最高に難易度が高い卓球台とおやじの血

子供のころ、家には卓球台があった。最高に「難易度の高い」卓球台が。そして、その卓球台は、小さな家のくせに一室を完全に占領していた。その事情をわかっていただくためには、短くはない説明が必要だ。子供のころの僕の家は、まさに「うなぎの寝床」で、5室がまっすぐに縦に並んでいた。端の卓球台の部屋から端のおばあちゃんの部屋に行くためには、その間のすべての部屋を横切っていく必要があった。

子供のころ、家には卓球台があった。

最高に「難易度の高い」卓球台が。

そして、その卓球台は、小さな家のくせに一室を完全に占領していた。

その事情をわかっていただくためには、短くはない説明が必要だ。

子供のころの僕の家は、まさに「うなぎの寝床」で、5室がまっすぐに縦に並んでいた。端の卓球台の部屋から端のおばあちゃんの部屋に行くためには、その間のすべての部屋を横切っていく必要があった。

なぜ、そんな不便な形だったかと言うと、もともと卓球台の部屋は、店舗として利用していて、文房具やパンなどをおふくろが売っていたのだ。その部屋はやや大きめの道路に面しており、家は奥に向かって部屋が続くのだが、幅がその部屋分しかないために、部屋の横に廊下を通すことができなかったのだ。

おやじとおふくろは生計の足しにしようと、この家を買い少し離れたところから引っ越してきた。

店は当初儲かったらしいが、やがて2軒隣に、同じようなパンと生活雑貨をおく店がオープンした。しかも、店舗面積はうちの倍。

みるみる売上は落ちて、店はやめることになった。おやじは会社勤めをしていたので、店をやめても生活に困ることはなかったから、商売への執着も薄かった。

さて、空になったコンクリート 打ちっぱなしの床のその部屋に、おやじは卓球台をつくってくれたのである。

記憶は定かではないが、たぶん、その台は正式な卓球台の大きさだったのだと思う。それは部屋いっぱいを占領して、台と壁の間がめちゃくちゃ狭い。

しかも、おやじは台を広い板でつくったのではなく、細長い板を張り合わせてつくった。ケチなおやじのことだから、ちょうどその頃に新調したベランダの残り板を使ったのかもしれない。

ともかく、そうしてつくってくれた卓球台は、「最高に難易度が高い」ものだった。

球はしばしば板の貼り目でイレギュラーに跳ねる。緩い球ならそれでも拾えることはあるが、普通の早さならたいてい反応できない。

しかも、後ろにスペースがないために、常に前衛で戦わなければならない。

ところで、この「難易度の高い」卓球台のことを思い出していて、ふと気がついたことがある。

そもそも、おやじは前に記事を書いたように、かなり常識的な人間で、突拍子もないことはしない。辞める辞めると言っていた会社にも、結局定年まで勤めた。

僕は、どちらかと言えば、突拍子もないことを言い出して笑われたり失敗したり、たまにはみんなを驚かすようなことをやるほうだ。そんなこんなで会社も辞めてしまった。

そういう意味で、僕にはおやじの血は流れていないのではないか、と思っていた。

しかし、いま、冷静に考えると、一室を卓球台の部屋にするというのは、かなり突飛な行動だったのではないだろうか。

部屋はその部屋を除いて4部屋あったが、両親と僕と妹とおばあちゃんの5人暮らしだったから部屋が余っていたということはない。

その頃、昭和40年代前半には、たしかに卓球が流行っていたような気がするが、お金持ちの友達の家でも、「卓球台がある」という話は聞いたことがなかった。

ちょっと、リアルに想像してみる。

おふくろ:店のあとの部屋、どうするんや?

おやじ:いいアイディアがあるんや

おふくろ:いいアイディアってなに? 水島さんとこみたいな応接間が欲しいんやけど。だって、お客さん来てもらっても、通す部屋がないし。

おやじ:卓球部屋にするんや!

おふくろ:ええっ!?なんで?

おやじ:いちろーと節子のためや。

おふくろ:??????? 卓球台、買うお金なんてないで!

おやじ:おれが作ったる!

ちなみに、おやじは卓球の趣味があったわけでは、けっしてない。

やっぱり、シュールだ。

子供のころに、家に卓球台があって、そのことはずっと記憶に残っており、それをごく当然のことと考えていたのだが、リアルに考えると、その時のおやじは、かなりシュールにぶっ飛んでおり、なかなかかっこよかったと思えるのだ。

似てない似てないと思ってはいたが、やはり、僕にはそんなおやじの血が流れているのである。

血は争えない。

「最高難易度の卓球台」で鍛えられた僕はめきめきと腕をあげ、中学に進学するとすぐに卓球部に入った。

入った当初は、同級生には無敵であった。

が、その効果がわずか2、3か月しか続かず、すぐに同級生の誰にも勝てなくなったのが、残念といえば残念だが、それもおやじの血だから仕方あるまい。

(2014年9月13日「ICHIROYAのブログ」より転載)