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「誰かの役に立つ」より「好奇心」

2014年09月28日 23時47分 JST
Ichiro Wada

 アラブの富豪の息子を友達にもつ人から聞いたことがある。

 この世で考えうる楽しそうなことをすべてやってしまったので、もう何もときめかない、と彼は言ったそうだ。

 「この世で考えうるすべての楽しそうなこと」について、妄想が膨らんでしまうが、それはさておき、僕はもちろん、大富豪ではない。が、十分な時を過ごしてその期間はすでに55年となった。

 昨日、仕事を終えて帰ってきて、ラブにリードを取り付け、いつものように散歩に行こうとしたら、急に、こんな考えが浮かんできて、アタマに憑りついた。

 たとえこれから先、どんな良いことがあったとしても、たいしたことはないな、と。

 加齢ととともに失った最大のものは好奇心だ。

 昔、浴びるように本を読んだ。

 宇宙の始まりの5分間はどんな風だったんだろうか、僕らはなぜ存在するのか、地球外生物はいるのか、いるとしたらどんな姿をしているのか、どうやって意識というものが生まれ物理的な世界との接点をもっているのか、なぜ象の鼻やキリンの首はあんなに長く進化したのか。

 あるいは、最強の人事制度とはどんなものなのか、従業員と顧客の満足をともに最大にしながら勝ち続ける経営とはどんなものなのか、資本の論理を超える会社が大きく育つことはないのか。

 あるいは、なぜ人間は憎みあうのか、人間の未来は希望に満ちているのか、利己心の高まりが破滅への道を一歩一歩進めているだけではないのか、宗教でも資本主義でもない人間が生きるよりどころとすることのできる新しい哲学というものはこれから先生まれるのだろうか?

 あるいは、ジャガーやポルシェを運転するってどんな気分だろうか、カジキを狙ってトローリングするってどんな気分だろうか、大型犬と暮らすってどんな気分だろうか、子供ができるって、孫ができるって、どんな気分だろうか、いままで見たことがないようなとんでもなくすごい映画ってどこかにあるだろうか、『百年の孤独』がかすむような小説って誰が書くんだろうか、ボカロの次の音楽の新しいムーブメントはどこから生まれるのだろうか?

 若いころは、何もかも不思議で仕方がなかった。胸を焦がすような好奇心に駆られて、本も読み、映画やドキュメントを見、また、旅行にでかけて無茶もした。

 いつの頃からか、あらゆる方向に延びていた好奇心は、ひとつひとつ行き止まりになっていった。

 幸運にも実現して満足したこともあるし、やってみたら案外楽しくなかったこともある。また、ある程度の答え以上には進めなくて、そこに何十年もさらしたあげく好奇心が霧消してしまったものや、夢と完全に諦めてしまったものもある。

 そして、かろうじて残った好奇心の枝も、義務感に置き換えられてしまった。

 家族のため、将来の介護費用を貯めるため、従業員のため、お客様のため、お取引先さまのため・・・僕の時間のほとんどは、僕の動機のほとんどは、僕のアタマのなかのほとんどは、義務感に支配されている。

 義務感が好奇心を押し込めると何が起きるかと言えば、いまの僕の状態になる。

 つまり、「たとえこれから先、どんな良いことがあったとしても、たいしたことはない」ように思えて、心の芯から発散するエネルギーのようなものがない状態である。

 無理に考えてみる。会社の売上が20億円になったら、とんでもなく嬉しいかな。

 それはもちろん、関係者みんなの幸せにつながるから、すごくいいことなんだけど、「年商20億の会社にするぞ!」と呟いてみても、僕の心の芯は発火しない。

 好奇心について考えるときに、いつも思い出すのは伊能忠敬のことだ。

 彼は50歳まで家業の商売に精進し功績も上げた。その後、長男に家督を譲って隠居し、それから天体観測や測量の技術を、寝る間を惜しんで学んだ。

 そして、地球の大きさを測ってみたい一心で、北海道の測量を幕府に申し出て許され、結果的にはその腕を幕府から認められて、はじめての正確な日本全図の地図をつくるという偉業を成し遂げた。

 

 そのことを僕は近年まで知らなかったのだが、そもそも彼の偉業は「人々の役に立つように正確な日本地図をつくりたい」ということから出発しているのではなく、「宇宙っていったいどうなってるんだろう、地球っていったいどんな大きさの球なんだろう」という強烈な好奇心が心の芯に燃え上っていたことに端を発している。

 

 誰かのためにとか、社会に貢献するためにと言うことは、とても尊く美しい。

 しかし、それだけでは、いつまでも増え続ける、多すぎる荷物、大きすぎる荷物に、息切れしそうになってしまい、世の中がその「色」を失ってしまうのだ。

 僕らが見える世界が、いつまでも色鮮やかで、わくわくするものであるためには、心の芯に好奇心を燃やし続けなければならない。

 好奇心の炎があってはじめて、世界は様々な鮮烈な色に色づくのである。

 

 なんだか、僕は最近、とみにそう思うのだ。

 そして、どうすれば55歳の僕の枯れかけた好奇心を、伊能忠敬のように燃え上らせることができるのか、ちょっと考えている。

 仕事の時間を減らす、旅に出る、知らない人や昔の友人と積極的に会う、空を飛ぶとか海に潜るとかやったことのないことをする?

 しかし、僕にはまだその方法がはっきりとはわからない。

 もしあなたが好奇心を取り戻す良い方法をご存じなら、ぜひ教えて欲しい。

(2014年9月28日「ICHIROYAのブログ」より転載)