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映画「わたしはマララ」の原題が示すもの

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2014年、史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイは現在世界で最も注目される女性の一人と言えるだろう。地球環境問題に熱心に取り組むアル・ゴア元アメリカ副大統領を描き、アカデミー長編ドキュメンタリー賞、そしてアル・ゴア自身にノーベル平和賞をもたらした「不都合な真実」の監督、デイヴィス・グッゲンハイム監督による本作「わたしはマララ」は、そんな彼女の実像に迫ろうというものだ。

女性の地位向上、そして対テロ戦争のシンボルとして扱われる17歳の少女も、その実どこにでもいる普通の女の子なのだ、という構図は偉人を扱う作品にはよくある傾向だ。本作にもそうした趣は多分にあるが、それだけにはとどまらない。本作の原題は「He Named Me Malala(彼は私をマララと名付けた)」。この原題が本作の視点の置き方を端的に物語っている。

「不都合な真実」で名を上げたデイヴィス・グッゲンハイム監督は、元々は劇映画出身である。本作もドキュメンタリーといえども非常にドラマチックな構成と演出になっており、鑑賞後の印象はエモーショナルなものだ。高度に政治的な存在としてのマララだが、本作はあまり複雑な事情には入り込んでおらず、彼女と家族の関係を中心に捉えている。鑑賞前にそのことは留意すべし点だろう。

話を本作の内容に戻す。

原題「He Named Me Malala」のHeとはマララの父親を指している。映画冒頭にマララの名前の由来がエモーショナルなアニメーションで説明される。マララという名は、かつてアフガニスタンにイギリスが侵攻したとき、「奴隷として百年生きるより、獅子として1日を生きたい」と叫び、前線に立ち命を落とした少女マララィから取られたものだ。

父親から、戦場で兵士を鼓舞し勇敢に散った少女の名前を授かった時から彼女の人生は決められてしまったのではないか?というのが本作全体を貫く問いかけだ。

マララの父、ジアウディンはパキスタンで男女共学の学校を設立するなど、女性教育に熱心な活動家としての側面を持っている。マララも父の影響で学校に通っていたし、彼女の先進的な考えも父親の影響が多分に強い。共学の学校を経営していたことで、ジアウディンはタリバンから殺害予告を受けていたが、学校を閉鎖することはなかった。

マララが匿名でBBCブログに投稿するようになり、ほどなくしてメディアにも登場するようになったことから、彼女はタリバンに銃撃されることとなった。ジアウディンは本作のインタビューで、マララが誕生した時に「この子は特別な存在」だと感じ、「世界的活動家になる」と信じていたそうだ。

本作はマララ自身の実像と同じく、父親にも大きくフォーカスしている。彼女が国際貢献活動の傍らには常に父親もいる。マララを常に全力でサポートし、マララもまた父のことを尊敬している様子をカメラは映している。また、オバマ大統領など各国の首脳と対等に渡り合う彼女の姿、テニスプレーヤーのフェデラーの写真にときめく「普通の女の子」としての彼女の姿も捉えている。

「マララ」という平和のため、女性の権利獲得のための闘争のシンボルはいかにして作られたのか、それは彼女の意思によるものなのか、この極めてドラマチックなドキュメンタリーは何を見せ、何をみせていないのか--

本作を鑑賞中は、常にそれらのことを問いながら見るといいかもしれない。映画の最後にマララは彼女自身の答えを明確に示す。第三者の観客にもそれぞれの答えがあるだろう。

12月11日(金)より公開:映画『わたしはマララ』公式サイト

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