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週刊文春を責めても始まらない

2013年07月08日 23時00分 JST | 更新 2013年09月07日 18時12分 JST

有名女性スポーツ選手が出産していたと発表した上で、競技に復帰することを明らかにしたことをきっかけに、ちょっとした騒動が起きた。週刊文春がこれを支持するかしないかというウェブアンケートをしかけ、批判が集中してすぐに撤回された件が報じられていた。

アンケートっていうのはこんな文面。

この突然の告白に対し、出産を祝福する声が上がると同時に、まだ結婚しておらず、父親が誰かも明かさないことへの疑問や、子育ても競技も中途半端になるのではないかなどの批判もあります。そこで、下記アンケートへのご協力をお願いいたします。

で、「出産を支持しますか?」、及び「子育てをしながら五輪を目指すことに賛成ですか?」の2点を聞いている。赤の他人の出産を支持するもしないもないっていうのが常識だろうと個人的には思うが、どうもこの人たちはそう考えなかったらしい。で、案の定(なんで想像できなかったのか実に不思議だ)、批判が殺到して、アンケートは中止に追い込まれたというわけだ。

とはいえ、週刊文春を責めておしまい、というだけではあまり意味がないようにも思うので、少しだけ書いてみる。以下、件のスポーツ選手の個人名は議論に必要ないと思うので伏せる。

週刊文春は、アンケートの撤回にあたり、編集長名でこんな文章を出している。

女性の出産という大変デリケートな問題にもかかわらず、設問を「出産を支持しますか?」「子育てしながら五輪を目指すことに賛成ですか?」としてしまったために、出産そのものを否定したり、働きながら子育てをすることを批判しているような印象をあたえてしまいました。その点については、編集長の私の責任です。このアンケートに関して不快な思いを抱かれたすべての方にお詫び申し上げます。

「出産そのものを否定したり、働きながら子育てをすることを批判しているような印象をあたえてしまった」というのがお詫びの内容だ。つまり、そんな意図はなかったといいたいらしいが、ではどんな意図だったのかは書いてない。謝り方もなんとも中途半端で、はっきりいって意味不明だ。

だが、中途半端なのはある意味当然かもしれない。件のアンケートの文面は、文春編集部が「暴走」したものというより、世間に根強く残っている、こういう意見を反映したものにすぎないからだ。

美談じゃ済まされない...スケート連盟に抗議殺到「ちゃんと性教育しているのか」との声も」(東スポWeb 2013年7月6日)

日本スケート連盟に苦情電話が殺到。中には「お前ら、ちゃんと性教育しているのか!?」と怒りをあらわにする人もおり、連盟スタッフは大困惑しているという。

スケート連盟に性教育せよとは面妖な御説だが、まあそれは東スポ的なアレとしても、大変な怒りようだ。そもそも誰が出産しようが他人には無関係だろうに、なぜこんなに批判されなければならないのか。件のアンケートの文面だけからはわかりにくいが、この記事を重ねるとよくわかる。この記事の中で具体的に挙げられているのは、「避妊しないのはなぜ?」という点、「入籍もせずにいきなり出産ですからね」という点など。これはわかりやすい。要するに、いわゆる「ふしだらな娘」だという批判だ。

アンケートでは「まだ結婚しておらず、父親が誰かも明かさないことへの疑問」としているから、既婚で相手がわかっていれば祝福するがそうではないので批判される、ということだろう。こうした批判は男女を問わない。「理想の伴侶」や「理想の娘」のイメージを投影される立場の女性にあるまじき行為、といった感情を抱く男性は多いだろうし、自らを「奪われる立場」とイメージして、もし父親が既婚男性であれば許さない、という女性は少なくないだろう。「相手」の名への異常としか思えない執着はそう考えれば納得がいく。というかそうでなければとても理解できない。

これ以外の理由は、独断で断言してしまえば、批判者自身がそうは意識していない場合も含めて、一種のカモフラージュと考えていいと思う。「子育ても競技も中途半端になるのではないかなどの批判」が理由なら、相手の名はそもそも関係ないし。さらにはっきりいえば、こういう一見もっともらしい批判の裏には、有名人女性の私生活に対する脂ぎった下世話な興味がべっとり貼り付いている。この2つは表裏一体であり、裏側にある下卑た好奇心が、表側にある上から目線の批判できれいにコーティングされている。

上記リンク先の東スポ記事には、そうした構造がきわめてわかりやすく浮かび出ている。その後も「父親の名」について執拗な関心を見せていて、安心の東スポクォリティといわざるを得ない。以下の朝日新聞の記事は、それと比べてややお上品を装っているが、裏側に下世話な興味本位の姿勢がくっついていることには何のちがいもない。ひとくくりにして悪いが、他のマスメディアもおしなべてこの両社のどちらかと似たようなものといえる。もちろん週刊文春もそうだ。

「(記者レビュー)大スクープ、でも...」(朝日新聞2013年7月5日)

ただ、気になったことが一つ。赤ちゃんの父親は誰? インタビューでは一切触れられなかった。スタジオで古舘伊知郎キャスターが、話を聞いた宮嶋泰子アナウンサーに「結婚は?」と尋ねた時も、「時期については相手と話し合う」とだけ。言えないのだとしても、せめて○○選手の口から直接、説明の言葉を引き出してほしかった。それがニュースとしてのあり方では。

何が「ニュースとしてのあり方」だ、と正直思うが、だからマスメディアは汚いとかいいたいのではない。これは彼らが、人々の下卑た欲望に応えることで売り上げを伸ばし、あるいは彼ら自身の社内評価や昇進につなげようとしているだけのことで、そのこと自体はメディアが情報を売る営利企業として運営されている以上、ある程度当然の話だ。

その意味でいうなら、もしメディア下衆い報道をしているのであれば、下衆いのは私たち自身ということになる。彼らは私たちの鏡でしかないからだ。雑誌だろうが新聞だろうが、もともと商業メディアとはそういうビジネスなのであり、私たちの下衆い関心を満たしてお金を稼ぐ商売として下衆い記事を書くことは、そう前面に打ち出してやってる分には何ら恥ずべきことではない。週刊文春を責めても始まらない、というタイトルをつけたのはそういう意味だ。もちろん、おしなべて人は下衆い好奇心から逃れられないものであって、あとはそれを隠すか隠さないかの差しかないわけなので、隠そうと思わないならば、私たちも恥じる必要はない。

今回の「騒動」は、私たちの社会が、未婚女性の出産はけしからんとか、女性が子育て中に働こうとするのはわがままだといった意見が少なからぬ支持を集めてしまう状況であることを改めてさらけだした。この女性スポーツ選手は、ある意味、そうした「けしからんわがままな女性たち」の代表ないし代理として批判を受けたのだし、週刊文春編集部は、こうした層の意見を汲み取ろうとしてアンケートを実施したのだろう。

そうした批判の矛先が公の場で一般女性に向けられることは、ふだんそう多くはないかもしれない。最近では、いわゆる「政治的に正しくない」意見とみなされるようになってきたからだ。週刊文春編集部が謝罪したのも、さすがに今の世の中、「働きながら子育てをすること」全般を批判したように思われるのはまずい、と判断したからだろう。確かによくみれば、最初のアンケートも、「まだ結婚しておらず、父親が誰かも明かさないこと」や、ふつうの仕事ではなく競技との両立をめざすことを批判するといったかたちで、一般の子育て勤労女性に矛先を向けたものと思われないようそれなりに配慮しているのがうかがえる。

しかし、閉じられた場では、このスポーツ選手に向けられたような批判が一般女性にぶつけられることは、今でもままある。結果が公開されていないので実際どうだったかはわからないが、公開されていれば、今回のアンケートは、こうした、ふだんはあまり公的な場に出しにくくなった意見をおおっぴらに出せる格好の機会を提供したかたちとなっただろう。それは件のスポーツ選手が嫉妬や下衆い好奇心の対象となる有名人だったからであり、また「みんなの理想」像を期待される、オリンピックをめざす競技スポーツ選手という特殊な立場だったからだ。

その意味で、この問題は、この選手の固有名詞を離れて、社会全体にかかわる、より一般的な、私たち自身の問題として考えるべきもののように思われる。未婚女性が出産することをどう考えるべきか。働きながら子育てをすることを社会としてどう位置づけていくのか。多様性を尊重すると社会の安定が損なわれてしまうのか。「政治的に正しい」意見で異論を切り捨てるのは簡単だが、異論がこれまで生き残ってきたのも、それなりに人の心をとらえる理由があったからだろう。どういう文脈で、どういう人たちが、なぜ異論を支持しているのか。「あいつらはまちがっている」といった声高な主張で押しつぶすのではなく、本音の部分を含めた、率直でていねいな議論があってもいいのではないか。

だからこそ、週刊文春には、今回のアンケートを中止するのではなく、最後までやりきって、結果を示してほしかった。もちろん個人攻撃のためではない。社会の中にあって、でもなかなか正面からとらえられることのない、私たち自身の間にある意見の相違を浮き彫りにすることができれば、それには少なからぬ意味がある。そこで議論を起こして人々の関心を集めれば、企業としての収入にもつながるだろう。下卑た大衆の好奇心を満足させることに徹するのもビジネスのひとつのスタイルだろうが(東スポなどはそこに徹していてある意味すがすがしい)、私たちは、それだけでなく、世の中を少しでもよくしたいと思う心も持ちあわせているだろう。そういう方向の言論を提供することで収入を上げていくという役割も、マスメディアには期待されていたはずだ。

週刊文春は、そうした役割を果たせるメディアなのではないかと思っていた。その意味で、今回の同誌編集部の対応は、たいへん残念に思う。

あともう1つ。アンケート撤回後、いくつかのメディアが週刊文春編集部に取材を申し込んでいたようだが、いずれも断られたらしい。いわば取材拒否というわけだが、これはメディアとしてどうだろうか。印象論だが、総じてマスメディアの方々は、取材先に切り込むときの威勢のよさと比べて、自分たちが取材の対象になったときには思い切り逃げ腰になるような印象がある。一般企業ならいざ知らず、週刊文春は、訴訟上等で人や企業の知られたくないあれこれを暴いてナンボのビジネスをやっているではないか。この程度のことで取材拒否するようなメディアが他人のあれこれを詮索するなんて片腹痛いわ、と思うのは素人考えなんだろうか。

・・・あ、いや、別に責める気はないので誤解なきよう。ただ、残念であり、片腹痛いというだけで。

(※この記事は「H-Yamaguchi.net」7月8日付記事の転載です)