心配してくれ!)」と思う、自分のあまのじゃくさを痛感したのはどうでもいい話だが、心配と応援。これから無職になる27歳に頂けるのはそれだけだと思っていた。

自分の未来への心配、そして応援。それだけだと思っていたが違った。一つだけ、なんと答えていいかわからない言葉を、何度ももらった。

「うらやましい。」

私はそれまで、夢はいつでも諦めなければ叶うと、遅すぎるということはないと、思っていたし、今も思っている。ただなんだ、「うらやましい」という言葉を聞いた時、重く、響いた。

夢というのは叶う、叶わないの世界だと思っていた。だが、叶う叶わない以前に、追いかけ続けられるかどうかの世界なのではないか、と思う。

夢は追いかければ叶うと思う。ただ、追いかけることができる状況にいる人間は、結構限られているのだということ。

私は結婚もしていなければその予定もなく、付き合ってる彼女すらいない会社員に過ぎなかった。だからこそ、会社を辞めることができたし、夢というか目標を追いかけ続けることができた。親や周りは心配するだろうが、自分の退職によって生活が脅かされるほどの被害を受ける人はいなかった。責任がないというのは男として失格のように思うが、だからこそ、追い続ける判断ができたように思う。

「将来の夫として頼りにする女性がいなかった」「会社員としての自分を頼りにする人がいなかった」という「幸運」が、自分の目標の継続に貢献した。

「生きていくためには仕方がないからといって、何のために生きるのか」と思い、自分は会社を辞めたが、その判断に誰かの生活がかかっていたとしたら、退職は多分無理だったと思う。

自分の人生ぐらい自分で決めさせてくれと思う。だが、自分に他人の人生を脅かしてまで、求めたい何かがあるかいうと、ない。

落ちるのは簡単で、上がるのは大変だ。それはスポーツでも勉強でも人間関係でもそうだろう。その「落ちる」可能性を高める行為に、道連れは少ない方がいい。そして自分に道連れはいなかった。

「うらやましい」という言葉には、道連れにしてしまう何かがその人にたくさんあるという意味だと思う。つまりは頼りにされているということで、本来幸せなことだ。

「スポーツ選手」っていうのは何なんだろうと考えることが多い。ほとんどのスポーツがそれだけで稼ぐことはできないし、生活することができない。会社の業績が傾けば廃部になる団体もある。何なんだろうと思う。「さっさと働けよ」って言葉に、うまく対応できない自分がいる。「勉強しなさい」って言われる子供と一緒だ。

選手は必ず自身の目標を達成しなきゃいけないんだろうと思う。それは、誰の生活も道連れにしない代わりに、多くの人のかつての夢や目標を道連れにしているのがスポーツ選手だと思うから。

誰かに「生活」は運べなくても、「希望」を運ぶのがスポーツ、だろうか。

みんな「夢は叶う」と信じたい。「やればできる」と信じたい。その希望を、期待を、選手は背負っている。希望の運送業者。

プロスポーツになれば「生活」も運べるようになるだろう。

28歳、無職。船を世界一速く運べるようになるとともに、誰か多くに希望とそれなりの生活を運べるようになれるように、って思う。マイナースポーツの解決すべき最大の課題は、宅配先を増やすことかもしれない。

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2015年10月に企業を退職、現在無職。12月に行われた日本代表最終選考でトップ通過。

16年4月韓国で行われるアジア大陸予選で3位以内で五輪枠獲得。種目は軽量級ダブルスカル。 https://www.facebook.com/nakano.rowing/

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