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それなら「ポロリ」も復活させるといい

自分たちの判断基準に照らしてこの表現を不適切と考えるのかどうか。それを示すのが、メディアとしての責任ではないだろうか。

2017年09月30日 16時04分 JST | 更新 2017年09月30日 16時06分 JST

フジテレビがやらかしたらしいこの件。

「まさか2017年に『ホモ』という言葉をテレビで聞くとは思わなかった」フジの番組で物議

(Buzzfeed Japan 2017年9月30日)

今のご時世にこれ、中で誰も何も言わなかったのか実に不思議だが、もう放映されてしまったわけでそこを突っ込んでも放映された事実は消えない。

むしろ気になるのはその後の説明だ。以下手短に。

上掲記事によれば、フジテレビの広報はBuzzFeed Newsの取材に対しこう答えた由。

「本放送では、LGBTの方々を揶揄するような意図を持って、制作はしておりません。差別の意図はありませんでしたが、番組をご覧になって不快な思いをされた方がいらっしゃることについては、真摯に受け止め、今後の番組作りに生かしていきたいと思います」
("保毛尾田"を登場させた理由について)「1988年~1997年にかけて放送されていた、本キャラクターはあくまでも番組放送30周年ということで、本番組の歴史を振り返り、番組の人気キャラクターとして登場させたものです」

意図がなかったというのは差別に関しては弁明にならない。たいていの差別は差別する意図なしに行われるからだ。フジテレビの宮内社長は定例記者会見でこの件について聞かれ、謝罪すると述べたようだ。

フジ社長 「保毛尾田保毛男」批判に陳謝「大変遺憾 謝罪をしないといけない」

スポニチ2017年9月30日

「もしその時代が違っていて、不快な面をお持ちになった方がいたことは大変遺憾なこと。謝罪をしないといけない」

あちこちでよくみる「もし~ならば謝罪」話法だが、問われているのはフジテレビがこの内容について「時代が違って」いて不適切と考えるかどうかという点だろう。放映されたということは、少なくとも現場のスタッフは「時代が違って」はいないと考えていたわけだ。社長さんご自身はどうなのだろうか。どんな放映内容でも不快に思う人はいるわけで、「不快に思う人がいるなら謝罪する」というのは自らの判断を放棄しているといわれてもしかたがない。

広報の方の説明のような、「本キャラクターはあくまでも番組放送30周年ということで、本番組の歴史を振り返り、番組の人気キャラクターとして登場させたもの」という論法が通るのであれば、現在の価値観に関係なく、当時のままのものを放映してよいということになる。

こういうのを見るとつい悪乗り回路が発動してしまう。

もしそうならぜひ、「ドキッ!丸ごと水着!女だらけの水泳大会」の歴史も振り返っていただくとよかろう。ちょうど上掲番組と同じ時期に放映されていた、まぎれもなくフジテレビの人気番組の1つであり、この番組の人気コーナー(?)といえばいうまでもなく「ポロリ」だ。個人的に見たいとは思わないが、見れば懐かしく思う人も多かろう。「放映30周年」とかで「ポロリ」大特集!でもやったらどうか。当然、かつてと同じプライムタイムに。

同じくフジテレビの「志村けんのバカ殿様」でも「ポロリ」的なものはあったかと思う。こちらは今でも時折放映されているから「現役」の長寿番組だし、やはりその中で「ポロリ」は人気だったわけで、「もう一度見たい」という人は少なくないはずだ。「保毛尾田保毛男」が放映できるなら、「ポロリ」女性を「番組の歴史を振り返り、番組の人気キャラクターとして登場させ」ることに何らの問題もあるまい。

悪乗り終了。以下、少しだけまじめに。

「保毛尾田保毛男」が放映できて「ポロリ」が放映できないとすればそれはいったい何の差なのか。理由は明らかだ。私は表現の自由を重視する派なので、「保毛尾田保毛男」にせよ「ポロリ」にせよ、無条件にアウト、有無を言わせず放送から一切締め出せ法律で禁止しろ、みたいなことをいうつもりはない。文脈や表現方法、時間帯などの工夫によって、取り上げることはじゅうぶん考えられよう。だからこそ、表現する側の自律と意志が問われるわけだ。

「不快に思う人がいるとすれば」ではなく、自分たちの判断基準に照らしてこの表現を不適切と考えるのかどうか。それを示すのが、メディアとしての責任ではないだろうか。上掲のような対応は「やらかしちゃったからとりあえず軽く謝っといて、ほとぼりの冷めるのを待とう」みたいにみえてちょっと情けない。

(2017年9月30日「H-Yamaguchi.net」より転載)