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「カムアウトをもう一度」HIV陽性者・ゲイの人生を語る

土曜日の午後5時、ゲイバーでHIV/AIDSについてさらけ出して話す様子は、少しセクシーにすら感じられた。

2017年12月01日 14時15分 JST | 更新 2017年12月01日 14時23分 JST
<ハフポスト日本語版編集部より>
12月1日の「世界エイズデー」に向けて、ハフポスト韓国版に3月に掲載された、「キッシング・エイズ・サロン」に関するブログを紹介します。

HIV/AIDS Activists Network Korea

〜イベント「キッシング・エイズ・サロン――エイズをプッシュ」を開催して〜

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「HIV/AIDS人権活動家ネットワーク」は3月23日、月例定期イベントを行った。

この団体は2016年、性的マイノリティ人権団体、HIV/AIDS人権団体、同じような立場の人をサポートする陽性者ピアサポートグループ、個人の活動家たちで結成された。性的マイノリティの人権団体と陽性者ピアサポートグループによる初めての連帯として、数年に渡る活動の成果である。

定例会の趣向は、男性同性愛者のコミュニティ文化やセックス、PrEP(Pre-Exposure Prophylaxis、ウイルス露出前の予防療法)、同性愛とHIV陽性者へのヘイト、医療アクセス権、2〜30代感染率の増加など、散在するHIV/AIDS問題をひとまとめにして議論しようというものだった。

これまでにも、HIV/AIDS問題に関連した集会や講演、教育、討論形式のプログラムがなかったわけではない。近年では性的マイノリティの人権団体と陽性者ピアサポートグループを中心に、陽性者と非陽性者、専門家と活動家、問題に関心を持つ性的マイノリティとの交流も頻繁に行われてきた。

しかし、これまでの活動では物足りなさが残った。良質のコンテンツがシェアされ、関係も作られたのに、プログラムの中でくすぶっているとでも言おうか。「HIV/AIDS人権運動」という枠組みと硬直した言葉が、運動(または性的マイノリティの人権団体)の外にある、性的マイノリティとPL(People Living with HIV/AIDS)コミュニティが直接つながることへの障害になっているという指摘は何度もなされていた。

しかし、病気=避けるべきものと認識されている状況では、準備もなく疾病当事者として現れるリスクを冒すのはやはり簡単な選択であるはずがない。そのため、ネットワークの集まりは、コミュニティ内のHIV/AIDSについての温度を確認し、関係をしっかりと結んでいかなかければならないという課題も抱えている。より多くの人々が参加して、この病気について穏やかな雰囲気の中で話せる方法に対しての悩みが飛び交った。

敷居を下げ、HIV/AIDSの話を交わすことができればという思いで定期集会を準備した。その名も「キッシング・エイズ・サロン(Kissing AIDS Salon)」。拙速に対案と方法性を決めるよりも、お互いの唇を読みながら、コミュニティ内外の病気をめぐる話を交わそうという趣旨だ。

一方で、HIV/AIDSに押された性的スティグマをひっくり返したいという欲もある。お互いを孤立させてきた環境をさかのぼり、関係の可能性を模索してみようという思いも作用したようだ。よくある"関係の始まり"のように、お互いを知るためにシグナルを交感し、撫でて、触れて、抱擁しなければいけないという共感が形成された。共に準備を進めた活動家は、これを「スキンシップ」と呼び、私たちは会議の構成を、関係形成の段階に設定した。その始めの最初の会議のテーマが、「プッシュ」(興味を持っているか確かめてみる)だった。

相手の意思を確認するには、事前作業が必要だ。趣旨に合わせようと、私たちは思い切って鍾路のゲイバーを借りた。不慣れな会議室ではなくおなじみのスペースで、そして、冷たい蛍光灯ではなくほのかな明かりの下でイベントを行うことで、重いテーマをよりスムーズに話せるようにならないだろうかという期待からだった。

ゲイバーは性的マイノリティとしての自分をさらけ出し、あなたに出会う場所だ。様々なウワサが飛び交うと同時に、秘密の告白も存在する。隠していた言葉を吐き出し人々と話し合うことは、プライベートなコミュニケーションと喜びの経験を、公に開け放つだろうという期待があった。言えなかったこと、言わなかったことをさらけ出すことになるだけに「カムアウト」をメインキーワードにした。

通常の出会いのように、初対面では自分の正体を明らかにした上で、相手を確認する。陽性者としての顔出しは容易でない。また公開イベントで陽性者であることを明らかにすることには、人一倍の勇気が要る。

これは陽性者だけの問題ではない。参加者も自分の中にある「病気へのヘイト」という荷を下ろして、HIV/AIDS問題に関心を示し、私たちの生活をサポートするというある種の決心が必要だっただろう。申請者の中には、会場内を歩き回り、外に出て戻ってこなかった人もいたという。エイズについて話す場への参加すらためらわせる足かせは、いったい何だったのだろうか。躊躇する心情も理解し、待つしかないだろうが、今日のイベントがエイズの重さを少しでも軽くするプラットフォームになることを望む。

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パネリストは、経験を考慮した上で、様々な立場から均等に選んだ。陽性者になって23年のベテラン活動家もいれば、陽性者の仲間を見て問題に目覚めた非感染ゲイの男性もいる。感染運動団体とピアサポートグループで活動する20代の陽性者の活動家。活動してきたゲイの人権団体に陽性者であることをカムアウトして、組織内のピアサポートグループを作って活動する人も、パネリストとして参加した。

自己紹介と、それぞれが経験してきた陽性者としてのゲイライフを語り始めた。陽性者であることをカムアウトしようとすることが、これまでの関係に変曲点として機能したというのが共通した話だった。恥ずべき部分とみなされる自分の姿をさらけ出したのだから、関係の変化は当然だ。

関係が切れたり、狭くなったりするかもしれないので、あまりカムアウトはしない方がいいというベテランの活動家のアドバイスに、PLとして堂々と生きていると他のパネリストが自信を持って軽快に返す。

性的マイノリティの人権団体のように、キャンペーンで継続的なHIV/AIDSの認識改善と、人権への感受性を高めてきたコミュニティでは、陽性者をもてなして関係を形成することは、もはや新しい変化ではない。

しかし、数年間共に活動してきた団体で陽性者と名札を変えて活動することは、意図とは関係なく、新しいアイデンティティとしての関係再調整が求められる。陽性者フレンドリーな空間であっても、日常の中で緊張を解くのは難しい。良いコンディションを維持し続けながら、ヘイトとスティグマに打ち勝つことが容易であるはずがない。自分をさらけ出し正体を明かすことは、一度の宣言をもって替えられない。親密な関係の中でも、感染の事実を認知し、気を使わなければならない陽性者。日常的に、相手から拒絶されること、距離を置かれることを常に念頭に置かなければならない。ゲイとしてのアイデンティティを確認・享受できていた店や集まりであっても、陽性者ゲイは空気を読み、立ち入る許可を得なければならない人間に降格される。

病(体の痛み)が噂となり、断絶となって戻り、関係の痛みとなる。これは挫折と諦めにつながり、自尊心を傷つける。

もちろん感染の事実を隠すことは難しくない。大きな問題がない限り、陽性者は、非陽性者とさほど変わりないレベルの健康を管理し、維持する。いや、管理を認知し、着実に健康を維持するPLの方が、注意に欠く生活にさらされやすい非陽性者よりマシだという主張も誇張ではない。つまり、特殊な状況でなければ、感染の事実を明らかにしなくても、さほど問題なくゲイとして仲間に会い恋をして日常を営む。その一方でPLゲイはゲイコミュニティとは別に、陽性者ピアサポートグループに入って病気についての情報交換し、陽性者としての自分を隠す封印を解く。ゲイであり、陽性者でもある陽性者ゲイの暮らしは、このような内部分裂を起こしている。これは、これまで韓国の性的マイノリティコミュニティのHIV/AIDS人権運動家が直面してきた「陽性者と非陽性者の断絶」という抽象的な問題意識が陽性者の中に具体的な葛藤としてすでに存在してきたことを示唆している。知らず知らずのうちに陽性者は、自分が陽性者であることを確認する状況に直面し続ける。エイズについての非常識な話で噂を膨らませる話が耳を突き、セックスをしながらも陽性者であるということを知らせるべきかどうかで何度も自分の中で交渉を行う。愛する人に告白しようにも、感染という事実は越えがたい尾根だ。陽性者としてのカムアウトは、ゲイであることをカムアウトと重みが異なる。ピルケースや診療記録を仲間や恋人に見られるかもしれないため、陽性者の関係者は最も近い地点においても脆い。

HIV/AIDSは、生活の一部となってライフサイクルの血色を変えてしまう。慢性疾患のようになったとは言うものの、陽性者は慢性的なスティグマやストレスも抱えていかなければならない。スティグマがある限り、病気は恥部であり続ける。陽性者であることをカムアウトした活動家は、日常の出会いさえ気を使わなければならないという。自分と会っている人が、陽性者と間違われるかもしれないという理由からだ。陽性者の生活には、二重三重の検閲があちこちに溶け込んでいる。感染の事実を確認するとともに、ゲイとしての人生を歩み始めたという青少年・青年陽性者の人権団体活動家は、相手に自分のことをカムアウトする状況になれているが、感染を確認した時から自分の感染の事実を明らかにするたびに、ゲイとしての人生は終わったと冗談交じりの自嘲を繰り返す。始まりと終わりが繰り返されるゲイ陽性者は、どんな人生のジェットコースターに乗って来たのだろうか。病気に対するネガティブなイメージを刷新したくても、諦めが底辺に染み付き、堂々と生きるという意志は、痛みを隠して生きる仮面劇となりがちだ。

そのため、カムアウトは、今まで隠してきたHIV/AIDSのことを語り、自分の中のエイズヘイトを悟り、病気を自分たちの問題として受け入れ、あなたとの新たな関係構築に努力するという宣言でもある。お互いをサポートするために、関係において何を配慮するのか、どのような言葉を使うのか、より細やかに呼吸を合わせなければならない。スティグマに満ちていたHIV/AIDSを貫通し関係を新たに構築する試みは、共感とサポートの心と同じように、技が必要だ。

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土曜日の午後5時、鍾路のゲイバーでHIV/AIDSについてさらけ出して話す様子は、少しセクシーにすら感じられた。あなたと私が密着した距離で語った話が、確認しようのない噂やヘイト混じりの冗談でなかったことは、最大の変化に感じられた。HIV/AIDSというセンシティブなテーマのイベントに、快く場所を提供してくれたバーのオーナーによるサポートも、コミュニティの温度が変化したシグナルだろう。

イベントでは40人以上の人々が、営業時間前のバーを埋めた。期待以上の盛況ぶりだった。彼らは何に導かれたのだろうか。病気を理解するために情報を得るだけでは物足りず、陽性者と共に呼吸を合わせてみたかったのではないだろうか。人権団体の学習室より、ゲイバーの方がアクセスしやすかったからだろうか。答えはまだ整理できていないが、ゲイバーに人々が集まってHIV/AIDSを話し合うことは、新鮮に映る。陽性者であることを隠し空気を読まなければならないコミュニティの空間に、陽性者として招待され、仲間の前で陽性者ゲイとしての人生を語る経験は、バーにとってもこれまでになかったことだろう。

何よりも、何事にも気兼ねなしにさらけ出した陽性者との対面は、コミュニティの関係について、改めて考えることにつながった。スティグマとヘイトは、人の姿をぺしゃんこにする。平べったくなった陽性者の姿は、不潔で不幸であわれな対象として抽象化され、接触することもなく想像されるだけだ。触れ合うことなく出会い系アプリで人と出会い、ゲイスブックでつながり、寂しさを慢性化させる性的マイノリティの脆いネットワークにおいて、スティグマとヘイトはいつも排除と無視、噂と検閲の顔をしてやって来る。イメージだけ残った陽性者の心は、いとも簡単に引き裂かれる。陽性者の人権は認めるが、彼がどこで誰と会って、どうやって暮らしているのか想像が難しいというのは、形ばかりのスローガンに胸をなでおろし、エイズに無関心で陽性者の存在をのけ者にした結果ではないだろうか。追体験の病気への関心がない中、関係はサビつき、予防にも不感にならざるをえない。進展のない状況の中で、HIV/AIDSは、あまりにも漠然としていている上に、突然災難としてやってきて生活を脅かす。

陽性者が、2次元の平面から飛び出し、スポットライトを浴びながらコミュニティのメンバーの前で、自分の具体的な暮らしを話すという試みは、関係の感覚を目覚めさせ、無関心というニューラルネットワーク(神経回路)を刺激する。HIV/AIDSがあなたとかけ離れた問題ではないことや、あなたの近くにPLの仲間がいることを、体で感じさせる。これは非陽性者に限った感想ではない。和気あいあいとした雰囲気の中で、陽性者が顔出しして自分の話を聴衆に投げかける姿を見て、ようやく自分自身を受け入れられるようになったという陽性者。これまで考えることもなかったHIV/AIDS人権について考え、自分の子どもが陽性者だったらと想像する、心は痛むが貴重な機会を得たというゲイの息子を持つ親などの感想は、イベントを行った意味を再確認させてくれた。

「キッシング・エイズ・サロン」は、陽性者や性的マイノリティとしての孤独を満たしたり、圧迫と苦痛を完全に取り除いたりするものではないだろう。しかし、今の寂しさが自分だけの問題ではないと、あなたの痛みは何によって作られているのかを共に模索できないだろうかという願いがある。癒やされぬ傷に共感し、関係を結ぶ権利として、痛めつけられることがない権利として、一緒に紐解いて行ければと思う。陽性者として、性的マイノリティとして一堂に会し、むなしさ、不安、不完全を読み解く場所をつくることが、人権運動の責務であることに気づいた。今日のこの空気を覚えておかなければ。

観客が耳を開き、心から話を聞こうとする観客が耳を傾け、心に話を収める姿>が心に残った。相手の顔から感情を読み取るのに最適だったバーの照明は、イベントの雰囲気をほんのりと包んだ。対話は濃密だった。緊張か、愛着かわからない穏やかな表情が、雲のように広がっていった。温かさが零れ落ちそうだった。客席に分け入り、友達と共に騒ぎたかった。イベント後にあるパネリストから、照明を自分に向けるのではなく、会場にいる人すべての顔が見えるように空間全体を明るくして欲しいと頼まれた。私たちは、お互いの顔を見て、それぞれの世界を読み取る必要がある。

陽性者が自分自身をさらけ出すことは、今までのサポートしてきた時間と仲間がいたからこそ可能だった。「キッシング・エイズ・サロン」で結びつきが強まった関係で、コミュニティを色付けできればと思う。3月のイベントではお互いの表情を見つつ様子見をしていたが、4月のイベントでは、密着した話に持っていくつもりだ。テーマは「セックスと感情――エイズに触れる」。ちょうどつぼみが四方に膨らみ、繁殖のシグナルが香しく舞う季節だ。温かな大気を越えて、あなたの感情に触れる番だ。連続性を持つのが難しい一度だけの関係の積み重ねに、どのような感情の屈折があったのかを読み解き、関係の筋肉をしっかりとさせることが課題となった。耳を開き、没頭した愛情こもった静けさから、相手からの波長を読み解き、シグナルをやりとりしてもらいたい。4月22日土曜日の午後5時、鐘路で会おう。

*「キッシング・エイズ・サロン」は、HIV/AIDS人権活動家のネットワークが企画する月例のイベントで、人権財団「ひと」の定期公募事業「人権プロジェクト・オン」に選定されています。「キッシング・エイズ・サロン」は、エイズのことをより身近に語り、より多くを知り、陽性者と共生し、積極的に知らせるという4つの目標のために企画されたオープントークの場です。言いたいことを打ち明け、さまざまな意見があることを確認し、性的マイノリティのコミュニティでエイズ問題を積極的に扱わなければならないと考えています。毎月ソウル鍾路3街のゲイバーVIVAで行われるキッシング・エイズ・サロンは、HIV感染とは関係なく、興味がある人なら誰でも参加できます。ただし、陽性者を差別する人の参加は禁じます。

(翻訳:植田祐介)

ハフポスト韓国版の記事を翻訳しました。