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杉本穂高 Headshot

秩序維持のための違法行為はどこまで許容されるべきか。映画『ボーダーライン』が問うもの

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アメリカ・メキシコ国境の恐るべき実態を映画化

麻薬が法的に禁じられている理由は一見わかりにくい。

殺人や窃盗など他者の命を奪ったり迷惑をかけたりする行為が禁じられるのは理解しやすいが、事故決定によって麻薬が人をボロボロにすると言っても他者の権利を脅かさない限り問題ないのでは、という感覚はわりと多くの人が抱く疑問ではなかろうか。

薬物に手を染めると身体・精神に異常をきたし、まともな社会生活が送れなくなり、社会の治安維持に関わる問題であるから、というような説明が保護法益の観点からはされることが多いようだが、どの程度の中毒性までは許容可能なのか、という線引きの問題は常につきまとう。

近年では大麻解禁に舵を切る国も増えている。善悪の境(ボーダー)が存在するとして、殺人は明確に悪の側に入るだろうが、麻薬の使用・所持は常にそのボーダーラインの近くに存在しているような気がする。

本作「ボーダーライン」はアメリカとメキシコの国境を挟んだ麻薬戦争の実態を描いている。

FBIの誘拐即応部隊のエリートがメキシコの大物麻薬カルテルのボスを追跡する特殊チームにスカウトされ、麻薬カルテルが仕切る街の無法な実態を目の当たりにする。それと対峙する特殊チームもまた、手荒な脱法行為をしてでそれと戦う。

特殊部隊のエリートとして修羅場を経験した主人公でさえもたじろぐ現実が、社会の外に横たわっている。それに対処するためには自らもルールを逸脱した超法規的な行為に及ばねばならない。本作はそうした選択を是とするのか、という葛藤を描く。

法の枠内の主人公と外側に生きる男

タイトルのボーダーラインは舞台となるアメリカとメキシコの国境を指す。

同時に法の内側と外側の境界線、あるいは善悪の彼岸、社会の常識とその常識の外側の世界など複数の意味が込められている。本作の主人公ケイト(エミリー・ブラント)は法の内側の常識者を代表している。

とはいえ、FBIの誘拐即応部隊で数多くの修羅場を経験しており、凄惨な現場も経験している。

対して、彼女とチームを組むアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)は法の外側に生きる者の代表だ。

本作のテーマを担う存在はこのアレハンドロであると言ってもいい。かつては検察官として法の内側の人間だった男が、殺しのエキスパートとなり時には悪となってカルテルの撲滅に尽力する。

ベニチオ・デル・トロがこの複雑な役どころをドスの効いた目つきで演じている。明らかに普通の人間ではない雰囲気を醸し出しているが、彼の目的(復讐)とやり方にケイトは反発する。

法秩序を脅かす麻薬カルテルを倒すために自らが法秩序の外にはみ出すことの是非をケイトとアレハンドロの対比で重厚に描いていく。

はみ出すといってもわずかに法の境界線に触れる程度ではなく、チームは殺人すら許容している。しかし、法体系に縛られていては解決不能な複雑な問題であることを映画は示している。

ドゥニ・ヴィルヌーブ監督は言う。
「人々はスーパーヒーローを必要とする。だが今日の現実世界においては、ヒーローは往々にして潔白ではない。彼らは悪と対峙する時に最も難しい倫理的な選択を迫られる」

ケイトはあくまで法の枠内で対処しようとする。

平時ならその姿勢は賞賛されるべきものだが、この無法地帯では彼女は無力だ。

アレハンドロのような社会の内側ではもはや生きられない「危ない」人間でなければ問題の対処にあたれない。そうした違法行為のおかげで社会の秩序は保たれているという現実をこの映画は突き付ける。