時代の矛盾に苦しんだヒーローを描く「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」ラース・クラウメ監督インタビュー

本作(アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男)の監督、ラース・クラウメ氏に本作について話を聞いた。

ホロコーストやナチスを題材にした映画は数多く存在する。ここ数年は「顔のないヒトラーたち」や、「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」、「ヒトラーの忘れもの」など、ナチス政権の残した負の遺産とどのように向き合い、過去を乗り越えていくのかをテーマにした作品が、日本でもいくつか公開されている。

2017年もその流れを汲む作品が公開される。1月7日に公開される「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」は、ホロコーストの責任者であったアドルフ・アイヒマン逮捕劇の裏で尽力したユダヤ人検事、フリッツ・バウアーの活躍を描く作品だ。

ドイツ生まれのユダヤ人であり、同性愛者でもあったバウアーの活動によって、アイヒマンは捉えられ、ドイツは過去と向き合い清算する機会を得た。本作はバウアーと献身的な調査活動を描き、同時に当時のドイツ社会の同性愛差別を通して、戦後間もないドイツでいかにナチスの名残が社会に残っていたのかを描いている。

本作の監督、ラース・クラウメ氏に本作について話を聞いた。

ラース・クラウメ監督

※本作のネタバレを多少含む内容になっています。

フリッツ・バウアーをヒーローとして描きたかった

――フリッツ・バウアーの生涯を映画にしようと思ったきっかけと、彼のどんな点について興味深く思ったかをまずお聞かせ下さい。

ラース・クラウメ監督(以下クラウメ):実は、アイヒマンを捕獲した有名な作戦の裏側に、こういう人物がいたということを知らなかったんです。それで彼のことを調べていくうちに、あの時代に孤立無援で戦っていて、英雄的な資質を持った人物であると感じたんです。

近代にはドイツはあまり英雄は多くいないのですが、間違いなく彼は誇れる英雄の一人で、この物語をもっと多くの人に知ってもらいたいと思ったんです。

――フリッツ・バウアーはヒーローであるとおっしゃいましたが、監督はこの映画で彼をヒーローとして描きたかったのですね。

クラウメ:はい。ヒーローというのは、世界を新しく作り変えたり、そういう努力をする存在であって、その過程で様々な敵と戦っていく存在です。この映画は古典的なヒーローの物語と言えると思います。戦争中、亡命していた彼が自国に戻ってきて、周囲がナチスの戦犯だらけであることに気づき、孤立無援な状態の中で戦っていく。

彼はユダヤ人だったので、復讐を考えているのではと周りから勘ぐられていたんですが、社会に正義もたらそうとしたのです。そんな彼を私はヒーローの定義を満たした存在だと思うんです。

――しかしこの映画は、冒頭バウアーが自殺未遂をするという、衝撃的なシーンから始まりますね。ヒーローの映画としては珍しいと思いますが、そこ物語を始めようと思った意図は何でしょうか。

クラウメ:彼は史実でも、バスタブで溺死をしているのですが、睡眠薬とアルコールを摂取したと言われています。あのシーンはフラッシュバックではなく創作です。

彼がなぜあんなにも強くあれたのか、亡命から戻ってきた彼を突き動かし続けたものは何なのかということを考えた時に、それはバウアーの贖罪の意識だったのではないかと考えたんです。

彼は亡命前の若い頃から判事でした。判事の仕事というのは、法律を通して民を守るものだったにもかかわらず、ナチスが台頭したことで亡命して、自分の命は助かったけども、何百万人という人が亡くなっていく様を外から見ているしかなかった。彼はその罪悪感によって突き動かされていたのではないかと考え、冒頭にあのシーンを持ってきました。あのシーンで、彼は無力に見えるかもしれませんし、悲壮感というか、悲劇的な感じにも見えると思います。しかし、あれも本当のバウアーが持っていたもので、実際に睡眠薬を服用していたと記されていますし、仕事だけに生きていたようなところもあったし、実際に心に闇を抱えていたのでしょう。

物語として最初に弱い彼を見せて、そこから立ち直り、最後に彼が持つ強さ、アイヒマンという重要な犯罪者を追い詰めることができたという強いバウアーで終わるというのが、今回の私の物語の構成だったわけなんです。

ユダヤ人であり同性愛者だったバウアーの二重の苦しみ

――ナチスやホロコーストを題材にした作品は数多く作られていますが、フリッツ・バウアーは、ユダヤ人であり同性愛者だったという点が、この物語を独特なものにしていると思います。

ナチスを題材にした過去の作品とこの作品の違いを挙げるとこの同性愛の要素にあると思うんですけど、ここをクローズアップしようと思った意図はなんでしょうか。

クラウメ:脚本を書いている段階では、彼が同性愛者であるという話は噂にすぎなかったので、その要素は入れてなかったんです。その後、フランクフルトにある、ユダヤ人ミュージアムでバウアーの展示会があった時に、初めて歴史家たちが実際に男娼とコンタクトを持っていたという記録を公開し、彼が同性愛者だったことが明らかになりました。

この要素は、当時のドイツ社会で彼がアウトサイダーであることを強調するものになると思い導入を決めました。

ただ、バウアーの実際の人生になかったエピソードを作って尾ひれを作ることは避けたかったので、アンガーマンという架空のキャラクターを作り、彼に同性愛に関するサブプロットを追わせるという構成にしています。

バウアーに起きていたかもしれないことを、彼に背負わせているという面もありますが、ドイツでは1945年に新しく民主国家として新憲法ができましたが、だからといって、人々の価値観が一晩で変わったわけではなかったのです。

当時は、ナチス時代の価値観をかなり引きずっていて、同性愛者に対する偏見が強かったのです。

――ナチスにはホロコーストの罪のほか、同性愛者に対する迫害もあったわけですね。そのもうひとつの罪はドイツ社会に残ってしまっていたわけですね。

クラウメ:当時は刑法175条があって、同性愛自体が禁じられていました(※この法律は1994年まで施行された)。

同性愛者の権利についてさえ誰も語れない時代でしたから、ナチスの同性愛者への迫害というのはきちんと向き合うまでに時間がかかってしまったんですね。

アンガーマンは映画の中で担当する、同性愛に関する裁判のエピソードは実際にあったことで、リサーチしていく中で見つけたものです。二十歳以下の男性と言葉をかわすことすら禁止なんて。信じられない判決ですよね。

それと同性愛のエピソードは、これを盛り込もうと思った理由のもう一つは、若い人がこの作品により感情移入できるかもしれないと考えたからです。

今日ではセクシュアリティは、より自由で多様になり、我々にとって非常に重要なものでもありますから。

もう一つはバウアーに関する部分で、同性愛者の彼は他の国でならドイツよりも、もう少し自由に生きられたかもしれませんが、その自由を犠牲にして彼はドイツに戻ることを選んだのです。そういう彼のヒロイックな犠牲の一つの側面として描きたいというのもありました。

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出演:ブルクハルト・クラウスナー、ロナルト・ツェアフェルト、リリト・シュタンゲンベルク、イェルク・シュットアウフ、セバスチャン・ブロムベルク

監督:ラース・クラウメ

配給:クロックワークス/アルバトロス・フィルム

2015年/ドイツ/シネマスコープ/105分/英題:The People vs Fritz Bauer

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