10代からうつ病の僕がプールできちんと息ができる理由

うつ病と戦うのがどんなに大変でも、そんなことに囚われずに生きようと心に決めた。

うつ病と戦うのがどんなに大変でも、そんなことに囚われずに生きようと心に決めた。

僕の人生は成功の連続だったし、これからもっと多くのことを成し遂げるつもりだ。無我夢中になって感極まることもたびたびだけれど、人生というレースにあっては、誰か僕の一歩先を行く人がいてもおかしくないし、実際いるに違いない。

自分自身を深く理解すると言うことは、自分に配られたトランプの札が何かをきちんと知って受け入れるようなもの。それでこそ、山あり谷ありの人生でいつも人間らしく振る舞える。そして自分自身だけでなく、他人のこともよく理解できるようになる。毎日の生活の中で、人との繋がりを感じ取れるようになり、そして、あなた自身が変わることで、世界を望む方向に変えていけるのだ。

僕は10代の頃から、メンタルヘルス上の問題があってそれとずっと戦ってきた。周囲の人からは、僕が感じる心の痛みなど見えないだろうし、いったい毎日何と戦って来たのか、理解してもらえないとは思う。それは例えば、僕の両腕に世界が丸ごと乗っかっているような思いだった。運動も万能でなんでも素直に学んで吸収する素晴らしい生徒だった僕。まるで世界中の栄光が自分のためにあるような気がしていた (今でもその感じは持ち続けているけれど、またこの世界が直面している無数の問題点も何らの思い込みなしで理解しているつもりだ)。まさに前途洋々と感じられた。これこそうつ病の典型的な側面だし、精神障害と言っていいほどだ。外面が素晴らしく見える分だけ、内面に隠された心の苦悩もまた大きかった。

うつ病とは理不尽なもので、人がほとんど理想的な人生だとうらやむ外観に、内面の地獄が隠れて見えないものだ。これは、体験した人でなければ実際には理解してもらえないだろうけれど。それは仕方のないことだ。他人から僕の人生を見れば、人より優って成功をつかむに違いない数多くの才能が備わっているのが見えるばかりだろうから。そこから僕の心の苦闘を理解してもらおうなんて、とてもできない相談だろう。

普通の人と比べて、僕だけが才能豊かな恵まれた人生に生まれついていることに気が付いたときから、僕は罪の意識にさいなまれた。僕は田舎に生まれ育ったので、小さい間は毎日、そんな自分に気づかされるほどのこともなかった。そして今は、僕の病気を支え助けてくれる素晴らしい人たちが近くにたくさんいる。

こんなに恵まれた状況にあるのに、本当の意味での満足が感じられるような、充実感にあふれて深い意味を感じられるような人生を送ることができずにいる。これが僕の最大の悩みだ。僕の人生を取り外して外から眺めることができるなら、自分だけに与えられた恩恵の重さに押し潰されそうな僕、あまりに大きな期待の前で悲壮に戦っている僕が見えるだろう。あらゆる物が手に入るばかりに、かえって自分の小ささを感じ取ってしまう、これこそ進歩した現代社会で多くの人がかかってしまう病気なのかもしれない。

そしてこれはうつ病によってさらに悪化する。

こうして自分自身への罪の気持ちや嫌悪感に打ちひしがれると、うつ病の波が延々と続くこととなる。自己嫌悪からくる心の闇がどんどん大きくなってあなたの感情をいたぶり続け、やがて家に閉じこもりベッドから立ち上がれないまでになる。そして社会からも友達からも引きこもる。仕事にも行けず、孤独のまま、溢れんばかりの感情を抱いたまま一人きりにされ、壊れていくのだ。

でも、僕は、本当の自分自身を作り上げて研ぎ澄ます力は誰にも備わっていると信じている。それが時にはとても骨の折れることだとも分かっているし、それのために僕もたいへんな思いで戦うことがある。うつ病から逃れることはできないのかもしれないが、それがもたらす影響をいくらかでも軽くすることならできるはずだ。自分がうつ病で、だからどれもしょうがないことだと認めてしまうなら、そのうつ病にやられる以上に、自分はうつ病なんだと思う心に負けてしまうのだ。

僕は、誰だってうまくやれるはずだ、なんて話をしたい訳ではない。僕だって引きこもりになって世界を拒絶したことが何度もある。そうして一人きりになって、数日の間一人きりの自分に立ち向かった。しかし、数日たつと、自分が立ち向かっていたはずのものをある程度、コントロールして受け入れられるようになり、ある種の敬意を払えるまでに変わるのだ。

いつまでも引きこもりのままでいるわけにはいかないし、どんな苦しみであれそれから立ち直る力を得る瞬間がやって来るものだ。そうして、自分のままでいるという感覚を取り戻すのだけど、それはまた、やっと自分自身の人生に立ち返るような感じだろう。

今では僕は、人生に感謝している。お礼の言葉では足りず、抱きしめたいくらいだ。僕はとてつもなく幸福な気分だし、皆さんにも、自分の幸福を追いかけることのすばらしさを思い起こしてほしい。僕が手にしているチャンスの一つひとつに、特別な感謝を感じるのだ。

僕は以前、僕らしい自分を求めているだけだと思い込んでいた。幸福な境遇には自分が相応しくないと感じ、もっと身の丈に合った望みを持たなければならないと思っていた。今では僕は、自分自身により多くを望み、期待を持っている。すると、つらいことがあってもそれは心の中だけの問題だと思えてくる。こう思えるようになって普通の生活に戻れるようになるまで、時間はかかったけれど、これは間違いなく価値のあることだ。世界は素晴しいものに満ちていると分かったし、これまで気付くことがなかった何か永遠性とでもいうものに毎日のようにワクワクしている。でも本当のところ、それはこれまでもずっと、すぐ傍にあったのだ。

未来はもっとさまざまな発見に満ちているだろう。いつかうつ病が再発するかどうかなんて、いちいち心配してはいられない。僕は今、自分がうつ病の人間だなどと認めることなしで、心をしっかりと持って毎日を送っている。

ハフポスト・オーストラリア版に掲載された記事を翻訳しました。

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"Young Minds Matter"(「子どものこころ」)は、子どものメンタルヘルスや感情の問題について、議論を広めていこうと企画された新しい特集です。この特集を通じて、子どもたちに「自分は愛されている、大切な存在だと思われている、理解されている」と感じてもらいたい――ハフィントンポストはそう考えています。

企画にあたり、1日編集者としてイギリス王室よりキャサリン妃をお迎えし、いま子どもたちが直面している心の問題やその影響、そして解決策について、ともに考えていきます。

この特集にブログを寄稿したいという方は、blogs@huffingtonpost.jpまでご連絡ください。

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キャサリン妃、ハフポスト1日編集者に

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