IP2.0プロジェクト、始動。(上)

IP2.0という耳慣れないプロジェクトがスタートしました。IPという言葉は、同じデジタル業界に身を置く人々でも違う意味に受け取ったりします。技術屋はInternet Protocolととらえ、プラットフォーム屋はInformation Providerと思い、そしてコンテンツ屋はIntellectual Propertyと認識します。

IP2.0という耳慣れないプロジェクトがスタートしました。

IPという言葉は、同じデジタル業界に身を置く人々でも違う意味に受け取ったりします。技術屋はInternet Protocolととらえ、プラットフォーム屋はInformation Providerと思い、そしてコンテンツ屋はIntellectual Propertyと認識します。

IP2.0の指すIPは、最後のやつ、知的財産のことです。その第2ステージを切り開こう、というものです。

去る7月、設立10年を迎えた知財本部は「知財政策ビジョン」をとりまとめました。そのエッセンスは閣議決定に至りました。政府はIP分野にこれまでになく力を込めています。

しかし同時に、改めてメディアが激動期を迎え、知財分野はこれまでの延長線ではとらえきれなくなっています。

たとえば企業活動のグローバル化が進み、ビジネスが地球クラウド化する中で、各国の制度との整合性が取れなくなっています。国家と企業との関わりをどうとらえればよいか。

あるいはビッグデータのように超大量の情報の生産・流通・蓄積がこれまでにない価値を生み、また、これまでにない問題を発生させます。これをどう扱えばよいか。

さらに、モノのデジタル化が進み、人と人(P2P)だけでなく、モノとモノ(M2M)のコミュニケーションが高まります。その価値と課題は何か。

こうした問題には、いちど頭を切り換えて望む必要があります。IP2.0は、そのためのチャレンジ。角川グループの角川歴彦会長が座長となって議論していくことになりました。MITメディアラボ伊藤穣一所長、ドワンゴ川上量生会長、SF作家の藤井太洋さん、デザイナーの田中一雄さん、東京大学渡部俊也教授らが参加し、ぼくも名を連ねました。

そのプレ会合で、コンテンツのこれまで、というお題を座興までにいただいたので、その軽いプレゼンをメモしておきます。

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人類最初の楽器はスロベニアで発見された43000年前のアナグマの大腿骨。まずは音楽から始まった。アルタミラは18,500年前、ラスコーは15,000年前。当時、人類は映像で考え、映像で表現していたのだろう。文字の発明は紀元前7千年ごろと言われる。コンテンツは音、映像、文字の順に作られたが、ライブだったり壁面だったりして、その時その場限りのものだった。

最初に大衆化されたのは、文字表現。1455年、グーテンベルク活版印刷。写真は1826年、ニエプス。音は1877年、エジソンのフォノグラフ。文字、映像、音というコンテンツ登場の逆順だった。動画は1985年、リュミエール兄弟。

著作権の概念は印刷機発明から100年後、1545年にヴェネツィアで最初の著作権法が登場。19世紀にはメディアの登場とともにAudio Visualに広がった。

20世紀はテレコミュニケーションの時代。電話やテレビの普及で、コンテンツやコミュニケーションが場所と時間の制約から開放された。

次の変革期は今から30年前。任天堂ファミコンが映像で遊ぶことを可能とした。83-85年、メディアの多様化が進んだ。日本ではニューメディアブームと呼ばれ、電話・テレビ以外のメディアの多様化が進められた。通信自由化、放送多チャンネル化もこの時期。アナログの多様化だった。

同じく84年、マッキントッシュをジョブスが発表。コンピュータのパーソナル化が始まった。デスクトップで誰もがコンテンツを作る時代の幕開けだ。

10年後、90年代に入ると、別の運動が起きる。日本ではマルチメディアブームと呼ばれる。デバイスとしてPCとケータイが大衆化、インターネットが普及し、デジタルネットワークの上に流れる情報、映画や書籍やテレビ番組や音楽やゲーム、それらをひとまとまりにする「コンテンツ」という概念が登場した。

ぼくはその政策を政府で初めて担当した。1993年、今でいうコンテンツ政策を立ち上げるため「メディア・ソフト研究会」なるものを開催した。メディアソフトというのは造語だ。その翌年あたりからコンテンツという言葉が普及した。アナログで多メディア・多チャンネル化したものを、デジタルに収束する運動でもあった。

さらに10年後、コンテンツが注目されるようになる。2003年、知財本部が設置され、「コンテンツビジネスの飛躍的拡大」が計画に明記された。04年「コンテンツビジネス振興政策」では「コンテンツビジネス振興を国家戦略の柱とする」と明記されるに至った。

しかしコンテンツは成長産業と言われながら、期待には反している。デジタル化が進んだ95年からの10年間に市場規模は5.8%成長でGDPとほぼ同じであり、成長産業ではない。このところむしろ縮小している。一方、その間、生産された情報量は21倍。爆発的に拡大している。

デジタル化で起きたことは、ウェブやソーシャルメディアなどで作り手が爆発的に増え、情報量が増えたことだ。産業としてみても、狭義のコンテンツ産業=エンタメ産業12兆円は拡大せず、ネットや通信としてカウントされる産業、それは合計20兆円以上あるのだが、そこが拡大した。自分でコンテンツを作って自分で発信して自分でお金を払うビジネス構造だ。これも広い意味でのコンテンツ産業と言える。

これに対応し、この数年、知財本部の重点領域も変化している。1)国内重視から海外展開に軸を移す。2)産業界を助成する以上に制度やインフラという基盤の整備に力を入れる。3)プロだけでなく、国民全体の教育に力を入れる。ひとまず、正しいと考える。

同時にこの数年、メディアは20年ぶりの激動のさなかにある。1)デバイスはTV、PC、ケータイからスマホ、タブレット、サイネージ、スマートTVなどマルチスクリーンへ。2)ブロードバンドと地デジの全国整備が完成、通信放送の総デジタル化という20年来の目標が達成、クラウド列島が誕生。3)サービスとしてはコンテンツが伸び悩み、ソーシャルメディアが中心に定着。メディアを構成する3つが世界一斉に塗り変わっている。

その中で、知財・コンテンツがどうなるかが目下の課題となる。 (つづく)

(2014年3月「中村伊知哉Blog」より転載)

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