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フォーエヴァースペシャル2015-鉄道車両の引退が相次ぐⅢ-

2015年06月02日 15時05分 JST | 更新 2016年06月01日 18時12分 JST

2015年は車両の引退が大変多い。今回は「2015年度」も含め、4つの車両を取り上げる。

☆JR東海キハ11形鋼製車(2015年度で営業運転終了の予定)

■ローカル線に新風をふかせた軽快気動車

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デビュー当初、乗客から「トイレがない」「煙草が吸えない」という指摘があった(画像はJR東海提供)。

キハ11形は、老朽化したキハ28系、キハ58系の置き換え用として、1989年1月に登場し、同年2月20日にデビューした。国鉄・JRの赤字路線を引き継いだ第3セクター鉄道の車両をベースとしており、車体の長さを18メートルにして、通勤・通学時の輸送力を確保している。

車体は鋼製で、アイボリーをベースに、オレンジとグリーンの帯を巻いた。のちに、飯田線用の119系、身延線用の123系、2015年度中に現役を退く予定のキハ40系も、"キハ11形カラー"に塗り替えられ、"ローカル線の鋼製鈍行列車の標準色"という見方ができる。

ディーゼルエンジンは、海外のカミンズ社製を採用。国鉄気動車のディーゼルエンジンに比べ、出力を大幅にパワーアップしただけではなく、燃費も良い。キハ11形の最高速度は、国鉄の急行形・一般形気動車と同じ95km/hだが、加速度の大幅な向上などでスピードアップを図り、客室の明るい内装も相まって、ローカル線のイメージアップに貢献した。

同年9月までに、暖地向け0番代10両、寒地向け100番代23両の計33両を投入。2両(キハ11-122・123)は自社の名古屋工場、それ以外は新潟鉄工(現・新潟トランシス)で新製された。

一方、JR東海グループの東海交通事業では、城北線の全通に伴い、キハ11形200番代4両を1993年2月に投入した。このうち、キハ11-203・204をJR東海にリースした。

2000年に入ると、運転上における安全性の向上、車椅子スペース、ドアチャイムの設置が行なわれた。キハ11-203・204も同様の改造が施されている。

■JR東海キハ11形鋼製車は、1両を除き新天地へ

キハ11形鋼製車のうち、キハ11-9は名松線で発生した落石事故の影響で、2007年1月19日付で廃車。それ以外は元気に活躍を続けていたが、経年に伴う劣化が顕著となり、修繕に要する費用や手間が甚大となった。

JR東海は、武豊線の電化開業を機に、キハ25形とキハ75形を高山本線、太多線に転用し、キハ11形鋼製車とキハ40系の置き換えを決めた。

2015年3月14日のダイヤ改正で、キハ11形鋼製車は、高山本線、太多線の運用から撤退。キハ11-203・204は東海交通事業に返却した。その後、ミャンマー鉄道省へ16 両、ひたちなか海浜鉄道へ1 両譲渡する契約を締結した。東海交通事業保有のキハ11-203・204もひたちなか海浜鉄道へ移った。

現在、キハ11形鋼製車は紀勢本線、参宮線などで活躍を続けているが、先は短い。残る15両もミャンマー鉄道省へ譲渡する方向で調整している(具体的な日程はまだ決まっていない)。

☆大山観光電鉄初代1・2号車(2015年5月17日引退)

大山観光電鉄の前身は「大山鋼索鐵道」というケーブルカーで、1931年8月1日に追分―下社間(0.7キロ)が開業した。行き違い箇所にプラットホームを設け、「中央不動」と名づけられた。当初は下社―山頂間(0.9キロ)の別路線も建設する予定をたてていたが、残念ながら実現しなかった。その後、戦局の悪化により、1944年2月11日付で廃止。政府の金属類回収令により、レールなどが撤去されてしまった。

戦後、地元や神社側から「ケーブルカー復活」の話が持ち上がり、1950年7月に大山観光を設立。追分―下社間の鉄道事業免許を取得したのち、社名を現在の「大山観光電鉄」に変更した。

紆余曲折の末、1965年7月11日に追分(現・大山ケーブル)―下社(現・阿夫利神社)間が再び開業。こちらも行き違い箇所にプラットホームを設け、「不動前」(現・大山寺)と名づけられた。

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1号車「おおやま」

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2号車「たんざわ」

投入された車両は、小田急電鉄の特急ロマンスカーに準じた塗装で、1号車が「おおやま」、2号車が「たんざわ」と名づけられた(車両形式はない)。定員は101人(座席定員36人)である。冷房は搭載されていない。

前面はフロントガラスが大きく、眺望もよい。この車両の特徴は、展望席の下に扉が設置されていることで、非常事態が発生した際に使われる。

2005年に車両の塗装変更が行なわれ、1号車「おおやま」が緑、2号車「たんざわ」が赤にそれぞれ一新された。アクセントとして、車両愛称の頭文字「O」(おおやま)、「T」(たんざわ)を添えられている。その後も車体の修繕、施設の補修などを行なっていたが、寄る年波には勝てず、2015年5月17日に引退した。

ただいま大規模設備更新工事中のため、ケーブルカーの運転をとりやめており、同年10月1日に運行再開の予定。2代目の1・2号車がお目見えする。

☆わたらせ渓谷鐵道わ89-300形(2015年3月29日で引退)

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わ89-300形は26年間の活躍にピリオドを打った。

国鉄が足尾線を「第2次特定地方交通線」に選定したことで、近い将来の廃止が確実となった。これにより、沿線の自治体は、ほかの事業者による鉄道存続か、バス転換の選択を迫られた。

協議の末、第3セクター鉄道による路線の存続を決め、1988年10月に、わたらせ渓谷鐵道を設立し、わずか半年足らずの1989年3月29日に開業している。開業に向けて投入された車両は、わ89-100・200・300形で、前二者は通勤・通学用の一般車、後者はイベント兼用車だ。

わ89-300形は2両投入。エクステリアは紅銅(べにあかがね)一色の塗装、車体側面にウサギとシカをデザインしたレリーフ板がついており、車体の構造も宮福鉄道(現・WILLER TRAINS。鉄道通称名、京都丹後鉄道)MF100・200形に似ている。車体の長さも一般車より大きい16メートルとした。

インテリアは、関東地方では珍しい転換クロスシートを装備しているので、居住性もよく、「わたらせ渓谷鐵道開業時のエース」と言うにふさわしい。

わ89-301は2011年11月5日付で廃車。開業時の車両で最後まで残っていた、わ89-302も2015年3月29日のイベント列車運転をもって引退。その後、新大間々駅構内で静態保存された。 

☆ひたちなか海浜鉄道キハ22形(2015年2月22日で営業運転終了)

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羽幌炭礦(はぼろたんこう)鉄道で活躍した車両がついに姿を消す。

羽幌炭礦鉄道は、1960年から1966年にかけてキハ22形を3両投入した。北海道という極寒の地ゆえ、運転席のフロントガラスに、運転士の視界を確保するための旋回窓が設置され、水滴や雪を弾き飛ばした。

その後、羽幌炭礦鉄道の廃止により、キハ22形は茨城交通(ひたちなか海浜鉄道の前身)が1971年に引き取った。当時、茨城交通は中古気動車を求めており、こちらも廃止になった留萌鉄道のキハ1000形2両、キハ1100形1両、キハ2000形2両を購入し、計8両が北海道から茨城県に移り住む。

キハ22形は移籍当初、原色(茶色と白帯)のまま営業運転に就いていたが、のちに茨城交通カラーに変更された。このうち、キハ221はキハ3710形の増備により、1998年6月30日付で廃車。茨城交通のイキなはからいにより、原色に戻され営業運転を終えた。

キハ222は、2004年に国鉄一般形気動車色の「黄褐色と青」に塗装変更。実は1995年にも、元国鉄のキハ11形1両がこの色に塗り替えられて引退の花道を飾っており、9年ぶりの復活となった。

一方、キハ223はワンマン化改造を除き、特段の変化がないまま時が過ぎてゆく。ひたちなか海浜鉄道が湊線を引き継いでからは、老朽車両の置き換え用として、2009年に元三木鉄道ミキ300形1両を購入した。入れ替わりにキハ223が同年7月27日付で廃車された。幸い解体は免れ、原色に復元のうえ、個人に譲渡された。

「最後のキハ22」かつ、「現役最古参気動車」となったキハ222は、国鉄復刻色で奮闘を続けていたが、2015年2月22日でついに力尽く。その後、休車となり、同年5月10日で車両検査の期限が切れた。吉田千秋社長によると、今後については現在検討中で、「解体だけは避けたい」と考えている。

【取材協力:東海旅客鉄道、ひたちなか海浜鉄道】

Yahoo!ニュース個人より転載)

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