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【時代劇】水戸黄門「風車の弥七」の人生 実は婿養子? モデルは実在した?

2014年11月22日 17時18分 JST | 更新 2015年01月21日 19時12分 JST

TBSの時代劇『水戸黄門』は、1969年8月4日にスタートし、2011年12月19日をもって、42年にわたる歴史に幕を閉じた。主要人物の中でいぶし銀の存在だったのは、風車の弥七だ。特に、初代弥七を演じた中谷一郎。番組開始当初から30年近く演じた。

■第3部の最終回で結婚

初代弥七を振り返ると、水戸光圀の"影のボディーガード"という存在で、強い絆で結ばれていた。第1部の初回で、助さん(佐々木助三郎)格さん(渥美格之進)が光圀に紹介されるまで、弥七の存在すら知らなかったほど。

弥七のトレードマークといえば、あの赤い風車。通信手段、武器、カギ、首つり自殺の阻止など、使い勝手がいい。風車の色を赤にしたのは、スタッフが「カラー映像に映(は)える」と思ったからだという(放送開始当時、白黒映像が終焉を迎えていた)。

第2部からうっかり八兵衛が登場し、弥七を「親分」と慕う。当初、八兵衛は光圀主従ではなく、弥七についていった。無論、剣術や忍法を身につけていない、ただの町人である。

第3部から霞のお新が登場。父親は江戸で『田毎庵(たごとあん)』というそば屋を営んでいた。しかし、初回で父親が殺され、現場に風車があったことから弥七を疑い、敵(かたき)を討とうとする。

のちに誤解と判明し、2人は真犯人を突き止め、改めて敵を討つ。最終回では、父親の墓前で結婚を報告した。これを機に、"住所不定"だった弥七は『田毎庵』に住み、夫婦で営む。江戸時代、町人に名字が与えられていなかったが、弥七は"実質婿養子"となるのだ。

■弥七とお新のあいだに娘がいた

第9部の初回でお新が妊娠し、最終回で女の子が生まれた。弥七が光圀に名付け親を依頼したところ、光圀はこれを快諾。「お梅」と命名した。お梅は幼少の時代と、2003年12月放送の1000回記念スペシャルしか姿を現していない。

弥七は第27部、八兵衛は第28部をもって、それぞれ第一線から退いたのち、1000回記念スペシャルで再登場。八兵衛が『田毎庵』に定住し、弥七、お新、成長したお梅とともに、仲睦まじく暮らしている様子が描かれていた(弥七は過去放送のVTRのみ放映)。

放送から4か月後の2004年4月1日、中谷一郎は73歳で初代・2代目光圀のもとへ旅立った。5代目光圀(2代目助さんでもある)の里見浩太朗は、弔辞で「もう1度、あなたの弥七が見たかった」と故人をしのんだ。

第37部の第11回より、2代目弥七として内藤剛志が登場。派手なアクションシーンは少なかったが、初代の雰囲気を損なわない演技で、視聴者から好評を博した。なお、2代目弥七は独身の設定だった。

■弥七は実在の人物だった?

『水戸黄門』は、番組のオリジナルキャラクター(八兵衛、かげろうお銀など)を除き、下記の人物がモデルとされている。

・水戸光圀......左記と同じ(実名は徳川光圀)

・佐々木助三郎......佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねきよ)

・渥美格之進......澹泊安積覺兵衛覺(たんぱくあさかかくべえさとる)

1990年に入ると、茨城県那珂郡緒川村(現・常陸大宮市)で「弥七とお新の墓がある」と話題になり、テレビ番組でも取り上げられた。その墓は弥七ではなく、松之草小八兵衛。地元は小八兵衛を"弥七のモデル"とみなしたのだ。光圀に仕える身、しのび、妻の名は「お新」などの共通点がある。

しかし、TBSは小八兵衛の存在を知らなかった。弥七のモデルは小八兵衛ではないが、地元にとっては、2人とも"光圀に仕えた英雄"である。

しらべぇより転載)